中国のゼロ・コロナ政策やロシアでの言論統制のことが話題になりますが、日本もつい80年前は同じような統制下に置かれていたことを思えば、他人ごととは言えません。 “ネヘミヤ13章「人の心の限界を超える神の救い」” の続きを読む
ネヘミヤ11章1節~13章3節「主を賛美する群れとしての成長」
聖書の民の礼拝の最大の特徴は、そこに豊かな音楽があることです。それは共同体として専門の聖歌隊や楽器奏者を支えることから生まれます。 “ネヘミヤ11章1節~13章3節「主を賛美する群れとしての成長」” の続きを読む
ネヘミヤ9、10章「神の真実を思い起こす」
キリスト教会では、時に、神のさばきを語り、罪の自覚を強く促した上で、十字架による赦しの喜びを告げようとしますが、それは人を委縮させる方向に働く場合があります。しかも、恐怖心によって人を支配するのは、人を奴隷状態に留めることに他なりません。 “ネヘミヤ9、10章「神の真実を思い起こす」” の続きを読む
ネヘミヤ7、8章「主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力です」
1929年の世界大恐慌の直後に米国の大統領に選ばれたフランクリン・ルーズベルトは、その就任演説で、「私たちが唯一恐れるべきは、恐れそれ自体である。それは名づけようもない、不合理な、正当化できない恐れであり、それが前に進むために必要な努力を麻痺させてしまう」と語りました。 “ネヘミヤ7、8章「主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力です」” の続きを読む
ネヘミヤ5章1節〜7章4節「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」
武田信玄が国をまとめた理念をもとにした民謡で、「人は石垣、人は城、情けは味方、仇(恨み)は敵」と歌われます。信玄は強固な城を築くよりも家臣たちとの心の繋がりこそが最大の防御になると信じました。なお徳川家康は信玄に敗北することを通してそれらの原則を学び、それが徳川幕府の長期政権へと結びつきます。 “ネヘミヤ5章1節〜7章4節「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」” の続きを読む
ネヘミヤ3、4章「一気呵成に進められた城壁再建」
聖書では、安息日の教えから始まって季節ごとの様々な祭りなど、休むことが神の前での義務とされている日々が驚くほど多くあります。長い人生を短距離走のように走り抜けようとすると、自分の身にも周りにも様々な害を及ぼします。 “ネヘミヤ3、4章「一気呵成に進められた城壁再建」” の続きを読む
ネヘミヤ1、2章「神の恵みの御手が働くとき」
私たちの人生は、なかなか思い通りには進みません。そのような中で、多くの信仰者は、伝道者の書の3章に、「すべてには季節があり、天の下のすべての営みには時がある……崩すのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、笑うのに時がある……求めるのに時があり、失うのに時がある……黙るのに時があり、話すのに時がある……私は見た……神がすべてをご自身の時に美しくしておられるのを(新改訳「神のなさることはすべて時にかなって美しい」)と記されていることに慰めを見出しています。 “ネヘミヤ1、2章「神の恵みの御手が働くとき」” の続きを読む
ネヘミヤ13章4〜31節「人の心の限界を超える神の救い」
2012年3月11日
昨年の東日本大震災以来、日本では絆という言葉に代表されるような糸偏のことばが好まれています。日本は、団結力によって難局を乗り切るなどという国民意識の高揚も見られます。そのような中で、ふと、そこに息苦しさを感じる人もいます。なぜなら、はずれた見方をする人は排除されがちだからです。そして、人間関係を何よりも大切にする意識こそが、原発の安全神話を作り、想定外の危機への対処を怠るという構造を作ってきたと思われるからです。 “ネヘミヤ13章4〜31節「人の心の限界を超える神の救い」” の続きを読む
ネヘミヤ12章27〜43節「主を賛美する群れとしての成長」
2012年2月26日
聖書の民の礼拝の最大の特徴は、その中心に豊かな音楽があるということです。そして、その豊かさは、共同体全体として専門の聖歌隊や楽器奏者を支えるということから生まれます。ダビデの何よりの遺産は、その美しい詩篇の賛美とともに、専門家を育て、賛美を組織化したということにあります。ルターの宗教改革の何よりの特徴は、その音楽の豊かさにありました。 “ネヘミヤ12章27〜43節「主を賛美する群れとしての成長」” の続きを読む
ネヘミヤ9章〜10章「神の真実を思い起こす」
2011年2月5日
キリスト教会では、時に、神のさばきを語り、罪の自覚を強く促した上で、赦しの喜びを告げようとしますが、それは人を委縮させる方向に働きます。しかも、恐怖心によって人を支配するのは、人を奴隷状態に留めることに他なりません。 “ネヘミヤ9章〜10章「神の真実を思い起こす」” の続きを読む