2006年7月23日
「善きサマリヤ人のたとえ」は、教会の歴史の中で、単なる「隣人愛の模範」としてひとり歩きするようになり、そのうちに、その人がどのような神々を信じていようとも、隣人愛を実践できているかどうかの方が大切であるとの解釈さえ生まれました。しかし、著者ルカは、この直後に、「マルタとマリヤ」のことを記し、主のみこころを聞くことを後回しにした熱心さによって主を悲しませた実例を紹介します。それは、主の御前に静まり、主の御声を聞くことこそ、すべての隣人愛の原点とならなければならないからです。 “ルカ10章29〜42節「どうしても必要なものはただ一つだけです」” の続きを読む