出エジプト34章11節〜40章38節「主の栄光を鏡に映すように見ながら」

2015年7月12日

カトリックの総本山サンピエトロ大聖堂の最高傑作と言えば丸天上のドームです。これは1506年の起工式の際に採用されていた基本設計ですが、実際に始めてみると、当時の技術では予算を大幅に上回る大工事になることが分かりました(現在の東京オリンピック競技場の顛末に似ている)。しかし、大富豪メディチ家の息子からローマ教皇になったレオ10世は、金に糸目をつけずに芸術家を雇い入れ、多額の借金を重ね建設を進めました。ただ、借金返済のために、ドイツでの免罪符の販売を許可し、マルティン・ルターの宗教改革を呼び起こしました。 “出エジプト34章11節〜40章38節「主の栄光を鏡に映すように見ながら」” の続きを読む

エペソ2章1〜10節「聖書が語る救いとは?」

2015年7月5日

レイ・シドニー兄 証し&賛美

「天は自ら助くるものを助く」(God helps those who help themselves)ということばは、古代ギリシャの有名な格言ですが、それがキリスト教会の中でも広まっています。これは、確かに一面の真理を表していますが、現実には、底なし沼のような「どん底」に追い込まれ、生きる気力さえ失っている人もいます。そんな人にとっては、「天は自ら助くるものを助く」というのは、強者の論理に聞こえることでしょう。 “エペソ2章1〜10節「聖書が語る救いとは?」” の続きを読む

ヨハネ8章39〜59節「アブラハムが生まれる前から、わたしはある」

2015年6月21日

フランス革命からナポレオンの独裁と同時代に生きたドイツの思想家フリードリッヒ・ヘルダーリンは、「国家をこの世における地獄と絶えずしてきたのは、人々が国家をこの世における天国としようとして来た、あの努力以外のなにものでもない」と言っています。 “ヨハネ8章39〜59節「アブラハムが生まれる前から、わたしはある」” の続きを読む

出エジプト31章18節〜34章10節「神との対話」

2015年6月14日

目の前の小さな報酬か、待った後の大きな報酬を選ぶかという心理実験があります。たとえば子供に向かって、「今なら1000円のお小遣いしか上げられないけど、一カ月待ったら1500円あげられるよ」と言って、一か月待つことできる子は、衝動性に打ち勝つとともに、信頼感覚を養ってくることができた子でしょう。 “出エジプト31章18節〜34章10節「神との対話」” の続きを読む

出エジプト24章12節〜31章17節「主が求めておられる礼拝とは?」

2015年6月7日

多くの人が言い知れない倦怠感、空虚感や孤独感を味わっています。それは、「自分の都合」を最優先できる世の中になった結果かもしれません。真に畏敬されるべき方を知ることなしに、命を賭けるに価する喜びも、生きる意味も目的も見出すことはできるのでしょうか。 “出エジプト24章12節〜31章17節「主が求めておられる礼拝とは?」” の続きを読む

ローマ8章12〜30節「神の平和 (シャローム) をこの地であこがれ……」

2015年5月31日

ドイツのことわざに、「分かち合った喜びは二倍の喜びに、分かち合った苦しみは半分の苦しみに」というのがあります。それこそが愛の交わりの中で起きる不思議ではないでしょうか。ともに悲しみながら、またともにうめきながら、そこに何ともいえない希望が生まれているということがあります。 “ローマ8章12〜30節「神の平和 (シャローム) をこの地であこがれ……」” の続きを読む

ヨエル2章11〜14節、25〜29節「わたしの霊をすべての人に注ぐ」

2015年5月24日 ペンテコステ

私たちはときに、「とんでもないことが起きてしまった。これからどうなるのか・・・」と不安に圧倒されるようなことがあるかもしれません。そのとき、その原因を冷静に分析すること以上に大切なことは、何よりもまず、そのわざわいの中で、泣いて主にすがることではないでしょか。 “ヨエル2章11〜14節、25〜29節「わたしの霊をすべての人に注ぐ」” の続きを読む

ヨハネ8章21〜41節「真理はあなたがたを自由にする」

2015年5月17日

昔の日本のある首相は、「政治は数、数は力、力は金」と堂々と発言し、金権政治と批判されましたが、残念ながら一面の真理とついていると言わざるを得ません。議会性民主主義では議席の数が何よりも大きな意味を持ちます。その議席が金で買えるというのは、あまりにも国民をバカにした発言ですが、数は力というのは現実です。そのような中で人は、知らないうちに、お金や権力の奴隷になってしまいます。 “ヨハネ8章21〜41節「真理はあなたがたを自由にする」” の続きを読む

ヨハネ7章53節〜8章20節「わたしは、世の光です」

2015年5月10日

多くの人々の心の中には、光によって自分の闇があぶり出されるのを恐れる思いがあるかもしれません。また人は、自分の罪を知りながら、それが人々の目にさらされるのを恐れ、ときに、それがあらわにされると必死に自己弁護をはかろうとします。イエスはそのような闇を抱えた人にどのように接してくださったでしょう。 “ヨハネ7章53節〜8章20節「わたしは、世の光です」” の続きを読む

出エジプト20章18節〜24章11節「神の民とされるための契約」

2015年4月26日

ある人が、「マザー・テレサ、あなたはものを無償で与えて、貧しい人を甘やかしています」と批判したところ、彼女は「お金持ちを甘やかしている修道会はたくさんあります。貧しい人々を甘やかす修道会がひとつぐらいあっても良いでしょう」と答えました。確かに、この世の道徳は、貧しい者に厳しく、富む者に甘くなりがちです。 “出エジプト20章18節〜24章11節「神の民とされるための契約」” の続きを読む