ネヘミヤ7、8章「主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力です」

2022年2月27日

1929年の世界大恐慌の直後に米国の大統領に選ばれたフランクリン・ルーズベルトは、その就任演説で、「私たちが唯一恐れるべきは、恐れそれ自体である。それは名づけようもない、不合理な、正当化できない恐れであり、それが前に進むために必要な努力を麻痺させてしまう」と語りました。

さらに彼は、「幸福とは、財産を所有することの中にではなく、何かを達成できる喜び、創造的な努力をする感動の中にある」と、闇の中に希望を見つけて大胆に冒険することを勧めました。

私たちも今、二年余り続く感染症の出口に差し掛かっていますが、ここで、今までの神の恵みを振り返るとともに、ここから新しい道を開いてくださる全能の主 (ヤハウェ) に期待し、主のみわざを喜ぶことができます。

ネヘミヤはユニークな発想でイスラエルを導いた強力なリーダーでしたが、彼は何よりも、神の恵みの歴史に基づいた「夢」を掲げていました。

申命記30章9節にはバビロン捕囚後の夢が、「主は、あなたの父祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる」と記されています。自己犠牲を訴えることも時には大切ですが、人々を導くのは歴史に基礎を置いた「夢」ではないでしょうか。

1.「私の神は、私の心を動かして……彼らの系図を記載するようにされた」

7章初めでは、エルサレム城壁完成直後の様子が、「城壁が再建され、私が扉を取りつけたとき、門衛、歌い手、レビ人が任命された」(7:1) と描かれます。「歌い手」の任命が敢えて記されるのは興味深いことです。それは主への礼拝のためです。

さらにネヘミヤは、エルサレムを治める働きをハナニとハナンヤに委ね、そこで特に「太陽が高く上って暑くなるまでは、エルサレムの門を開けてはならない。そして彼らが警備に立っている間に、門をしっかり閉じておきなさい。エルサレムの住民を、それぞれ物見のやぐらか自分の家の前に、見張りとして立てなさい」と命じました (7:3)。これは城壁の門を開く時間を短くすることによって、敵の攻撃や、内部を攪乱する敵のスパイの侵入を防ぐためでした。

その上で、「この町は広々としていて大きかったが、その中の住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった」(7:4) と当時の状況が描かれますが、城壁が完成した今、いよいよ新たな発展を望むことができます。

そこでネヘミヤは「私の神は私の心に示して、私に有力者たちや、代表者たちや、民衆を集めて、彼らの系図を記載させた」(7:5) と記しますが、これは彼が2章12節で、「私の神がエルサレムのためにさせようと私の心に示しておられることを、だれにも告げなかった」と記していたことと同じです。

彼は何よりも、神の御前に静まり、神が自分の心を動かしてくれることに忠実であろうとしました。なお、しばしば、「御霊の導きで示されて……」と言いながら、自分の直感に頼っている場合がありますが、ネヘミヤの場合は、神に心を動かされることと、現実を正確に理解することは、車の両輪のように切り離せない関係にありました。

当時のイスラエルの民にとって、系図の記録は神の契約を受け継がせるという意味を持っていました。信仰は極めて個人的なことですが、それは同時に親から子へと受け継がれてゆくものでもあるからです。私たちの時代は、信仰の継承における親の権威があまりにも軽くなりすぎている気がします。

そのような中でネヘミヤは、「私は最初に上って来た人々の系図を発見し、その中に次のように書かれているのを見つけた」と記します (7:5)。これは彼にとって93年前の記録です。

ちなみに現代から93年前は1929年の世界大恐慌に相当します。日本はそこから農業恐慌、満州事変、国際連盟からの脱退、二・二六事件、盧溝橋事件、日中戦争と坂道を転がるように落ちて行きました。一方アメリカは1933のフランクリン・ルーズベルトによるニューディール政策を機に世界最大の経済力を誇る国へと成長します。

ネヘミヤはその記録を見ながら、そこにあった恵みと同時に、そこから始まった問題に思いを巡らしたのではないでしょうか。詩篇126篇にはその時の感動が、「主がシオンを復興してくださったとき私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき 私たちの口は笑いで満たされた。私たちの舌も喜びの叫びで……」と記されます。

しかし、それは夢が破れる始まりでもありました。人々はすぐに自分の生活のことで心が一杯になり、民の間の経済格差が広がり、民の一致が乱れ、城壁の再建がまったくできなくなりました。ネヘミヤは当時を振り返りながら、あるべき原点に立ち返ろうとしていたと言えましょう。

米国のルーズベルトは「恐れ」からの解放と夢を語る一方、日本は大陸での満州国の開拓に儚(はかな)い夢を抱かせました。

後者は現代のロシアの指導者プーチンが語る恐れとロシア帝国の復興の夢に似ています。

2.「大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである」

そして、7章6節から72節までのことばは、エズラ2章の記事とほとんど同じです。一族の呼び名や数字に若干の違いがある箇所もありますが、それは記者がいつどこで書いたかの違いから生まれる誤差と言えましょう。同一の出来事に関して敢えて二つの記録が残され、それがほとんど同じであること自体が、何よりも驚くべきことです。

69節からの記述はエズラ記と少し変わり、「一族のかしらの何人かは、工事のためにささげ物をした……」としながら、総督、一族のかしら、そのほかの民のささげものと区分けして描かれます。エズラ記ではこれらの合計が、「金六万一千ダリク、銀五千ミナ」(2:69) と記されていました。これは現在の約38億円に相当します。

彼らは着の身着のままでバビロンに連行されながら、50年後には捕囚の地で豊かになって帰ってきたのです。不思議にも、50年間のバビロン捕囚を通してイスラエルの民は豊かにされました。

しかしエルサレムに帰ってからの90年間は、神殿の再建の喜びも束の間のことで、その後は、日々の生活に追われ、マラキ書で「神に仕えるのは無駄だ」(3:14) と記されているような礼拝への倦怠感が生まれました。それは貧富の格差の広がりの中で、神を礼拝していない者の繁栄を見たからでもあります。

ネヘミヤの改革はその悪循環を断ち切ったのです。逆境の中の方が人間は成長します。日本も戦後の復興を成し遂げた後で、夢が破れるプロセスに入っているのではないでしょうか。

7章72節の最後の文章からはこのエルサレムへの最初の帰還から約90年余り後の城壁完成後の記述です。「イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が来たとき、民は一斉に……集まって来た」という記述は、エズラ記3章1節と同じ表現です。ただ約13年前のエズラ記では集まった場所が「エルサレム」である一方、ネヘミヤ記では「水の門の前の広場」と記されています。

エズラ記では神の祭壇を築き、全焼のささげ物を献げ、仮庵の祭りを祝い、神殿の礎を据えた様子が描かれていました。それはエルサレムに帰還できたことを心から喜ぶ、祝いの機会でもありました。

それに対して、ここのテーマはエルサレム城壁の完成の祝いという意味があります。城壁の完成はエルルの月、つまり第六の月の二十五日でしたから、これはその五日以内のことです。

第七の月の第一日は「角笛を吹き鳴らして記念する聖なる会合」の日で (レビ23:24)、後のイスラエルではそれが一年の始まりの日、元旦とされました。そして、その十日は民全体のための大贖罪の日、十五日から「仮庵の祭り」が始まりました。つまり第七の月はイスラエルにとって再出発を記念する月だったのです。

そして集会の場が「水の門 (Water Gate) の前の広場」でしたが、それは城壁の外にあるギホンの泉に最も近い門でした。これは城壁の完成を祝うという意味では最もふさわしい場所だったからだと思われます。

ただ同時に、ここではその後の展開が、「彼らは、主 (ヤハウェ) がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに言った(8:1) と記されます。それは、律法の朗読と解き明かしが、民の生活の場の中心で語られたという意味でもあります。

かつてエルサレムに最初に戻ってきた人々にとっての最大の課題は神殿再建と礼拝の復興でしたが、ここでのテーマは、神の民の共同体としての再建でした。ネヘミヤは城壁工事の真っ最中に、貧しい人々の訴えに真剣に耳を傾けて、民の貧富の格差の是正のための大きな決断を導きましたが、その連続性がここにあるのでしょう。

なお、この13年前の記録がエズラ記10章9節に記されています。そこではすべてのイスラエルの男性神の宮の前の広場」に集められ、大雨に震えながら、外国の女をめとった者たちへの悔い改めが強く迫られていました。

しかし、この集会の場は、水の門の前であり、秋の麗しい日差しのもとで、女性も子どもも集い、みなが心から神のみことばを聞こうとしていました。その様子が8章2、3節で、「そこで、第七の月の一日に祭司エズラは、男、女、および、聞いて理解できる人たちすべてからなる会衆の前に律法を持って来て、水の門の前の広場で夜明けから真昼まで、男、女、および理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな、律法の書に耳を傾けた」と描かれます。

ここではエズラの祭司としてのリーダシップが強調されながら、その直後に、学者エズラは、このために作られた木の台の上に立った」(8:4) と、ここで彼が「学者」と呼ばれていることは興味深いことです。彼のそばには、右手に六人、左手に七人が立っていました。彼らは交代しながら聖書を朗読したのでしょう。

そしてそこでの様子が、「エズラは民全体の目の前で、その書を開いた……彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。エズラが大いなる神、主 (ヤハウェ) をほめたたえると、民はみな両手を上げながら、「アーメン、アーメン」と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主 (ヤハウェ) を礼拝した」(8:5、6) と描かれます。

7節には再び別の13人のレビ人の名が記されますが、彼らは「民に律法(みおしえ)を解き明かした」と記されます。それは読まれたヘブル語を当時の民の言葉のアラム語に翻訳することだったかもしれませんし、読まれた箇所の短い解説だったかもしれません。

その結果が、「彼らが神のみおしえ(律法)の書を読み、その意味を明快に示したので、民は読まれたことを理解した」(8:8) と記されます。仏教のお経やイスラム教のコーランの例にあるように、しばしば宗教の聖典は、理解されることよりも正確に朗読されること自体に意味を持たせようとする場合がありますが、ここでは「民は……理解した」ということが強調されています。

そのような中で、「総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって」、「今日は、あなたがたの神、主 (ヤハウェ) にとって聖なる日である。悲しんではならない。泣いてはならない」と言いました (8:9)。それは「民が律法(みおしえ)のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである」と説明されます。

律法(みおしえ)の終わりの部分には、神の御教えを軽蔑した者に対する恐ろしいさばきが記されています (申命記28章、レビ記26章)。それがバビロン捕囚として成就しました。民はその歴史を思い起こしながら「泣いていた」のでしょう。

それにしても、ネヘミヤとエズラとレビ人たちがひとつ思いになって民を導いているという姿は感動的です。これこそ御霊のみわざです。

その上でネヘミヤは、「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない」と言いました (8:10)。何も用意できなかった者に対する配慮までが記されていることは、まさにネヘミヤらしいことばです。

なお、最後のことばは以前の訳では、「あなたがたの力を主 (ヤハウェ) が喜ばれるからだ」と訳されていましたが、新改訳2017年版では、「主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ」と訳されており、この方が一般的です。

レビ記でも申命記でも、主ののろいが実現した後に、主の祝福のときが始まると記されていました。過去の反省も大切なのですが、それ以上に大切なのは、主が私たちの罪にも関わらず、私たちを赦し、回復させてくださったということを覚えることです。

深く反省して行動を改めるというのは、この世の道徳律での常識です。しかし、聖書の教えの核心は、人間の教えを超えた神のみわざに目を留めることです。彼らはこのとき新しい神の民の共同体として再出発するときでした。ですから、彼らに必要なのは、何よりも、「主 (ヤハウェ) を喜ぶこと」だったのです。それは私たちにとっても同じです。

8章11節では、それに続いて「レビ人たちも、民全体を静めながら」、「静まりなさい。今日は聖なる日だから。悲しんではならない」と「言った」と敢えて描かれます。

そしてその結果が、「こうして、民はみな帰って行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである」(8:12) と記されます。

ここでも8節と同じように「理解した」と記されています。彼らは真剣に律法の朗読と解き明かしに耳を傾けましたが、「心から聞く」ことこそが律法の核心です。

イエスは律法の核心を、申命記6章4節を引用しながら、「聞け、イスラエルよ」という部分から読まれました (マルコ12:29)。「聞きなさい(シェマー)」という部分を省略して神の命令を語ることは、律法の核心を歪めることになります。

3.「捕囚から帰って来た全会衆は……仮庵に住んだ……それは非常に大きな喜びであった」

8章13節には、「二日目に、民全体の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た」と記されます。これは民の指導者たちが自分から積極的に聖書を学ぶ姿勢を持つようになったことを示します。

そこで彼らは、「主 (ヤハウェ) がモーセを通して命じた律法に」、「イスラエルの子らは第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならないと「書かれているのを見出し」ます (8:14)。

仮庵の祭りに関しては、ソロモンの神殿が完成したときにも、また最初のエルサレム帰還の民も大々的に祝ったということが記されています (Ⅱ歴代8:13、エズラ3:4)。しかし、実際に仮庵を作って住むということは忘れられていたのでしょう。

ただそこでは続けて、「自分たちのすべての町とエルサレムに通達を出して」、「山へ出て行き、オリーブの葉、野生のオリーブの木の葉、ミルトスの葉、なつめやしの葉、また茂った枝木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作るように」と「知らせなければならない」と命じられていました (8:15)。

仮庵を作る材料はすべて土地の豊かさを現す植物で、レビ記23章39–43節に記されていますが、通達の出し方までは記されていませんでした。

とにかくそこでは何よりも、「七日間、あなたがたの神、(ヤハウェ)の前で喜び楽しむことが命じられていました (同40節)。申命記の並行個所でも、「あなたは大いに喜びなさい」(16:15) と命じられています。

それに応じて、「民は出て行き、枝を取って来て、それぞれ自分の家の屋根の上や庭の中、また神の宮の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場に、自分たちのために仮庵を作った」と描かれます (8:16)。

そして「捕囚から帰って来た全会衆は仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエルの子らはこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった」(8:17) と、これがヨシュアに導かれて約束の地に入って以来の大きな出来事であると描かれます。

確かにイスラエルの民は仮庵の祭りを祝ったのですが、このように実際に仮庵に住んで「喜び楽しむ」という面がなかったのでしょう。

さらに「神のみおしえ(律法)の書は、最初の日から最後の日まで毎日朗読された。祭りは七日間祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行われた」(8:18) と記されます。

エズラ記以前の記述では、祭りにおける「ささげ物」の量に焦点が合わされがちでしたが、ネヘミヤでは聖書朗読に耳を傾けることと、主を喜ぶということに焦点が合わされます。

不思議に今回の箇所では、民の側からの「ささげ物」という犠牲に関しては何も書かれず、聖書朗読を聞き、みことばを学び、「主 (ヤハウェ) を喜ぶ」ことばかりが強調されています。そして、それこそバビロン捕囚から帰還した民にとっての礼拝の特徴になったのだと思われます。それこそ新約における礼拝への橋渡しになる礼拝です。

「主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ」(8:10) と記されますが、「主 (ヤハウェ) を喜ぶ」とは、何よりも、主の恵みのみわざを思い起こすことと同時に、主が約束しておられる将来への「夢」を思い描くことから生まれるものです。

聖書を読むことによって、神がこの世界の歴史を完成へと導いておられることが見えてきます。それは一人ひとりの人生に関しても適用できることです。あなたの人生に現された神の恵みを繰り返し思い起こしましょう。

その上で、そこから将来への「夢」を思い描くのです。それはシャローム(平和、繁栄)の実現です。それこそ神の民の「力」の源泉です。自分の無力さに圧倒されるような時こそ、「主 (ヤハウェ) を喜ぶ」という信仰の原点に立ち返り、将来に対する主の約束を生き生きと思い描いてみましょう。

現実に根差した「夢」を持っている人は、閉塞感に満ちた世界を変える力を持っています。

ルーズベルト大統領のニューディール政策から、政府が道路やダムを作って、経済を成長させるという考え方が生まれ、その行き過ぎが指摘されることがあります。

しかし、彼はたとえば、「連邦美術計画」を立ち上げて、食べて行けなくなった芸術家を救済するようなこともしました。その結果、数多くの芸術家や建築家やデザイナーが公共建築、その他の大規模プロジェクトに参加し、人々の気持ちを豊かにすることに貢献しました。

歴史を振り返ると、感染症の流行は人類に過去との決別を迫り、新たな世界を想像させてきたと言われます。今回の感染症の流行も、ある世界と次の世界をつなぐポータル(大きな建物の入り口、正面玄関)であると考えることができます。

私たちは、偏見や憎しみ、貪欲さを引きずって歩き続けることもできますが、重荷を捨てて軽やかに歩き、別の世界を想像することもできます。そして私たちはその新しい世界の実現のために健徳的に戦うこともできます(マリアナ・マッカート「ミッション・エコノミー」p256)。

キリストのうちに生きる者こそが、今ここにある神の新しい創造のみわざを発見して喜ぶと同時に、最終的な平和シャローム)の完成を夢みて、闇の中に希望の灯を示すことができます。

この世界のすべては、愛に満ちた全能の神の御手の中にあります。それを喜び、楽しみ、期待を持って前に進みましょう。