レビ11章〜15章「聖なる者とされる」

2015年9月6日

しばしば、キリスト教国に行くと、障害者の多さに驚くという人がいます。しかし、統計的には日本と何の差もありません。日本では障害を恥じ、また隔離するから目に付かなかっただけです。そこには、枠から外れた人を排除する文化があります。そして、本日のレビ記の箇所にも同じような排除の原理が記されているのでしょうか? “レビ11章〜15章「聖なる者とされる」” の続きを読む

ヨハネ9章24〜41節「あなたの目は本当に見えていますか?」

2015年8月16日

私の大学の友人は、「お前は弱い人を助ける尊い働きをしているね」と感心しつつ、笑いながら「俺も切羽詰ったら相談に行こうかな」と他人事のように言ってくれます。 “ヨハネ9章24〜41節「あなたの目は本当に見えていますか?」” の続きを読む

ヨハネ9章1〜25節「盲目に生まれたのは、罪のせいか?」

2015年8月9日

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」ということわざは、ローマの詩人ユウェナリスの風刺詩集に由来します。本来は、精神の健全さが肉体に比例しない現実を見て、「健全なる精神が健全なる身体に宿るように」という「祈り」だったのに、日本では逆の意味になりました。それは、障害や病を忌み嫌う風土があるからかも知れません。 “ヨハネ9章1〜25節「盲目に生まれたのは、罪のせいか?」” の続きを読む

レビ1章〜3章「神の恵みの高価さを覚えるために」

2015年7月19日

レビ記は多くの人々から難解な書と思われ、しばしば敬遠されています。しかし、イエス・キリストの十字架の真の意味を、この書を飛び越えて理解することができるのでしょうか?しかも、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という聖書の最も有名なことばは、この書に由来します。これは私たちの生活に極めて身近な書ではないでしょうか。 “レビ1章〜3章「神の恵みの高価さを覚えるために」” の続きを読む

出エジプト34章11節〜40章38節「主の栄光を鏡に映すように見ながら」

2015年7月12日

カトリックの総本山サンピエトロ大聖堂の最高傑作と言えば丸天上のドームです。これは1506年の起工式の際に採用されていた基本設計ですが、実際に始めてみると、当時の技術では予算を大幅に上回る大工事になることが分かりました(現在の東京オリンピック競技場の顛末に似ている)。しかし、大富豪メディチ家の息子からローマ教皇になったレオ10世は、金に糸目をつけずに芸術家を雇い入れ、多額の借金を重ね建設を進めました。ただ、借金返済のために、ドイツでの免罪符の販売を許可し、マルティン・ルターの宗教改革を呼び起こしました。 “出エジプト34章11節〜40章38節「主の栄光を鏡に映すように見ながら」” の続きを読む

エペソ2章1〜10節「聖書が語る救いとは?」

2015年7月5日

レイ・シドニー兄 証し&賛美

「天は自ら助くるものを助く」(God helps those who help themselves)ということばは、古代ギリシャの有名な格言ですが、それがキリスト教会の中でも広まっています。これは、確かに一面の真理を表していますが、現実には、底なし沼のような「どん底」に追い込まれ、生きる気力さえ失っている人もいます。そんな人にとっては、「天は自ら助くるものを助く」というのは、強者の論理に聞こえることでしょう。 “エペソ2章1〜10節「聖書が語る救いとは?」” の続きを読む

ヨハネ8章39〜59節「アブラハムが生まれる前から、わたしはある」

2015年6月21日

フランス革命からナポレオンの独裁と同時代に生きたドイツの思想家フリードリッヒ・ヘルダーリンは、「国家をこの世における地獄と絶えずしてきたのは、人々が国家をこの世における天国としようとして来た、あの努力以外のなにものでもない」と言っています。 “ヨハネ8章39〜59節「アブラハムが生まれる前から、わたしはある」” の続きを読む

出エジプト31章18節〜34章10節「神との対話」

2015年6月14日

目の前の小さな報酬か、待った後の大きな報酬を選ぶかという心理実験があります。たとえば子供に向かって、「今なら1000円のお小遣いしか上げられないけど、一カ月待ったら1500円あげられるよ」と言って、一か月待つことできる子は、衝動性に打ち勝つとともに、信頼感覚を養ってくることができた子でしょう。 “出エジプト31章18節〜34章10節「神との対話」” の続きを読む