マタイ8章1〜17節「イエスの癒しの権威は、十字架につながる」

2020年3月8日

今年の受難節は2月26日の灰の水曜日から始まっています。2月26日と言えば、84年前1936年の二・二六事件を思い出します。そこから日本は後戻りのできない絶望的な戦争モードに入って行きました。

今年の2月26日は新型コロナウィルスに対する政府の声明が発表され、二週間にわたっての大規模イベントの自粛要請がなされ、そこから急速に全国の雰囲気が変わって行きました。もちろん、私たちは自分たちがウイルスを引き受けて、知らない間に、身体の弱い人にうつしてしまうようなことがあってはなりませんから、その対策に万全を期する必要があります。しかし、活動自粛ばかりが叫ばれる中で、今、私たちができることは何なのかを忘れてはなりません。 “マタイ8章1〜17節「イエスの癒しの権威は、十字架につながる」” の続きを読む

マタイ7章13〜29節「いのちを生み、教会を建てた教え」

2020年2月23日

イエスの山上の説教は世界を変えた教えです。これほど人々の心を動かした教えはありません。ただ同時に、様々な誤解もあります。

イエスの教えは、旧約の律法を否定したものではなく、そこに新しいいのちを与え、イスラエル民族のための律法を、全世界の民のための愛の教えへと変えました。しかも、イエスの教えはイエスご自身の聖霊の働きなしには全うできません。そこにキリストの教会の誕生もあります。 “マタイ7章13〜29節「いのちを生み、教会を建てた教え」” の続きを読む

マタイ7章1〜12節「愛への渇きから愛の連鎖へ」

2020年2月2日

私たちはみな心の底に、「愛への渇き」を持っています。そこから、人々の愛になさに失望して互いに非難し合うという連鎖になるのか、反対に、アダムの罪の原点に立ち返ってイエスの生き方に倣い、主の御父に「お父様!」とすがることができる自由を味わい、愛の交わりを広げることもできます。 “マタイ7章1〜12節「愛への渇きから愛の連鎖へ」” の続きを読む

マタイ6章19〜34節「神と富とに仕えることはできません」

2020年1月5日

以前、「お金と信仰」という題名の本を書き、キリスト教世界で話題になりました。ただその際、「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(マタイ6:24新改訳第三版) というイエスのおことばは、いつも心の底に響き続けていました。 “マタイ6章19〜34節「神と富とに仕えることはできません」” の続きを読む

マタイ6章1〜18節「天の父との交わりの中でこの世に生きる」

2019年12月15日

私たちの信仰は、親しい人々が見ていないところで、どのように行動するかに現わされます。イエスの時代のパリサイ人は、人々から正しいことを行う信仰者とした高く評価され、模範となっていました。しかし、イエスは彼らがいつも人々の目ばかりを意識して行動していると、その偽善を激しく非難しました。 “マタイ6章1〜18節「天の父との交わりの中でこの世に生きる」” の続きを読む

マタイ5章33〜48節「天の父の完全を目指して」

2019年12月1日

イエスの時代のイスラエルではローマ帝国からの独立運動が盛んで、現在のアラブのテロリストと同じことをユダヤ人が行なっていました。彼らはイエスが説教した近くの洞穴に隠れ、ゲリラ戦で圧倒的なローマ軍と戦い続けていました。

イエスはその戦いのただ中で、「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われました。「」とは、「厭な人」ではなく「敵対してくる人」のことです。 “マタイ5章33〜48節「天の父の完全を目指して」” の続きを読む

マタイ5章17〜32節「律法を成就するキリスト」

2019年11月17日

子どもは大人を振り回す天才とも言えますが、イエスは「向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入ることはできません」(マタイ18:3) と言われました。これは、子どもの心は純粋、無垢だというのではなく、自分の無力さを心の底で自覚している姿勢に倣うようにとの、心の方向転換の勧めと言えます。 “マタイ5章17〜32節「律法を成就するキリスト」” の続きを読む

マタイ5章1〜16節「主にすがり、地の塩、世の光として生きる」

2019年11月10日

「杖にすがるとも、人にすがるな」ということわざがあります。「すがる」というのは依存症的な生き方の象徴なのかも知れません。

ただし、私たちは誰もが皆、何かに対する依存症者であるとも言われます。それには、ギャンブル依存、薬物依存、買い物依存のようなものから、仕事依存、人間関係依存、ネット依存、活字依存など多様なものがあります。 “マタイ5章1〜16節「主にすがり、地の塩、世の光として生きる」” の続きを読む

マタイ4章12〜25節「真理はあなたがたを自由にする」

2019年10月20日(世界宣教の日)

私は学生時代に英会話を学ぶために宣教師のもとを訪ねました。そしてあるとき伝道集会に誘われて行きました。そこではヨハネの福音書4章14節から、「永遠のいのちへの水が湧き出る」という「」を受けるようにとの招きがありました。そこでイエスを救い主として信じたい人は、前に出るようにと言われました。私はそこで、「ここで信仰の決心をするなら、日本社会の中で浮いてしまい、将来に傷がつく……」とためらいました。 “マタイ4章12〜25節「真理はあなたがたを自由にする」” の続きを読む

マタイ4章1〜11節「悪魔の誘惑の昔と今」

2019年9月29日 

私たちはこの世での生活で、いつも「どんな働きをしていますか?」(成功)、「どのように人から見られていますか?」(評判)、「どんな影響力を持っていますか?」(力)という観点から「自分が何者か」を意識しようとしてはいないでしょうか?

これらはすべてイエスが退けられた、パンや富を第一とする成功、神殿の頂から飛び降りるというパーフォーマンス、この世界を従えようとする権力の誘惑と結びついています。悪魔の誘惑は今も、いつも目の前にある現実です。 “マタイ4章1〜11節「悪魔の誘惑の昔と今」” の続きを読む