多くの人々の心の中には、光によって自分の闇があぶり出されるのを恐れる思いがあるかもしれません。また人は、自分の罪を知りながら、それが人々の目にさらされるのを恐れ、ときに、それがあらわにされると必死に自己弁護をはかろうとします。イエスはそのような闇を抱えた人にどのように接してくださったでしょう。 “ヨハネ7章53節〜8章20節「わたしは、世の光です」” の続きを読む
ヨハネ7章30〜52節「生ける水の川が流れ出るようになる」
私たちは自分の世界でひとり平安を味わっていても、一歩外に出たとたん心が乱されます。私の予定に入りこみ、私の力を利用し、私の世界をかき回す人で満ちています。そんな人々を愛することは不可能にさえ思え、聖書を読むのが辛くなることがあるかもしれません。何が問題なのでしょう?何が足りないのでしょう? “ヨハネ7章30〜52節「生ける水の川が流れ出るようになる」” の続きを読む
ヨハネ7章1〜31節「神の時を知る幸い」
人の過失や気まぐれで「私の時」が左右されるのは辛いことです。しかし、後で「あれは主の時だった」と思えるなら幸いです。
「御手の中で」という賛美は伝道者の書3章11節の、“In His time, He makes all things beautiful”(神が、すべてをご自身の時に美しくしてくださる)から生まれました。たとい今が絶望的な時に思えたとしても、神はご自身の時に、それを感謝へと変えてくださいます。「時」の支配者を知る中に平安があります。 “ヨハネ7章1〜31節「神の時を知る幸い」” の続きを読む
ヨハネ6章52〜71節「このパンを食べる者は、永遠に生きる」
後藤健二さんの最後の様子が繰り返し映されます。それは悲しみをたたえながらも驚くほど静かな祈りの姿のようにも見えます。その意味を語るような彼の数年前のツイートが感動とともに世界に広がりました。 “ヨハネ6章52〜71節「このパンを食べる者は、永遠に生きる」” の続きを読む
ヨハネ6章24〜51節「神のパンは、天から下ってきて、世にいのちを与える」
後藤健二兄殺害のニュースが世界を巡り、イスラム国と称するテロリスト集団への残虐さが、日本人には理解できないかのように報道されています。しかし、今から四百年前、多くのヨーロッパの宣教師たちがはるばる船で来ましたが、その百数十人がこの日本の地で殺され、また、数万という日本のキリスト者が悲惨な死を遂げました。その残虐性はこの国にも存在しました。しかし、それは幸い、復讐の連鎖は生んでいません。なぜなら、死を遂げた方々は、憎しみではなく愛によって行動していたからです。 “ヨハネ6章24〜51節「神のパンは、天から下ってきて、世にいのちを与える」” の続きを読む
ヨハネ6章1〜29節「永遠のいのちに至る食物を与える方」
「今年こそ、念願がかなえられるように・・・」と思って努力することは本当に大切です。目標も持てずに、安易な妥協をすることの言い訳にキリスト信仰を持ち出してはなりません。私たちは神からあずけられた賜物を生かし、この世界を少しでも住みやすくするために、神に祈り、自分を差し出すことが常に求められています。 “ヨハネ6章1〜29節「永遠のいのちに至る食物を与える方」” の続きを読む
ヨハネ5章19〜47節「すでに始まっている救いの時」
クリスマスのたびごとに、「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」(イザヤ9:6)と読まれながら、闇の中で救いを待ち望んでいた人々のために救い主が誕生してくださったことを喜びます。 “ヨハネ5章19〜47節「すでに始まっている救いの時」” の続きを読む
ヨハネ5章1〜29節「死からいのちに移っている」
多くの人は信仰生活を、何かの教えを守ることだと誤解しています。しかし、それでは、「クリスチャンになったせいで、かえって生きにくくなった」と思うことになりかねません。 “ヨハネ5章1〜29節「死からいのちに移っている」” の続きを読む
ヨハネ4章27〜54節「今がその時です」
北大の学生が、テロ集団イスラム国の兵士になるためにシリヤに渡ろうとしたとのことですが、彼はただ、自分の絶望的な状況から逃げ出したいと思っていただけらしいとも報道されています。昔から、そのような現状逃避型の人は周りに見られました。 “ヨハネ4章27〜54節「今がその時です」” の続きを読む
ヨハネ4章1〜26節「神は真の礼拝者を求めておられる」
私たちのこころの中には、無限の神によってしか満たすことができない無限の深淵があります。多くの人はそれを世の誉れや一時的な快楽で満たそうとしますが、それは、麻薬のようなもので、真の幸福をもたらすことはできません。 “ヨハネ4章1〜26節「神は真の礼拝者を求めておられる」” の続きを読む