ゼカリヤ12章〜14章「その日、一つの泉が開かれる」

2014年5月4日

私たちは目の前の問題の解決をいつも求めます。しかし、主の救いは常に、苦難のただ中に現されるものです。イエスはゼカリヤ書を読みながら、エルサレムを襲う苦難を知り、それに先立ってご自分が弟子たちから裏切られ、十字架にかけられるということを通して人々の悔い改めが生まれると知っておられました。 “ゼカリヤ12章〜14章「その日、一つの泉が開かれる」” の続きを読む

「福音の再発見」牧師会レポート(自由福音教会連盟牧師会 講演ノート)

20144月 高橋秀典

愛する家族を津波や地震で失われた方に、「神の怒りのさばきからの救い」というかたちで福音を提示することに葛藤を持つ方々が増えている。たとえば、原発事故の影響を始め、この世界で様々な悲惨を味わっている人に、「あなたは罪人であり、神はどんな小さな罪をもさばく方であられる・・・」という「悪い知らせ」で相手の恐怖心を煽って初めて、「イエスは罪からの救い主」という良い知らせを伝えることができるというアプローチは、本当に良いことなのだろうか・・・ “「福音の再発見」牧師会レポート(自由福音教会連盟牧師会 講演ノート)” の続きを読む

ヨハネ20章1〜23節「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」

2014年4月20日

現代はポスト・モダンの時代と言われ、合理性重視の陰で人の心情が軽んじられてきたことへの反省が起きています。17世紀のパスカルは、「心情は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている」(パンセ277)との名言を吐きました。 “ヨハネ20章1〜23節「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」” の続きを読む

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

2014418日 聖金曜日

イエスは大祭司の尋問に対し、ご自分をローマ皇帝に匹敵する「神の子」と認めたばかりか、父なる神の右の座に就く、栄光の雲に座す方であると、ご自分が全地の支配者であることを証しされました。当時の宗教指導者たちが、イエスを、「神を冒涜する者」として死刑に定めたというのは、当時の常識にかなったことでもありました。 “「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」” の続きを読む

ゼカリヤ9章〜11章「ろばの子に乗った救い主」

2014年4月13日

イエスは柔和な王として、「子ろば」に乗ってエルサレムに入城されました。それはゼカリヤ書9章に記されていることをそのまま演じたことを意味します。しかし、この箇所は、軍事闘争を正当化しているように読まれる可能性もあります。私たちは救い主に何を求めているのでしょうか。 “ゼカリヤ9章〜11章「ろばの子に乗った救い主」” の続きを読む

ゼカリヤ6章〜8章「だから、真実と平和を愛せよ」

2014年4月6日

日本人とドイツ人には「秩序を守る」ということに長けていると言われます。ドイツ語では、「大丈夫」ということを「イン・オードゥヌング(秩序の中にある)」と言います。日本人も大震災や消費税引き上げの中での秩序だった行動が諸外国から評価されています。 “ゼカリヤ6章〜8章「だから、真実と平和を愛せよ」” の続きを読む

ヨハネ1章35〜51節「イエスの公生涯の初めの七日間」

2014年3月30日

ヨハネの福音書も創世記も、「初めに」ということばから始まり、七日間のことが描かれています。創世記の七日目は、神の喜びに満ちた安息の日でした。そして、ヨハネ福音書における七日目は、カナの婚礼で、水がぶどう酒に変えられた喜びの日でした。 “ヨハネ1章35〜51節「イエスの公生涯の初めの七日間」” の続きを読む

ゼカリヤ3章〜5章「奇跡の人として生かされる」

2014年3月23日

わざわい会っている方のことを、「あの人は、何か隠された罪のゆえに、サタンの攻撃を受けているのでは・・・」などと、傷口に塩を塗るような評価をする人がいるかもしれません。しかし、そのような人は、ヨブ記によるとサタンの味方になっているのかもしれません。 “ゼカリヤ3章〜5章「奇跡の人として生かされる」” の続きを読む

ゼカリヤ1章〜2章「神の瞳へのさばきといやし」

2014年3月16日

世界の歴史に対するユダヤ人の影響力には驚くべきものがあります。ユダヤ人は世界人口のたった0.2%を占めるに過ぎないのに、全ノーベル賞受賞者の少なくとも2割、経済学賞に至っては4割がユダヤ人だと言われます。その秘訣を巡っていろんなことが言われますが、ユダヤ人は何よりも旧約聖書に親しむ民であるということは誰も否定できない事実です。 “ゼカリヤ1章〜2章「神の瞳へのさばきといやし」” の続きを読む

ヨハネ1章19〜34節「聖霊を授けられて生かされる」

2014年3月9日

私たちの信仰生活の神秘は何よりも聖霊のみわざにあります。初代教会の時代、アポロという雄弁な伝道者がいましたが、彼のことが、「イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」と描かれ、それに対し、パウロのから教えを受けていたプリスキラとアクラが、「彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した」と描かれています(使徒18:24-26)“ヨハネ1章19〜34節「聖霊を授けられて生かされる」” の続きを読む