明けましておめでとうございます〜イザヤ51章2、3節——神の選びの原点

 明けましておめでとうございます。2024年元旦は月曜日ということで新年の初日の礼拝をお休みしておりますが、毎年のように教会堂にきて、お一人おひとりのこと覚えてお祈りしておりました。

 昨日も紅白歌合戦をずっと見ていました。驚きは、あの北海道出身の大泉洋が歌手として出演したことです。

今はもう無い、あの古く高い塔……
変わり続ける未来
あの日、君に聞かせたあの夢を
いつか叶えるその日が来るまで 
あの空に立っていた古い塔のように
踏ん張って 真っ直ぐ立っていたい
あの空に 立つ塔のように

という歌詞が、何か心にしみました。その高い塔とは、札幌の東にある野幌森林公園百年記念塔を指しているとピンときました。鉄がさびて古くなったので、解体工事をしているとか……
でご覧いただけます。

 世界の金融市場で活躍しようと北海道を後にし、その後は、全世界に福音の宣教したいという夢をもって、生きてきました。
 今年は間もなく71歳を迎えます。
 古い塔のように さび付いても 踏ん張って 真っ直ぐに立っていたい……と思わされました。

 紅白のゲストとして招かれていたやり投げの金メダリスト 北口榛花さんは、わが母校 旭川東高校の出身ということで何か郷愁に浸ってしまいました。

 そして、さだまさし が 秋桜(コスモス)を熱唱しました。
 あの歌は、僕が野村證券札幌支店の営業で苦しんでいる時代に山口百恵さんがレコード大賞歌唱賞をとった名曲です。
 今までは、嫁ぐ娘の心境を歌っている美しい歌と感じていましたが、作者のさださんが歌うのを聞いたら、北海道の母のことを思って、ほんとうにほんとうに泣けてしまいました。これを書きながら、まだ泣いています。

この頃涙もろくなった母が 
庭先でひとつ咳をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くり返す
独り言みたいに小さな声で

こんな小春日和の穏やかな日は
あなたの優しさが浸みて来る
……
あれこれ思い出をたどったら
いつの日もひとりではなかったと
今更ながらわがままな私に
唇かんでいます
……
ありがとうの言葉かみしめながら
生きみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子どもで
いさせてください

  でお聞きいただけます。

 来週月曜日に、北海道東川町の施設に住む母に会いに行ってきます。まもなく97歳を迎える母は、最近あまり会話にならないので、こうなる前に、昔話をもっとじっくり会話していればよかったと、今頃深く後悔しています。
 
 いつも、僕は自分の気持ちに正直に、自分らしく生きることを大切に、自分の心で感じたことをやさしく表現することに心がけてきているつもりです。
 そんな僕を母はいつも応援して、送り出してくれていました。
 嫁ぐ娘を送り出す母ならぬ、自分の夢を生きようとする息子を、いつも優しく送り出してくれていた母に対しての感謝の気持ちでいっぱいです。

 山口百恵はこれを歌って3年後に、結婚のため引退し、国立市に住みようになりましたが、僕も昨年から国立に住むようになりました。

 何か、不思議な神様の導きを感じます。昨日、この歌を聴きながら 以下の聖句が思い浮かびました

あなたが切り出された岩
掘り出された穴に目を留めよ
あなたがたの父アブラハムと
あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ
わたしが彼一人を呼び出し、
彼を祝福し、彼を増やしたのだ
イザヤ51章1、2節

 創造主の選びの御手の中で、僕は71年前に、北海道大雪山の麓の寒村に嫁いできた母から生まれました。そこにアブラハム以来の神の選びの御手がありました。
 僕には今、どうしても書きたい本があります。自分の素直な感覚で聖書を読んだときに出てくる救いの物語です。35年前に神学校の卒論で書いた「恥の感覚から見る救い」という話です。

 まだまだ僕の夢は尽きません。その背後に、大泉洋が歌った北海道開拓百年記念塔や、さだまさしが描いた、子どもを送り出す母の思いがあります。

 今年もよろしくお願いします。