私たちは小さいころから、「誠実さは報われる」と教わっています。ですから、「道徳と経営は合一すべきである」と説いた渋沢栄一の物語などが励ましになります。それを単なる理想と斜に構えていては人生の喜びを失います。 “ヨブ記15〜17章「ヨブが憧れたとりなし手とは」” の続きを読む
ヨブ記11〜14章「人は死ぬと、また生きるでしょうか?」
今から四、五十年前、欧米に行った人は、町の中に何らかの障害を持つ方が多いことに驚きました。ただ、日本でそのような方が少なく見えたのは、その存在を家族が恥じて、家の外に出さない結果だったと言われます。 “ヨブ記11〜14章「人は死ぬと、また生きるでしょうか?」 ” の続きを読む
球根の中には〜ヨブ記と詩篇22篇
今日は、日本では「建国記念の日」と呼ばれる祝日で、クリスチャンとしては複雑な思いを味わう日でもあります。 “球根の中には〜ヨブ記と詩篇22篇” の続きを読む
ヨブ記8〜10章「理性で把握できない神との対話に生きる」
第二次大戦中の英国を導いたチャーチル首相の息子ランドルフは友達と、「二週間で聖書を全部読むことができるか」という賭けに挑みました。聖書をそれまで一節も読んだことがなかった彼は恐ろしく興奮し、友に向かって、「君たちはきっと、こんなことが聖書に出てくるなんて知らなかったはずだ」と言いながら、わき腹を叩いて、「神様、あなたはくそじゃないか」と笑ったとのことです。 “ヨブ記8〜10章「理性で把握できない神との対話に生きる」” の続きを読む
ヨブ記4〜7章「抽象的な正論を言われることの切なさ」
ある人が最愛の人を失った時に、友人のクリスチャンから「神がすべてのことを働かせて益にしてくださる」(ローマ8:28、新改訳第三版) と言われ、無性に腹が立って、そのみことばが大嫌いになったという話を聞いたことがあります。 “ヨブ記4〜7章「抽象的な正論を言われることの切なさ」” の続きを読む
ヨブ記2、3章「死を待ち望む絶望感に寄り沿う」
横田早紀江さんは、ある日突然、愛娘のめぐみさんを北朝鮮の工作員によって拉致されて、20年間もその原因が分からずにいました。そのよう中で、友人から聖書を送られ、ヨブ記を読むようにと勧められました。そこで彼女は、自分以上の苦しみに会った人のことが、神に特別に愛されていた人であることが分かって、不思議な気持ちになりました。 “ヨブ記2、3章「死を待ち望む絶望感に寄り沿う」” の続きを読む
ヨブ記1章「主 (ヤハウェ) は与え、主 (ヤハウェ) は取られる」
この世界の出来事に、「原因があって、結果がある」という因果律を見ることは、物事を成し遂げるために大切な真理です。ただ、開拓農民の倅として育った私は、「怠けていると、冬に凍え死ぬ」という恐怖が心の底に焼き付きすぎて、ゆっくりと日常生活の中に楽しみを見出すことが疎かになったのかもしれません。それどころか、心の底のどこかに、頑張ることができない人への冷たさがあることに気づかされることがあります。 “ヨブ記1章「主 (ヤハウェ) は与え、主 (ヤハウェ) は取られる」” の続きを読む