三千数百年前に記された聖書には驚くほど詳細な感染症対策が記されています。その代表としてハンセン病との類比性が見られるツァラアトがありましたが、当時に、死体に触れることや出血性疾患との分離規定がありました。そして社会的には、ローマ帝国の支配を正当化する取税人のような人間との分離が強く勧められました。 “マタイ9章14〜26節「はちきれるいのちを与えるイエス」” の続きを読む
マタイ9章1〜13節「わたしが喜びとするのは真実の愛」
現代のコロナウィルスの悲劇の中で私たちは、「さあ、主 (ヤハウェ) に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる (After two days he will revive us; on the third day he will raise us up, that we may live before him)」(ホセア6:1) と告白することができます。 “マタイ9章1〜13節「わたしが喜びとするのは真実の愛」” の続きを読む
マタイ8章18〜34節「イエスのご支配の中で愛を学ぶ」
世界的なウィルスの蔓延を見ても、身近な人々が感染しない限り大きなショックを受けることがないかもしれません。ただ今後の景気の先行指標とも言える株価の大暴落は、今の危機が、一人ひとりの生活に直結していることを示しています。株に無縁な階層こそが、誰よりも苦しみます。
世界は恐ろしいほどに不安定なのです。しかし、それは創造主のご支配が全世界を隅々に及ぶことを覚える契機でもあります。 “マタイ8章18〜34節「イエスのご支配の中で愛を学ぶ」” の続きを読む
マタイ8章1〜17節「イエスの癒しの権威は、十字架につながる」
今年の受難節は2月26日の灰の水曜日から始まっています。2月26日と言えば、84年前1936年の二・二六事件を思い出します。そこから日本は後戻りのできない絶望的な戦争モードに入って行きました。
今年の2月26日は新型コロナウィルスに対する政府の声明が発表され、二週間にわたっての大規模イベントの自粛要請がなされ、そこから急速に全国の雰囲気が変わって行きました。もちろん、私たちは自分たちがウイルスを引き受けて、知らない間に、身体の弱い人にうつしてしまうようなことがあってはなりませんから、その対策に万全を期する必要があります。しかし、活動自粛ばかりが叫ばれる中で、今、私たちができることは何なのかを忘れてはなりません。 “マタイ8章1〜17節「イエスの癒しの権威は、十字架につながる」” の続きを読む
マタイ7章13〜29節「いのちを生み、教会を建てた教え」
イエスの山上の説教は世界を変えた教えです。これほど人々の心を動かした教えはありません。ただ同時に、様々な誤解もあります。
イエスの教えは、旧約の律法を否定したものではなく、そこに新しいいのちを与え、イスラエル民族のための律法を、全世界の民のための愛の教えへと変えました。しかも、イエスの教えはイエスご自身の聖霊の働きなしには全うできません。そこにキリストの教会の誕生もあります。 “マタイ7章13〜29節「いのちを生み、教会を建てた教え」” の続きを読む
マタイ7章1〜12節「愛への渇きから愛の連鎖へ」
私たちはみな心の底に、「愛への渇き」を持っています。そこから、人々の愛になさに失望して互いに非難し合うという連鎖になるのか、反対に、アダムの罪の原点に立ち返ってイエスの生き方に倣い、主の御父に「お父様!」とすがることができる自由を味わい、愛の交わりを広げることもできます。 “マタイ7章1〜12節「愛への渇きから愛の連鎖へ」” の続きを読む
マタイ6章19〜34節「神と富とに仕えることはできません」
以前、「お金と信仰」という題名の本を書き、キリスト教世界で話題になりました。ただその際、「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(マタイ6:24新改訳第三版) というイエスのおことばは、いつも心の底に響き続けていました。 “マタイ6章19〜34節「神と富とに仕えることはできません」” の続きを読む
マタイ6章1〜18節「天の父との交わりの中でこの世に生きる」
私たちの信仰は、親しい人々が見ていないところで、どのように行動するかに現わされます。イエスの時代のパリサイ人は、人々から正しいことを行う信仰者とした高く評価され、模範となっていました。しかし、イエスは彼らがいつも人々の目ばかりを意識して行動していると、その偽善を激しく非難しました。 “マタイ6章1〜18節「天の父との交わりの中でこの世に生きる」” の続きを読む
マタイ5章33〜48節「天の父の完全を目指して」
イエスの時代のイスラエルではローマ帝国からの独立運動が盛んで、現在のアラブのテロリストと同じことをユダヤ人が行なっていました。彼らはイエスが説教した近くの洞穴に隠れ、ゲリラ戦で圧倒的なローマ軍と戦い続けていました。
イエスはその戦いのただ中で、「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われました。「敵」とは、「厭な人」ではなく「敵対してくる人」のことです。 “マタイ5章33〜48節「天の父の完全を目指して」” の続きを読む
マタイ5章17〜32節「律法を成就するキリスト」
子どもは大人を振り回す天才とも言えますが、イエスは「向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入ることはできません」(マタイ18:3) と言われました。これは、子どもの心は純粋、無垢だというのではなく、自分の無力さを心の底で自覚している姿勢に倣うようにとの、心の方向転換の勧めと言えます。 “マタイ5章17〜32節「律法を成就するキリスト」” の続きを読む