Ⅱサムエル7章〜10章「神の真実とダビデの真実」

2018年1月28日

聖書の物語をひとことで述べると「神の真実(ヘセド)」の歴史と呼ぶことができます。

聖書には、神の燃える怒りが何度も描かれますが、同時に神はご自分を裏切り続けるイスラエルの民に、「怒りがあふれて、少しの間、わたしは、顔をあなたから隠したが、永遠の真実の愛(ヘセド)をもって、あなたをあわれむ」(イザヤ54:8)と語っておられます。これこそが、神の怒りと真実の関係を現わす最高のみことばとも言えます。

 

使徒パウロはコリント教会に真実を尽くしましたが、偽使徒、献金泥棒かのような汚名を着せられ、「私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はますます愛されなくなるのでしょうか・・・私はあなたがたに重荷を負わせませんでした。それでも私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったと言われます」(12:15,16)と、悲しみを切々と訴えています。これが聖書となったのはパウロの気持ちが最終的に通じたからでしょう。

裏切られ、罵られても、「真実の愛」を尽くすというのが、真の「神のかたち」として生き方です。どんな悪人の心にも、人の真実に、真実をもって答えるべきという思いが宿っています。真実は、最終的に報われます。しかも、人の不信実に傷つく所に、神の真実が迫って来るということこそ、信仰の神秘です。

 

1.「わたしが、あなたのために家を建てる」という神の真実への応答

7章は、「王が自分の家に住んでいたときのことである。主(ヤハウェ)は、周囲のすべての敵から彼を守り、安息を与えておられた」という記述から始まります。

ここでは、主のみわざによってダビデが、自分の家で安心していられたという面が強調されます。これは10章まで続く彼の成功物語の要約とも言えます。

 

そこでダビデは、「この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中に宿っている」(7:2)という現実を恐れ多いことと思い、神殿を建設したいと願います。それに対し主は、被造物に過ぎない者が創造主の家を建てるという発想の滑稽さを指摘するように、「あなたがわたしのために、わたしの住む家を建てようというのか」と問いかけます。

そして、ダビデを「羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした」(7:8)のは、主ご自身のみわざであることを思い起こさせながら、さらにその後の歩みをまとめるように、「こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである」(7:11)ということばを繰り返します。つまり、ダビデに「安息を与え」ているのは、神のみわざに他ならないのです。

 

しかし、主はダビデの傲慢を責める代わりに、彼の純粋な思いを受け止め、「主(ヤハウェ)はあなたのために一つの家を造る・・・わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる・・・あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(7:11,12,16)という途方もない約束をされました。

そこにはダビデ王家を建てるのも、神殿を建てるのも主ご自身であるとの宣言があります。神殿を建てたのはダビデの子のソロモンですが、彼の後に王国は二つに分かれ、北王国はアッシリアに、南王国はバビロン帝国に滅ぼされます。ダビデへの約束は、神の御子イエス・キリストにおいて実現するのです。

 

それを聞いたダビデは、「アドナイ(主人)、ヤハウェよ」(新改訳では「、主よ」と訳される)という呼びかけを七回も繰り返します(7:18,19,20,22,25,28,29)。それはイスラエルの真の支配者、「王」は、「ヤハウェ」であられるという告白です。ダビデは、この途方もない約束を受ける資格など自分には一切ないことを謙遜に認めつつ、神のあわれみを賛美します。

そればかりか彼は続けて、「地上のどの国民があなたの民、イスラエルのようでしょうか。御使いたちが行って、その民を御民として贖い、御名を置き・・・異邦の民とその神々から贖いだされたのです」(7:23)と、イスラエルの尊厳も神の一方的なあわれみによると告白します。

 

そして彼は改めて、「イスラエルの神」を「万軍の主(ヤハウェ)」と呼びつつ(7:26,27)、神ご自身による「わたしが、あなたのために家を建てる」との畏れ多い約束を引用しながら、「あなたのしもべの家を祝福して、御前にとこしえに続くようにしてください」と大胆に祈ります(7:27,29)

すべてが神のみわざであると、ダビデは心から理解し、主の前にへりくだりながら、同時に、主のことばが成就するようにと祈ります。

 

2. アブラハムへの約束の成就

そして8章冒頭には、「ダビデはペリシテ人を打って・・屈服させ・・メテグ・ハ・アンマをペリシテ人の手から奪い取った」と記されますが、この地がどこかは不明です。Ⅰ歴代誌18:1では、「ダビデはペリシテ人を打って、これを屈服させ、ガテとそれに属する町々をペリシテ人の手から奪い取った」と記されています。かつてダビデはガテの王アキシュの保護下にかろうじて生き延びたかのようでしたが(Ⅰサムエル27:2-7)、立場が完全に逆転しました。

実は、この後、約300年後のヒゼキヤの時代までペリシテ人との戦いは聖書に登場しません(Ⅱ列王記18:8)。まさに、士師記以来の最大の敵が、ダビデの前に屈服したのです。

 

また、ダビデはかつてモアブの王に両親を保護してもらったことがありましたが(Ⅰサムエル22:4)、このときは縄を使いながらモアブの三分の二の兵士を無作為に選び、殺したかのようです。新改訳では縄二本で測った大きな男を殺したと解釈しているようですが、解釈が分かれます。どちらにしても残酷極まりないことです。その理由を、モアブが両親を殺したからと説明されることもあるようですが、事実は分りません。

ただ、ペリシテもモアブもかつてダビデを助けたのは、彼がサウルにとっての敵となったからであり、ダビデがイスラエルを統一した後は、一転して攻撃を仕掛けてきました。ダビデは、恩を仇で返すような人間ではありません。ここで強調されているのは、ダビデが頼った相手が、彼に服従したという立場の逆転です。

 

その後、「ツォバの王・・ハダドエゼルがユーフラテス川流域にその勢力を回復しようとして出て行ったとき、ダビデは彼を打った」(8:3)と記されます。ツォバの中心都市はダマスコのさらに北にあるレボ・ハマテです。そこはかつてイスラエルがエジプトを出て間もなく、南からカナンに進入しようと、十二人の偵察隊を遣わして調べた約束の地の北の果てです(民数記13:21)

ここに記されていることは、ツォバの王がさらに北のユーフラテス川沿いのハマテを攻略するため、その前に、南のダビデ王国からの脅威を除くことによって挟み撃ちになることを避けたという意味だと思われます。この戦いの様子は10章に詳しく描かれることになります。

ここではダビデの騎兵1700、歩兵2万を捕獲しながら、戦車百台分の馬は残して、「すべての戦車の馬の足の筋を切った」と記されます(8:4)。「足の筋を切った」馬でも農耕には使うことができたようです。ダビデは軍事力の増強に慎重であったことのしるしとも解釈できます。それはすぐに敵の戦力に変わる可能性があるからです。

さらに、ツォバの南東のダマスコを中心としたアラム軍がハダドエゼルを助けに来ましたが、ダビデはその22,000人を打ったばかりか、「ダマスコのアラム(シリヤ)に守備隊を置いた」(8:6)とあるように北の大国を完全に支配しました

そしてこれらをまとめるように、「(ヤハウェ)は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた」(8:6)と記され、これらがすべて主の勝利であると強調されます。そればかりか、その北の強国ハマテの王トイは、ツォバからの攻撃に悩んでいたので、ダビデのこの勝利を祝い、貢物を携えてきたというのです(8:10)

ハマテは、大河ユーフラテスの南に広がる国ですから、何とも驚くべきことです。これによって、ダビデの影響力がユーフラテス川にまで届いたことになります。

 

その後、ダビデは死海の南東をも制圧し、「エドム全土に守備隊を置いた」(8:14)というのです。この際も、「主(ヤハウェ)は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた」とまとめられます。

これによって、かつてのアブラハムへの約束、「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテスまで(創世記15:18)ということばが成就し、この広大な地が南から北の果てまでイスラエルの支配に服することになったことを意味します。

かつて主(ヤハウェ)は、イスラエルの民に契約の箱を与え、彼らの真ん中に住み、彼らをまっすぐに南から約束の地に導き上ろうとされました。そのときモーセは、「あなたの神、主(ヤハウェ)は、この地をあなたの手に渡してくださった。上れ。占領せよ・・恐れてはならない。おののいてはならない」(申命記1:21)と言いましたが、彼らは主の約束を信頼せず、偵察隊の報告を聞いておびえ、エジプトに帰りたいと叫びました。それ以来、神は、約三百年間もの間、彼らの不従順に耐えながら、ついにダビデを用いて約束の地を支配させ、アブラハムへの約束への真実を示されたのです。

 

アブラハム契約がダビデにおいて成就したということは、ダビデの家がこの後、転落するにも関わらず、ダビデ契約が守られ、ダビデの王家が続き、イエス・キリストにおいて成就するという話につながります。

 

3. ダビデの王としての統治と真実

「ダビデは全イスラエルを治めた」(8:15)とありますが、「治める」とは「王」ということばの動詞形です。ダビデは「ヤハウェ」を真の王として仰ぐことによって、ユダ族ばかりか北の十部族をもまとめる「王」として機能できたのです。

その統治の特徴は、「その民のすべてにさばきと正義を行なった」ということでした。彼は、部族間の争いに公正なさばきを下し、すべての部族が「正しい」と認めるような政策を実行することで、イスラエルにモーセやヨシュアの時代のような神の民としての一致を生み出しました。

 

軍事的には甥のヨアブが軍団長として力を持っており、二人の間には緊張関係がありましたが、ダビデは彼の能力を生かすことができました。1617節の「史官」とは「記録官長」、「書記」は「秘書官長」とも訳される文官のトップです。それにはさまれるように二人の祭司の名が記され、その働きがいかに尊重されたかが分ります。

そしてエホヤダの子ベナヤは後に護衛長として描かれますが(23:23)、彼が指揮していたのは「ケレテ人とペレテ人」という外人傭兵部隊でした。つまり、ダビデは異民族を自分の護衛に用いたのです。

なお、「ダビデの息子たちは祭司であった」(8:18)と記されますが、彼はレビ人を神への奉仕に用いていましたから、これは「補佐役」的な働きでしょう。ただ、これはダビデの家が、主を礼拝することを常に第一にしていたことを示唆します。

それと同時に、他の部族を公平に扱い、異民族をも重用するという幅の広さが特徴でした。それは、神への愛と隣人愛を政治の中心に据えたということもできましょう。

 

9章ではダビデが亡くなった親友のヨナタンの家に「真実を尽くす」ようすが描かれます。その際、彼は、「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい・・・私はその人に神の恵みを施そう(9:1,3)と繰り返します。

確かにサウルの子ヨナタンはダビデの家と契約を結んだとき、「もし私がこれ以上生きるべきではないのなら・・・あなたの恵み(真実「ヘセド」)をとこしえに私の家から断たないでください」(Ⅰサムエル20:14,15)とダビデに願いましたが、ここで彼がヨナタンではなく「サウルの家の者で・・」と言ったことは注目すべきです。これは、「私の命を不当に狙い続けた王の家に、憎しみの代わりに真実の愛を施したい」という願いです。

そして、彼はまずサウル家の有力なしもべだったツィバを召し出し、彼を通してヨナタンの子、足が不自由なメフィボシェテを探し出します。

 

メフィボシェテはダビデを恐れて「ひれ伏して礼をした」のですが、ダビデは「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう」と言います(9:6,7)。そして、「あなたの祖父サウルの地所をすべてあなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をすることになる」(9:7)と言って、サウルの家の富と名誉を回復させます。

そればかりか、ダビデはサウルの家の財産の管理をサウルのしもべだったツィバに全面的に任せます(9:9,10)これは実質的なサウル家の復興です。メフィボシェテには「ミカ」という息子がいましたから、これは人間的に考えると、ダビデ家にとっての競争者サウル家を保護し、国の分裂の種を温存するような意味をもちました。事実、ミカには四人の息子が生まれ、四男の家系は特に栄え、ベニヤミンの子孫として増えてゆきます。しかし、ダビデはそのような打算を超えて行動しました。

 

その際の鍵のことばは、「真実を尽くす」(9:1)、または「恵みを施す」で(9:3,7)、ヘブル語では同じ表現です。これは101,2節では「真実を尽くす」とも訳され、ヘブル語で「ヘセド」と発音され、聖書の中心的なことばです。それは「契約を守り通す愛」という意味です。

ヨナタンは自分の父に逆らってまでダビデに真実を尽くしましたが、ダビデは今、彼が死んでも、その真実に応答しているのです。それは人間的には、ダビデの家を危険に陥れるように見えますが、ダビデの家を建てるのは、人間の力ではなく、神の真実でした。ダビデは、神が彼の家を永遠に建てると言われたことばの真実に信頼して行動したのです。

 

4.「王たちはみな・・・イスラエルに仕えるようになった」

10章以降には、死海北東部のアンモン人との戦いが描かれます。ダビデは、アンモン人の王ナハシュが死んだとき、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう、彼の父が私に真実を尽くしてくれたように」と言って(10:2)、家来たちを通して悔やみを言うために遣わします。

ただし、ナハシュがダビデにどのような「真実を尽くした」は不明です。ただⅠサムエル11章では、サウルが王として立てられたときの最初の戦いがアンモン人とのものでした。つまり、アンモン人とサウルは犬猿の仲であったため、アンモン人はサウルに追われているダビデと同盟関係にあったのかもしれません

どちらにしても、ここではダビデが「真実を尽くそう」としたのに、それが仇で返されて争いになったという面が強調されます(10:2-4)

 

アンモン人の首領たちは、主君ハヌンに向かって、ダビデはスパイを送ったに過ぎないと助言し、ハヌンはそれに従って、ダビデの家来たちの「ひげを半分剃り落とし、衣も半分に切って」送り返します(10:3,4)。ダビデは家来が恥を晒さないで済むように気遣います。

しかし、「アンモン人は、自分たちがダビデに憎まれるようになったのを見て」(10:6)、ガリラヤ湖の北のベテ・レホブのアラム人、そのさらに北のツォバのアラム人を合わせて二万人、アンモン人のすぐ北に住むトブの兵士一万二千を雇い、ダビデを南と北から挟み撃ちにしようとします。

その際、ヨアブの冷静な判断と勇気ある行動によって戦いが勝利に導かれます(10:9-13)。彼は、「強くあれ、われわれの民のために、われわれの神の町々のために、奮い立とう。主(ヤハウェ)が御目にかなうことをされるのだ」と兵士たちを励まします。彼は神を信じる将軍でした。

 

ただ、それによって北の異民族が8章にあったツォバの王ハダドエゼルのもとに団結します(10:15,16)。彼は「ユーフラテス川の向こうのアラム人」までも呼び寄せ(10:16)、ガリラヤ湖の約60kmも東にあるへラムに集結します。それに対し、「ダビデはイスラエル全軍を集結させ、ヨルダン川を渡って、ヘラムへ進んだ」(10:17)のでした。

そして、その戦いのようすが驚くほど簡潔に、「アラム人はダビデと戦う備えをし、彼と戦った。アラム人はイスラエル前から逃げた」(10:17,18)と描かれます。そしてその勝利の大きさが、「ダビデはアラムの戦車兵七百と騎兵四万を殺し」とあるように84節に描かれた勝利をはるかに上回るものでした。

そしてその結果が、「ハダドエゼルに仕えていた王たちはみな、彼らがイスラエルに打ち負かされたのを見て、イスラエルと和を講じ、イスラエルに仕えるようになった」(10:19)と描かれます。

 

この戦いはダビデがアンモン人の王「ハヌンに真実を尽くそう」としたことに対して、ハヌンが不信実な応答をしたことから始まりました。しかも、彼らはダビデに憎まれるようなことをした上、北の王たちとの連合を組んでダビデに戦いを挑み、それに負けると、さらに強力なハダドエゼルのもとに集結します。

ダビデの勝利が大きなものとなっていったのは、彼らが連合を組んでくれたからです。ダビデはもともとイスラエル人の居住地を守ろうとしていただけなのですが、北の民族が勝手に戦いを挑んでくれて、その結果、彼らがそろってダビデに服従するようになってくれました。

その後、8章にあったように、ハマテの王までもがダビデに服するようになり、アブラハムに約束された広大な支配地に神の平和がもたらされました。ダビデは、ウェをイスラエルの真の王として建てたたことによって、約束の地全体をも支配できたのです。

私たちが「真実を尽くし」ていても、それが仇で返されるというのは、よくあることです。しかし、「恵み(真実)」は神のものです。神は、それぞれの人の行いに応じて、真実を報いてくださいます(詩篇62:12)

 

神はアブラハムへの約束に真実であられたというのが、旧約聖書の要約です。そして、ダビデの繁栄の基礎も、彼が主の愛と親友の愛に真実に応答したということにあります。神の真実と人の真実が共鳴しあった結果として、ダビデ王国が築かれたのです。

そして今日の箇所はその頂点で、その後、転落が始まります。Ⅱ讃美歌191 「主のまことは・・」は、リビングプレイズでは「父の神の真実は、とこしえまで変わらず、いつくしみとあわれみは尽きることがありません。すばらしい主、その真実は朝ごとに新しく・・」と訳されて歌われています。これこそ神のヘセド(真実の愛)を簡潔に歌ったものでしょう。

この曲は、哀歌3:22,23の「私は待ち望む。主(ヤハウェ)の恵み(ヘセド)を・・・私たちは滅び失せなかった・・あなたの真実は偉大です」をもとに作られました。それは、イスラエルが神に背き、当然の報いとして国を失ったにも関わらず、神はダビデ契約への真実のゆえに彼らの国を回復させてくださることを歌ったものです。

「私たちは真実でなくても、キリストは常に真実である」(Ⅱテモテ2:13)と言われる主の愛に従いましょう。そして、私たちも、この地においてダビデに習って、状況がいかに変わろうとも、友への真実を守り抜きたいものです。