マタイ14章13〜21節「主は羊飼いのようにその群れを飼う」

2021年1月24日 

イエスは四十日間の断食の後、石をパンに変えるようにという悪魔の誘惑に対し、「人はパンだけで生きるのではない」(マタイ4:4) と言われましたが、これほど誤解されているみことばもありません。

もともとこのことばは申命記8章3節からの引用で、そこでは「主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は (ヤハウェ) の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった」と記されていました。

簡単に言うと、パンよりも、主のみことばを第一に生きるときに、主はあなたの必要を満たしてくださるという意味です。

最近、「ワクチン配布のためのロジスティク」などということばがニュースで語れます。ロジスティックとは「物流の一連の流れを最適化し、さまざまな工程を一元化して管理すること」などと言われますが、もともとは「兵站」という軍事用語で、最前線で戦う兵士を支える食料や武器弾薬の補給体制を意味しました。「プロは兵站を語り、素人は戦略を語る」と言われますが、第二次大戦の日本軍の悲劇は、「兵站」という補給体制を軽視したことにあります。驚くほど多くの日本兵が、敵の弾丸によってではなく、「飢え」によって命を落としました。

現代の日本人もなすべきことを忠実に繰り返すことにおいては驚くべき力を発揮し、新型コロナ死者数もアメリカの百分の一、ドイツの十分の一に留まっていますが、ワクチン開発と接種のためのロジスティックにおいては、これらの国に遠く及びません。

日本のほとんどの組織は、高度に不確実な環境下では機能不全を起こします。

予期できない事態にも対応できる体制を整えることがロジスティックの基本ですが、そのような観点から五千人の給食を見ると面白いことが見えてきます。

多くの人々は、ここに記されたイエスの奇跡を空想物語のように考えますが、もしイエスが、ご自分に従ってきた人にパンを与えることができなかったとしたら、それこそイエスをかつての日本軍の指導者と同じレベルに引き下げることになります。

1.「イエスは……大勢の群衆をご覧になった。そして、彼らを深くあわれまれた」

14章13節では、「それを聞くと、イエスは舟でそこを去り、自分だけで寂しいところに行かれた」と記されます。これはイエスが、バプテスマのヨハネの首がヘロデ・アンティパスの誕生祝いの余興の一環ではねられてしまったという、あまりに不条理な事件を聞いて、たった一人で父なる神に向かって祈るときを持つ必要を覚えられたという意味です。イエスご自身が誰よりもヨハネの非業な死を悲しみ、そのことを祈る必要があったのです。

ひょっとしたらイエスは、

(ヤハウェ) よ なぜ あなたは遠く離れて立ち 
苦しみのときに 身を隠されるのですか。
悪しき者は高ぶって 苦しむ人に追い迫ります……
あなたは見ておられました。
労苦と苦痛を じっと見つめておられました。
それを御手の中に収めるために。
不幸な人は あなたに身をゆだねます。
みなしごは あなたがお助けになります
詩篇10:1、2、14

と記されるような詩篇を用いて、矛盾する気持ちを御父に訴えていたのかもしれません。

霊感された祈りである詩篇には、この世の不条理を見過ごしておられるように見える神への問いかけと、その悲しみも神に覚えられているという安心感の両方が記されています。

イエスは決して、「ハレルヤ!あなたはヨハネのための最善をなしてくださいました。彼のたましいは、あなたのもとであなたを賛美していることでしょう……」などと、自分の悲しみを自分で抑えるような祈りはされなかったことでしょう。

まして私たちのような、日々の不安に取り囲まれた私たちが、神に混乱した気持ちを訴えることなく、どうして正気を保つことができるでしょう。

ところがそこですぐに、「群衆はそれを聞き、町々から歩いてイエスの後を追った」(13節) と描かれます。彼らは日々の不安のあまり、イエスのお気持ちを察しようとする想像力も余裕もなく、ただイエスの助けを求めて、その行く先について来ました。

その場所は福音記者ルカの報告によれば、「ベツサイダ」という町の近くで (9:10)、ガリラヤ湖の北岸の町カペナウムから東に4㎞ぐらい離れた、ヨルダン川の東側の地でした。

そこが「寂しいところ」(13節)、「人里離れたところ」(15節) と二様に訳される同じギリシャ語が繰り返されます。それはイスラエルの民が四十年間、荒野の中を旅したことを思い起こさせる表現です。

しかしイエスは、ご自分の静まりの時が妨害されたと嘆くこともなく、「イエスは舟から上がり、大勢の群衆をご覧になった。そして、彼らを深くあわれまれた。そして彼らの中の病人たちを癒された」(14節) と描かれます。

深くあわれむ」とは「はらわたが震える」というような深い感情を表します。エレミヤ31章20節で、神は放蕩息子のようなエフライムを指して、「わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにいられない」と言われますが、そのような「深いあわれみ」を意味します。

マルコ6章の並行記事では、その理由として、「彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので」(34節) と記されています。それはエゼキエル34章で、イスラエルの民が国を失い世界に散らされた原因を、主が「彼らは牧者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となった。こうして彼らは散らされた。わたしの羊はすべての山々、すべての高い丘をさまよった。わたしの羊は地の全面に散らされ、尋ね求める者もなく、捜す者もいない」と解説しています (5、6節)。

これはイスラエルの民がバビロン捕囚にされた理由を記したものですが、イエスの時代のイスラエルも、まさに政治指導者ばかりか宗教指導者も自分の地位の安泰ばかりを第一に考えて、一般民衆の気持ちを知ろうともしていませんでした。神の期待に応えられる指導者がいないことで、彼らは山や丘をさまよって、イエスの行くところについてきたのです。

それに対し同じエゼキエル34章の続きで、主 (ヤハウェ) は、「見よ。わたしは自分でわたしの羊の群れを捜し求め、これを捜し出す……わたしは諸国の民の中から彼らを導き出し……イスラエルの山々や谷川のほとり、またその地のすべての居住地で彼らを養う。わたしは良い牧草地で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らの牧場となる……わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らを憩わせる」(11、13、14、15節)と約束しておられます。

そして、主 (ヤハウェ) はご自身の地上のおける代理の王としての新しいダビデを立てて、その約束を実行することを、「わたしは、彼らを牧する一人の牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、その牧者となる」(23節) と記しておられました。

そしてこの預言を成就する新しいダビデとしてイエスがここに登場していることが「深いあわれみ」ということばに示唆されているのです。

2.「あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい」

イエスがそこに集まってきた多くの人々を癒し続けておられる中で、「夕方になった」のですが、弟子たちは群衆への対応が気になったのでしょうか、「弟子たちはイエスのところに来ました」が、その際、彼らは「言っていました」、「この場所は人里離れています(荒れた地です)また、時刻ももう遅くなっています。群衆を解散させてください。それは彼らが村々に行って自分たちで食べ物を買うためです」と。

弟子たちの第一の思いは、群衆を速やかに解散させて欲しいということでした。その場所が「人里離れたところ」または「荒れた地」で、「時刻もおそい」のであれば、近隣の村々が彼らの食べ物の必要を満たすことができる確率は非常に低いと思いますが、弟子たちは群衆が飢えて、混乱を起こすのを心配したのかもしれません。

彼らは正直なところ「厄介払い」したいという気持ちが強かったのかもしれません。

ところがイエスは弟子たちに、「彼らが行く必要はありません。あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい」(16節) と不思議なことを言いました。それは彼らに、民を最後まで世話をする責任を自覚させるための言葉です。

マルコの並行記事では、それに対し彼らは、「私たちが出かけて行って、二百デナリのパンを買い、彼らに食べさせるのですか」と応答したと記されています (6:37)。彼らはすでに具体的な必要を計算して、自分たちが群衆の世話をすることはできないと思っていたからこそ、イエスに群衆を速やかに解散させることを勧めたのだと思われます。

二百デナリとは当時の労働者の二百日分の給与に相当する途方もない金額だからです。それは現在の百万円に相当するかもしれません。

続けて弟子たちは、「ここには五つのパンと二匹の魚しかありません」と言います (17節)。これも弟子たちが事前に調べたていたのかもしれませんが、マルコの記述ではイエスが彼らに調べさせたと描かれています (6:38)。

ヨハネ福音書6章9節によると、ペテロの兄弟アンデレが、「ここに、大麦のパンを五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう」と言ったと記されています。

ですから、少なくもとアンデレは、既に、この少年に目を留めながら、同時に、ここに集まっている群衆が何も食べ物を持っていないようすに危機感を抱いていたのだと思われます。

とにかく、弟子たちには、群衆に食べ物を与えるように命じたイエスのことばが、到底、無理なことにしか思えなかったことでしょう。そこには男だけで五千人もの人が集まっていたからです (21節)。女や子供を合わせると二万人近くになっていたのかもしれません。

このときこの群集は危機的状況にあったとも言えます。弟子たちが言うように、近くの村々の現実からすると、「解散させ、自分たちで買う」ということも不可能ですし、「五つのパンと二匹の魚」だけでは焼け石に水、何の役にも立ちません。

かつてイスラエルの民が荒野で、「ああ、肉が食べたい」と泣きわめいたとき、モーセは主に向かって激しく訴え、「私一人で、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます……どうか私を殺してください。これ以上、私に悲惨な目をあわせないでください」と、泣いて訴えました (民数記11:4、14、15)。

私たちが切羽詰った状態に陥ったときになすべきことは、何よりも、主に向かって自分たちの窮状を必死に訴えることです。

たとえば、私たちは30年前から自前の教会堂が必要であるという共通認識は持ってはいました。しかし、ここの弟子たちと同じように、人間的な計算によって「それは無理です……」とあきらめて問題を先送りしていたような気がします。

しかも建設前には、すでに会堂の家賃の支出が累積で、今回の会堂建設予算と同じ金額が支払われており、ある人は「どぶに金を捨てるようなもの」とさえ言っていました。一方で、その礼拝の場を離れることもできませんでした。

実は、私たちはもっと早く現状を認識して、真剣に祈ってくるべきだったのかもしれません。しかし、何人かが真剣にこのために祈りはじめ、皆がそれぞれ自分のなけなしのお金を差し出そうとしたときに、それが大きな動きになって、驚くほど短期間にすべての必要が満たされました。

最初から、「こんなの無理!」と言っていたら何も起きはしませんでした。

それにしても、イエスは弟子たちに、「あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい」と途方もない無理を命じました。しかし、イエスはそれがその場で確かに必要なことであることを認識していたから言われたのです。

それは人間的には不可能なことです。しかし、それはどうしても必要なことでした。それこそ、私たちをご自身との交わりに招くイエスの愛の語りかけです。

そのとき一人の少年が、おずおずとアンデレに自分の大切なお弁当の話しをしたのかもしれません。まさか弟子が少年のお弁当を奪い取ろうとするはずはありませんから、これは少年が自分から差し出したものでしょう。

そこで起きたことが、「するとイエスは『それを、ここに持ってきなさい』と言われた」(18節) というのです。そしてイエスはこの少年が差し出した五つのパンと二匹の魚を用いて、男だけで五千人にもおよぶ大群衆の必要を満たそうとしてくださいました。

マザー・テレサが始めた働きは今、イエスが養った以上の人々を、毎日養い続けています。彼女は何の見通しもなしに、ただ、それが必要だから、その必要が満たされるようにと真剣に祈り、目の前で、今できることをやり続けただけなのです。主の無理な命令を、真剣に受け止めましょう。

3.「みなが食べた、そして満腹した」

その後のイエスの命令が、「そして、群衆に草の上に座るように命じられた」(19節) と記されます。これは彼らが落ち着いて神のみわざを待つことができるための大切な前提でした。しばしば、飢えた群衆は、パニックに陥ると互いを傷つけてしまうからです。

マルコの並行記事では弟子たちの指導で、「人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った」(6:40) と描かれています。興味深いのは、先に「人里離れた場所(荒れた地)」と言われていた地が、「草の上」と描かれていることです。

ヨハネ福音書によると「過越が近づいていた」(6:4) という時期ですから、荒れ地にも草が生えていたのでしょう。それは、「主は私を緑の牧場に伏させ」てくださると詩篇23篇に描かれているとおりの状況です。羊は非常に臆病な動物ですから、危険を察知しているときには立ったままで、緑の牧場に伏すこともできません。

先にイエスは、「大勢の群衆をご覧になった。そして彼らを深くあわれまれた」と記されていましたが、そこにいた人々は、イエスがご自身を「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11) と言っておられることを、体験として実感していたのではないでしょうか。

その上での不思議が、「それからイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえた(祝福した)そしてパンを裂いて弟子たちお与えになった、また弟子たちは群衆に」(19節) と簡潔に描かれます。

どのようにパンが増えていったのかは全く記されません。しかし、イエスが、「天を見上げて祝福した」ときに、かつて天の父が天からマナを降らせてくださったのと同じように、イエスがパンを裂いている手から次々にパンと魚を生み出させるようにしてくださったということではないかと思われます。

その後のことも簡潔に、「みなが食べた。そして満腹した。余ったパン切れを集めると十二のかごがいっぱいになった。食べた者は、男たち五千人ほどであった、女と子どもを除いて」(20、21節) と描かれます。

弟子たちはこの経緯をつぶさに体験していました。そこには五つのパンと二匹の魚しかなかったのに、配っても、配っても、パンはなくなることなく、しかもそれは幻のパンではなく人々の腹を満たすことができました。

そして、十二人の弟子たちが残ったパン切れを集めると、それぞれの「かごがいっぱい」になったのでした。その「かご」は弟子たちが自分たちの食料を入れる時にも用いたものだったでしょうが、彼らはそれまで人々にパンを配ることに忙しく、食べる暇もありませんでした。しかし、最後にパン切れの残りを集めて見ると、自分たちの「かご」も食べきれないほどにいっぱいになりました。

なお、そこにいた群衆は、自分たちに配られたパンを見ただけでした。しかし弟子たちは、パンが天から降る代わりにイエスの手の中から生まれたことを知っていました。それこそ「神の国」の預言が成就したしるしでした。

福音」とは「良い知らせ」のことですが、イザヤ40章9節以降では、救い主の現われの知らせに関して、「声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え」と記されながら、「見よ」ということばが三回繰り返されます。

かつてのイスラエルは天からのパンを見たとき、「これは何だろう(マーン・フー)」と驚き、このパンを「何だろう(マーン)」名づけました (出エジ15:15、31)。私たちは神の不思議を待ち望み、それを見るように召されているのです。

その第一は、見よ。あなたがたの神を」という呼びかけです。イエスは、別のところで、「わたしを見た者は、父を見たのです」と驚くべきことを言われました (ヨハネ14:8、9)。人々は今、イエスに神の栄光を見たのです。

続けて、見よ。主、ヤハウェは力をもって来られ、その御腕で統べ治める。

見よ。その報いは御もとにあり、その報酬は御前にある」(10節) と告げられます。

それと同時に、「主は羊飼いのように群れを飼い」と表現されつつ、「主の御腕」は、力強さとともに優しさの象徴とされ、「御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる雌羊を優しく導く」(11節) と描かれます。

イエスは誰よりもまず「子羊を引き寄せ」ました。だからこそ、少年が五つのパンと二匹の魚」を差し出したのです。

そして、イエスは成人の男だけでも五千人になる大きな羊の群れを、「自分たちでパンを買いなさい」と追い返すこともなく、緑の牧場に優しく伏させて、必要なパンを、小牧者である使徒たちの手を通して与えてくださったのです。

その場には、乳飲み子を抱えた母親もいたことでしょう。彼らは救いを求めてイエスのもとに来ていたのに、空腹のまま帰らせたら母乳も出なくなります。イエスは、まさにこの五千人のパンの給食を通して、ご自身こそが、預言された新しいダビデ、イスラエルの真の牧者であることを示されたのです。

イエスによる五千人のパンの奇跡の背後にある原則は今も生きています。イエスが、「人はパンだけで生きるのではない」(4:4) と言って悪魔の誘惑を退けられたとき、主のみこころに反してパンを得て生き延びても、最終的にはすべてを失うことになるという霊的な現実を厳しく語られたのです。

いのちを得るためのパンが、いのちを失うきっかけになり得ます。イエスは、五千人のパンの奇跡をとおして、目先のパンの必要を忘れて神の国の真理を捜し求めてきた人々が、パンの必要も満たされたということを文字通り体験させてくださいました。そして、それこそ、イザヤが預言していた救い主の姿でした。

私たちはイエス・キリストによって導かれている羊の群れです。イエスが当時の弟子たちに、「あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい」と、一見、無理な命令を与えながら、それを実行させてくださったように、イエスは私たちを通して、ご自身の栄光と力を現してくださいます。

そして、イエスを救い主として告白し、イエスにすがりながら歩む群れは決して滅びることはありません。イエスご自身が、良い羊飼いとしての誇りにかけて、私たちを守ってくださるからです。

いつでもどこでも、真の羊飼いであるイエスを仰ぎ見ながら生きて行きましょう。主があなたの必要をいろんな方法で満たしてくださいます。