詩篇100篇「全地の民よ 主の大庭へ」

2018年9月9日

  感謝の賛歌
主(ヤハウェ)に喜び叫べ  全地よ。(1)
 主(ヤハウェ)に仕えよ 喜びをもって。(2)
  御前に来たれ  喜び歌いながら。
知れ 主(ヤハウェ)こそ 神であられることを。(3)
 この方が私たちを造られた。私たちは主のもの
  私たちは主の民、主の牧場の羊である。
来たれ 主の門に  感謝をしながら、(4)
 主の大庭へと 賛美しながら。
  主に感謝し 御名をほめたたえよ。
それは主(ヤハウェ)が いつくしみ深く (5)
 主の恵み(慈愛:ヘセド)は とこしえで
  主の真実は 代々に至るから。

詩篇100篇は、主日礼拝の招詞として最も頻繁に用いられる詩篇の一つです。上記の交読文は、日本語として意味が通じる範囲で、原文のリズムを生かした訳です。これは四組の三行詩に分けて読むことができます。まず全体を味わってみると、どのようなことに気づくことができるでしょう?

一組目と三組目はみな、主のご臨在への招きという方向が強調されています。またそこでは、「喜び」「賛美」「感謝」ということばが繰り返されますが、それぞれ異なったヘブル語が用いられていますが、基本的な意味はほとんど同じです。

そこに、主日礼拝において私たちに求められる姿勢が描かれています。私たちはみな、一つの礼拝の場所に喜びながら集い、主に仕え、主に感謝の賛美をささげることが求められているのです。

二組目では、地の民族ごとに神々と言われる存在は多くありますが、「主(ヤハウェ)こそが神」であられ、その方との関係で私たちのアイデンティティーが決まると告白されます。

そして四組目では、主のご性質が翻訳困難な三つの代表的なヘブル語で描かれ、それをもとに主への永遠の賛美がささげられます。

私たちはモーセ五書から列王記まで旧約を読んできています。そこに描かれた主の救いのみわざとイスラエルの忘恩の姿勢、主の幕屋からエルサレム神殿の建設へのプロセスとその意味、北王国での主のみこころに反した礼拝儀式の問題を見て初めて、この詩篇の画期的な意味が理解できることでしょう。

ここには同時に、旧約から新約を貫く、礼拝の中心的な意味が描かれています。先のエリヤの記事ではバアルの預言者450人に対し、一人のエリヤが、「主(ヤハウェ)こそが神であり、バアルは神ではない」ということをイスラエルの民すべてに明らかにしたと描かれていました(Ⅰ列王18:21,37-39)

私たちの歴史は、「全地」のすべての住民が、「主(ヤハウェ)こそが神である」と賛美する礼拝の完成へと向かっています。

1.「来たれ 主の門に 主の大庭へと」

詩篇93篇以降では、主(ヤハウェ)の王としてのご支配の現実が歌われていました。たとえば詩篇96篇では「ささげ物を携え、主の大庭に入れ。主(ヤハウェ)にひれ伏せ、御前でおののけ、地のすべてのものよ。国々の中で語れ、『主(ヤハウェ)は王である』」と歌われていました(910節私訳)。

93篇から99篇まで、「主(ヤハウェ)が全地の王である」と繰り返されます。この100篇はそれを締めくくるような、主の民への呼びかけの歌です。標題には「感謝の賛歌」と記されますが、これは「感謝のために交わりのいけにえ」また「ささげ物」との関係を示すと思われます(レビ7:11-15)

イスラエルの民は自分たちの収穫物を、主の幕屋または神殿の「大庭」に携えてきて、家族や奴隷とともに「主(ヤハウェ)の前で食事をし、あなたの神、主(ヤハウェ)が祝福してくださった、あなたがたのすべての手のわざを喜び楽しみなさい」(申命記12:7)と命じられていました。

イスラエルの民が荒野の旅をしていたとき、主の幕屋の「大庭」は十二部族の真ん中にありましたが、主が彼らに約束の地を与えてくださった後は、幕屋は何度か移動しながら、最終的にはエルサレム神殿となりました。

彼らはこの祭りを自分たちの住んでいる町ではなく、たとえ遠隔地にあっても、エルサレムに神殿ができてからは、「主の門」をくぐって入った「主の大庭」にまで来ることが命じられていました。

ダビデ、ソロモンの後にヤロブアムが北王国を分離独立させたときに、北王国の民が南王国の首都エルサレムに礼拝に行くことで国の正当性が疑われると脅威を覚えました。それで彼は、金の子牛をベテルとダンに据え、「もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ、ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる」(Ⅰ列王記12:28)と呼びかけました。それが「主の怒り」を買って、北王国は滅亡に向かって行きました。

そのような中で、詩篇96篇でも100篇でもエルサレム神殿の門をくぐって、「大庭」に入り、そこで「感謝のための交わりのいけにえ」をささげることが命じられていたのです。

イスラエルの民は、特にバビロン捕囚からの帰還後は、自分たちの町々の会堂(シナゴーグ)で礼拝をしながら、年の三度の大きな祭りの際にはエルサレム神殿の大庭にまで巡礼してきて、そこで家族とともに主の御前で食事をし、主のみわざを喜び歌いました。

イエスの父ヨセフが過越の祭りに少年イエスを伴って毎年、北のガリラヤ地方から一週間近くもかけてエルサレム神殿に上ってきたのはそのためでした(ルカ2:41,42)。そして、主を恐れる者は、それを最も大切な家族の在り方、生き方として受け止めていました。

私たちの感覚からしたら、家族で主を喜び歌うなら、自分の身近な会堂で十分と思いますが、イエスを育てたヨセフは貧しい生活をしながらも年に最低一度はエルサレム神殿の「大庭」に来ることを最高の喜びとしていたのです。

イエスの十字架と復活で、エルサレム神殿は不要となりましたから、「来たれ 主の門に 主の大庭へと」という訴えは意味が変わって来ました。しかし、お金と時間をかけて、家族そろって礼拝の場に集い、そこでともに主のみわざを喜び歌い、ともに食事をするというのは、主の民にとっての最高の喜びであるべきという基本は同じです。

北王国は自分たちの都合に合わせた礼拝の形を造り出して滅亡に向かいました。現代のクリスチャンも自分の生活の都合に合わせた礼拝を考え、主を礼拝することを生活の基本に置かないなら、主の民としての独自性を失うことになりかねません。

ときに「ユダヤ人が安息日を守ったというよりは、安息日がユダヤ人を守ってくれたのである」と言われますが、同じように、「クリスチャンが主日礼拝を守ったというよりは、主日礼拝がクリスチャンを守ってくれる」とも言えましょう。家族がともに「主の大庭」に集って、主を礼拝することから、家族が守られるということを覚えたいものです。

2.いけにえを廃止した仏陀ではなく、いけにえをご自身で完成されたイエス

私たちは無意識のうちに仏教やギリシャ哲学の影響を受けて、信仰を自分の欲望から自由になるための修行のように考えがちかもしれません。そうすると、わざわざ遠い教会にまで通って礼拝をささげることの意味が分からなくなります。

仏教は、紀元前5世紀のインドにおいて、バラモン教に対する改革運動として始まったと言われています。バラモン教では神聖な火を崇拝し、火の中に牛や山羊、羊をいけにえとしてささげることが礼拝の中心行為でした。それに対し、仏陀はそれらをこの世の生存を貪る行為として戒め、自分自身の心の情欲から自由になるための修行の道を説いたと言われます。

そのように聞くと、仏陀から約500年後のイエスも、旧約聖書にある動物をいけにえ廃し、隣人愛を説いた改革者としてとして見られるかもしれません。しかし、決定的な違いは、仏陀は約80年の地上の生涯を究極の安らぎの境地(ニルヴァーナ)のうちに終えたのに対し、イエスは極悪人のシンボルの十字架にかけられ、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と叫びながら、死んでしまったということです。

この世の知恵ある人にとっては、仏教の方がはるかに合理的に見えるのも無理がありません。

しかし、イエスは、旧約聖書のいけにえを否定したのではなく、「ただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現わして」くださったのです(ヘブル9:26)。しかも、イエスの十字架上の叫びは、私たちのすべての罪を負われた罪人の代表者となられた王としての祈りだったのです。

しかも、「わが神、わが神・・」という祈りは、詩篇22篇の冒頭に登場するダビデの祈りとまったく同じでした。そしてその意味を、イエスは説明するために、私たち一人ひとりを、この詩篇100篇の「主の牧場の羊」として認めながら、「わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます」、また、「その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです」と言われました(ヨハネ10:15,16)。

基本的に原始仏教は自力救済の修行の道でした。そこにイエスから数百年後のキリスト教の教えが混じって、大乗仏教が生まれ、その経典が6世紀の日本に伝わってきました。また、ヨーロッパではローマ帝国の知識人の間に広まっていたギリシャのストア哲学の教え、自分の心の平安を精神修養で生み出す教えが、キリスト教を変容させたとも言われます。

私たちの福音理解のうちには、日本人の血肉となった仏教の無常観、欧米の個人主義的な精神修養の道徳観が混じっています。しかし、聖書に描かれた信仰生活は個人的な精神修養ではなく、主を礼拝するために、家族にとって貴重な時間とお金を費やす、具体的な行動を伴った生き方でした。

私たちは近代合理主義的に信仰を見直しているようでも、実は、二千数百年前からある仏教やギリシャ哲学の感覚から抜け入れていないだけとも言えましょう。 

世界の歴史を見て明らかなことは、仏教もストア哲学も、この世界の経済活動や政治制度に積極的な貢献をすることに失敗しています。あまりにも浮世的な教えになっているからです。

しかし、聖書にはお金の積極的な生かし方や、階級社会や女性蔑視への具体的な警告が満ちています。それは聖書が描く礼拝が、具体的なお金と時間の使い方に関わるものだからです。

江戸時代末期に疲弊した農村改革に指導力を発揮した二宮尊徳の教えを、後代の人が、「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」とまとめたとのことです。それこそ、出家を勧める原始仏教とお金の話に満ちた聖書信仰の違いを明らかにしているとも言えましょう。聖書の教えは、精神修養をはるかに超えた現実的なものです。

3.「主(ヤハウェ)に喜び叫べ 全地よ・・・この方が私たちを造られた」

冒頭の「(ヤハウェ)に喜び叫べ 全地よ」という呼びかけは、原文では984節と全く同じ表現です。その直前には、「主は イスラエルの家への 恵みと真実を覚えておられる。地の果てのすべての者が 私たちの神の救いを見ている」(詩篇98:3)と記されています。

それは、主がイスラエルに対してご自身の契約を変わることなく守ってくださるという「恵み」(ヘセド)と、ご自身の約束に対する「真実」を、「地の果てのすべての者が」、イスラエルに対する「神の救い」のみわざとして認め、イスラエルの神を礼拝しに来るということを現わしています。

なおこの詩篇100篇の終わりでは、「主の恵み(慈愛:ヘセド)は とこしえで 主の真実は 代々に至るから」と繰り返されます。「恵み(慈愛、変わらない愛:ヘセド)」と「真実(エメット:アーメンと同じ語源)」こそ神のご性質を現わす最高のことばです。

なおその直前には「主(ヤハウェ)が いつくしみ深く」と記されますが、「いつくしみ深い」とは、ヘブル語で最も一般的な善を現わすトーブで、「良い」とも訳されます。神がご自身の六日間の創造のわざをご覧になって「良かった」と認められたということに通じます。 

不思議にもイザヤ書の最後は、「すべての肉なる者がわたしの前に来て礼拝する(66:23)と、全世界の人々が「聖なる山エルサレム」の「主(ヤハウェ)の宮」に、主への贈り物を携えてくる様子が描かれています(66:20,21)

一方、この礼拝への招きを拒絶する者たちへの永遠のさばきが、「わたしに背いた者たちの屍・・のうじ虫は死なず、その火も消えず、それはすべての肉なる者の嫌悪の的となる」(66:24)と描かれています。

それは、この世の人々が思い浮かべる道徳的な行いの違いによる天国と地獄と区別ではなく、主を礼拝することへの招きに応じるか、それに「背く」かの違いとして描かれているのです。

イザヤ4522節には、「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ、ほかにはいない」と記されています。

そしてこの詩篇100篇でも、「主(ヤハウェ)に喜び叫べ 全地よ。 主(ヤハウェ)に仕えよ 喜びをもって。 御前に来たれ  喜び歌いながら。 知れ 主(ヤハウェ)こそ 神であられることを。 この方が私たちを造られた。私たちは主のもの 私たちは主の民、主の牧場の羊である」と歌われています。

それは民族的イスラエルを超えた全世界の民への招きとして理解すべきです。

私たちは一人ひとりがすべて、主によって創造された「主のもの」であり、「高価で尊い」存在です。ただ同時に「主の民」として、共同体の一員として生かされています。また同時に、主に養われている「主の牧場の羊」と呼ばれます。

「羊」は100匹では生きることができない極めて臆病で、見通しがきかない近視眼的な愚かな動物です。「羊飼い」がいなければ、悪い水を見分けることもできず、崖から落ちたり、凶暴な狼が近づいているのにも気づかずに、立川に向かってしまうような存在です。それが人類の歴史が戦争の繰り返しであることを見るだけで明らかになっていることでもあります。

しかし、私たちは「ok牧場」に属する「主の羊」です。すでに私たちは信頼できる羊飼いのもとで養われています。そして私たちの主イエスは先のヨハネの福音書でも、「わたしが来たのは、ぼくちんたちがいのちを得るため、それを豊かに得るためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(10:10,11)と言われました。

また私たちが日々、額に汗を流して働いて収入を得たとしても、それは自分の力で獲得したという以前に、すべては主の恵みの中で起きていることです。働くことができること自体が何よりの恵みです。

私たちの心も体も能力も、すべて主の賜物であり、私たちは同じように主によって創造された方々との交わりの中で働きを進めているに過ぎません。この世界のすべての環境が、主からの恵みの賜物です。私たちはそのすべてを主に感謝するのです。

使徒パウロは自分の知恵や力を誇っているコリントの信徒に向けて、「いったいだれが、あなたをほかのひとよりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか」と戒めました(Ⅰコリント4:7)

親からもらった身体も能力も、もとを正せば、すべて神からの賜物です。

4.主への礼拝で私たちが表現すべきこと

なお、4節に記される「主の大庭」への招きですが、旧約の時代には、収穫物の「十分の一」を神殿に携えてきて、また、家族とともに「牛や羊の初子を食べなさい」と命じられていました(申命記14:22,23)

しかも、ここに記された「十分の一」は、民数記1821節で命じられている「レビ人のためにささげる十分の一」とは別のものです。

また、その際にささげられるいけにえは、罪の贖いのためではなく、神と隣人との「交わり」を喜ぶためのもので、それは大きな家族の交わりの中で人を食べられるものでした。

新約においては、「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです」と命じられています(ヘブル13:15,16)

具体的には、主への心からの賛美と、食事を分かち合うことが、私たちが教会に集ってなすべきことです。ともに食事をすることは、古代教会の時代は礼拝の一部でした。それが現在は、聖餐式として象徴的に守られています。

なお、「賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実」というと「讃美歌を歌うこと」と考える人もいますが、たしかにそれはその一部ではありますが、礼拝説教や信者の生きた証しこそがその中心です。

ルターは主の御言葉を教える手段として多くの讃美歌を作りました。またアメイジング・グレイスの作者ジョン・ニュートンはその日の説教に合わせた讃美歌を作ることに心血を注ぎました。アメイジング・グレイスは彼自身の回心の証しであるとともに、彼自身のみことばの解き明かしの要約として作られたものです。

また全体を通して、「卍」を表現することが訴えられていますが、1節の「喜び叫ぶ」とは勝利の雄叫びのようなものです。英語ではmake a joyful noiseと訳されるように、美しい歌というよりも「叫び」です。

2節の「喜びをもって」とは、日本語の「メンチカツ」にもっとも近い「歓喜」とも訳されることばです。

また「喜び歌う」とは、喜びを歌で表現するというニュアンスがあり英語ではringing cry と訳されることもあります。

4節の「感謝しつつ」とは先に述べたように「感謝のいけにえ」とも訳されることばで、感謝をささげもののような形に現わして主の宮に携えてくるという意味があります。

「賛美しながら」と訳された言葉は、詩篇全体をまとめたような意味があり、これこそ私たちが「主を賛美する」ということの核心を表す言葉です。

また、「御名をほめたたえよ」と訳された言葉は、英語では一般的にBless his nameと訳され、主の名にふさわしい栄光を帰することを意味します。まさに、これこそ主を礼拝することの「こころ」を現わすことばです。

私たちは毎週、「主の大庭」である礼拝の場に集い、主の救いのみわざの全体像を思い起こし、主の勝利への雄叫びを上げ、喜びながら主に仕え、主のみわざを歌いながら主に御前に集います。

その際、私たちは、主の被造物であり、同時に、最高傑作でありながら、謙遜に自分を「主の牧場の羊」であり、主の恵みなしには一瞬たりとも生きられないことを認めます。そして私たちは、感謝のいけにえを目に見える形でささげるために、主の御前に来ます。

そして、礼拝の場で、主の救いのみわざの全体像を賛美します。そして主に感謝しつつ、主の聖なる御名をたたえます。そして、主の御名のご性質は、「善(トーブ)」「恵み(ヘセド)」「真実(エメット)」として、それが「とこしえ」に続き、世代を超えて明らかにされると歌います。

そして、主のみわざの目的とは、この主への真心を伴った礼拝と賛美が、全世界に広げられることに他なりません。そして、全世界で主の御名があがめられるとき、そこには神の平和(シャローム)が満たされます。