2007年3月25日
詩篇69篇
指揮者のため、ユリの調べに合わせ、ダビデによる
2007年1月28日
失敗をした言い訳に、「ストレスを受けていたから……」と言われることがありますが、人が道を踏み外すのは順調であるときの方が多いかもしれません。だからこそダビデは詩篇19篇で「このしもべの高慢を抑え、支配させないでください。それで私は完全にされ、重い罪からきよめられます」と祈っています。それは彼の反省から生まれているのでしょうが、不思議にも、ここでは彼が犯した恐ろしい罪の動機はほとんど分析されていないかのようです。 “Ⅱサムエル11章〜13章19節「ダビデの恐ろしい罪と神の赦し」” の続きを読む
詩篇62篇(交読文)
指揮者のために。エドトンによって。ダビデの賛歌
2007年1月1日 “詩篇16篇「私はいつも、目の前に主 (ヤハウェ) を置いた」” の続きを読む
2006年12月24日 “詩篇8篇「人とは何者なのでしょう」” の続きを読む
2006年12月3日
身体を、健康に、美しく保つための施設が注目を集めています。しかし、「たましい」への気遣いが忘れられてはいないでしょうか?ダビデはサウルから逃げ回り、荒野にいながら、「私のたましいは、あなたに渇き・・・こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています・・・私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように・・・喜びにあふれて賛美します」(詩篇63:1,2,5)と歌っています。あなたの「たましい」はどのように養われ、装われているのでしょうか? “ルカ12章13〜34節「あなたのたましいへの気遣い」” の続きを読む
2006年11月26日 “詩篇18篇「主が私を喜びとされたから」” の続きを読む