去る火曜日、私たちは七十歳になって初めてささやかな中古マンションを手に入れ、転居しました。家内ともども、この歳になっての引っ越しは本当に疲れると互いに言いあっています。 “「見よ。新しいことをわたしは行う」” の続きを読む
人影の石〜詩篇144篇4節
ウクライナのゼレンスキー大統領が、広島の原爆資料館を見た後、以下のような演説をしておられます “人影の石〜詩篇144篇4節” の続きを読む
「心が傷つきやすい人への福音」 —— イエス、あなたのもとへ〜哀歌3章65節
今週の月曜、火曜日とある教派の牧師研修会で拙著「心が傷つきやすい人への福音」からお話しさせていただく機会がありました。とっても素晴らしい反応をいただいたのですが、肝心の結論部分があまりにも漠然としてしまった気がして、ちょっと後悔しています。それで改めて、結論部分を書き抜いてみました。 “「心が傷つきやすい人への福音」 —— イエス、あなたのもとへ〜哀歌3章65節” の続きを読む
「心が傷つきやすい人への福音」 〜 イザヤ書の結論
先日、ちょっと嬉しい話がありました。拙著「心の傷つきやすい人への福音」は、キリスト教書店本屋大賞候補の11作品には惜しくも選ばれませんでしたが、次点の二作品の中には入って「キラリ本」として選ばれたとのことです。 “「心が傷つきやすい人への福音」 〜 イザヤ書の結論” の続きを読む
詩篇144篇と人の価値 —— 村上春樹の新作「街とその不確かな壁」
村上春樹の新作「街とその不確かな壁」という小説を読みました(2回)。ネタバレになるといけないので、内容は書きませんが、改めて、自分の心の奥底にある思いと、普段自覚している自意識の関係を考えることができました。彼の小説はファンタジーを用いるので分かりにくい面もありますが、かえってそれによって、自分の心の奥底にある未整理の感情に向き合うことができるとも言えます。今回、特に興味深かったのは、小説の真ん中あたりに詩篇144篇4節のみことばが、以下のように引用されていたことです
人は吐息のごときもの。その人生はただの過ぎゆく影に過ぎない。
天の国籍を持つ者としての誇りある生き方〜ピリピ3章17–21節
夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは 茶摘じゃないか
茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠
という歌がありますが、まさに今夕の5月2日を指します。立春から88日目を指します。 “天の国籍を持つ者としての誇りある生き方〜ピリピ3章17–21節” の続きを読む
疑い深いトマスの信仰告白〜ヨハネ20章24–29節
復活の主を賛美します。
十二弟子の一人のトマスは、しばしば、「疑い深いトマス」と言われます。しかし、ヨハネ福音書が描くトマスの三回の記事に共通するのは、彼は自分の疑問を真っ向からイエス様や弟子たちにぶつけて、イエス様から信仰の神髄を引き出す、最高の導き手、パイオニア的な信仰者でもあります。詩篇の中には、主に対する自分の疑いや不安を正直に祈ることばが満ちています。疑いの告白から、真の賛美が生まれています。 “疑い深いトマスの信仰告白〜ヨハネ20章24–29節” の続きを読む
目が開かれる体験 —— 恥と癒し〜ルカ24章、創世記3章
イエス様の死からの復活をともに喜ぶことができることを感謝します。 “目が開かれる体験 —— 恥と癒し〜ルカ24章、創世記3章” の続きを読む
イエス様の十字架の御苦しみを思い巡らす幸い
明日の金曜日(4月7日)はイエス様が十字架に架かられたことを覚える日です。英語では Good Friday、ドイツ語では Karfreitag と呼ばれます。ドイツ語の Kar には「嘆き悲しむ」という意味が込められています。
映画「生きる living」—— 自分の心と目に聞く歩み〜伝道者11:9
大昔に流行った黒澤明監督の「生きる」をリメークした英国映画が上映されています。ノーベル賞作家の日系英国人カズオ・イシグロさんの脚本による映画です。余命半年を宣告された市役所勤務の紳士が、本当に意味で「生きる喜び」を再発見するというドラマです。基本的なあらすじは黒澤明監督と同じと言われます。 “映画「生きる living」—— 自分の心と目に聞く歩み〜伝道者11:9” の続きを読む