私たちの信仰はときに、「建前」のようなドグマに支配され、本音を言えなくなってしまうことがないでしょうか。かつての太平洋戦争を導いた東條英機首相は、「戦争が終わるということは……われわれが勝つということだ……天皇陛下は神であって、天皇陛下に帰一していれば、国体の輝くこの国は負けるわけがない。戦っていまだかつて負けたことのない国なのだから」と語っていたとのことです。 “マタイ27章1〜14節「建前の信仰ではなく、本音の信頼によって」” の続きを読む
イザヤ40章「主を待ち望む者は、新しく力を得る」
本日は私たちの主イエスの復活を祝う日、死の力を砕かれた新しい世界の誕生の日です。ヘンデル作曲のオラトリオ「メサイア」は、聖書のみことばだけを何の解説もなしに歌いながら「救い主」の意味を伝えています。 “イザヤ40章「主を待ち望む者は、新しく力を得る」” の続きを読む
イザヤ38、39章「バビロン捕囚への道を開いた王ヒゼキヤ」
ヒゼキヤ王は聖書で、「彼はイスラエルの神、主 (ヤハウェ) に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった」(Ⅱ列王18:5) と模範的な王のように描かれます。 “イザヤ38、39章「バビロン捕囚への道を開いた王ヒゼキヤ」” の続きを読む
イザヤ36、37章「大昔に、わたしがそれを計画し、今、それを果たした」
私たちはだれも明日のことは分かりませんが、永遠の計画は知らされています。それは平和(シャローム)に満ちた世界の完成です。主(ヤハウェ)はそのゴールを大昔に計画し、それを実現してくださいます。 “イザヤ36、37章「大昔に、わたしがそれを計画し、今、それを果たした」” の続きを読む
マタイ27章3〜5節「使徒イスカリオテ・ユダ」(寺村幸雄神学生)
2023年3月19日(音声のみ)
イザヤ34、35章「この方は来られる。そしてあなたがたを救われる」
「私たちは、キリストによって救われました」と福音的な信仰者は言いますが、その「救い」とは何を意味するのでしょうか?イザヤ書には驚くほど多面的な「救い」の表現があります。 “イザヤ34、35章「この方は来られる。そしてあなたがたを救われる」” の続きを読む
マタイ26章69〜75節「この岩の上にわたしの教会を建てます」
ヨーロッパにはキリストの弟子を自分たちの地方の守護聖人として崇める伝統があります。たとえばペテロの兄弟アンデレはスコットランドの守護聖人とされ、それは青地に斜め白十字の国旗にも表されています。それは、彼の殉教後に、彼の骨を乗せた船がスコットランドに流れ着いたと言われているからです。 “マタイ26章69〜75節「この岩の上にわたしの教会を建てます」” の続きを読む
イザヤ32、33章「見よ、シオンを、私たちの祝祭の都を」
「イエス様を信じたら、天国に行ける……」というのは間違っていませんが、その「天国」とはどのようなところでしょう。そこで思い浮かぶのが聖歌687番で、「1. まもなくかなたの流れのそばで、楽しく会いましょう、また友達と。 神様のそばの綺麗な綺麗な川で、みんなで集まる日の、ああ懐かしや。 2. 水晶より透き通る流れのそばで、主を賛美しましょう、み使いたちと……」と歌われます。 “イザヤ32、33章「見よ、シオンを、私たちの祝祭の都を」” の続きを読む
マタイ26章57〜68節「イエスの王としての現れ」
世界中のほとんどの人は、イエスが無実の罪で十字架刑にされた悲劇の主人公であるかのように見ています。事実、十字架は神の愛を表すシンボルと見られ、未信者でさえ装飾品として首にかけているほどです。しかし、私たちは、キリストの支配がすでに今始まっていることを、たとえばメサイアのハレルヤコーラスで、「He shall reign for ever and ever, King of Kings, Lord of Lords(キリストは統べ治めておられる、王たちの王、主たちの主として)」と賛美します。 “マタイ26章57〜68節「イエスの王としての現れ」” の続きを読む
イザヤ30、31章「主 (ヤハウェ) の前に静まる中に生まれる力」
目の前の問題に圧倒されていたとき見えなかったことが、ふとしたことで解決が見えたというようなことがないでしょうか。熱くなりすぎたり、力づくになってしまうことは、かえって問題を複雑化させてしまいがちです。 “イザヤ30、31章「主 (ヤハウェ) の前に静まる中に生まれる力」” の続きを読む