ヨハネ14章15〜31節「もうひとりの助け主」

2016年8月21日

去る月曜日、盲導犬に引かれた方が地下鉄のホームから落ちて亡くなられました。その方は今年3月に当教会の受苦日音楽礼拝に奥様と共に出席してくださった方です。奥様は私の神学校の同期です。私はそのとき、赤城山キャンプで奉仕中でした。そして、亡くなられたのが彼だと知ったのは昨日です。 “ヨハネ14章15〜31節「もうひとりの助け主」” の続きを読む

民数記33章51節〜36章「境界線 (バウンダリー) を守る生き方」

2016年8月7日

子供が他の子供と争うときに発する最初のことばは、「これは私のもの!」なのかもしれません。以前は、これは第一反抗期などと、否定的に見られてきましたが、最近は、自我形成期として積極的に捉えるようになってきています。 “民数記33章51節〜36章「境界線 (バウンダリー) を守る生き方」” の続きを読む

民数記31章〜33章「主の前で戦い、主の前で生きる」

2016年7月24日

旧約聖書にある民族絶滅の命令とも思われる記述は多くの人々にとっての最大のつまずきです。しかし、それは、約束の地に「神の国」を建てるための一時的なプロセスだということを決して忘れてはなりません。 “民数記31章〜33章「主の前で戦い、主の前で生きる」” の続きを読む

ルカ19章11〜27節「誰でも持っている者は、さらに与えられる」

2016年7月17日

現代の多くの人々は、アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏の独創的な発想の恩恵を受けて生きています。彼は、「ドグマ(教義)に囚われてはいけないーそれは他の人々が考えた結果に従って生きることだー他の人の意見の雑音によって、内なる声をかき消させてはならない。自分の心と直感に従う勇気を持つことが最も大切なのだ」と言いました。 “ルカ19章11〜27節「誰でも持っている者は、さらに与えられる」” の続きを読む

ルカ16章1〜15節「まことの富の管理者として生かされるために」

2016年7月10日

私は十年間証券会社に勤め、主に営業畑を歩み、退職して牧師になりました。証券会社のことをよく知っている人は、しばしば、「あんなあこぎな商売から早く足を洗って良かったね・・・」とか、「あんな恐ろしい会社をやめて良かったね・・・」などと言ってくれます。それを聞くたびに、何か複雑な気持ちになります。 “ルカ16章1〜15節「まことの富の管理者として生かされるために」” の続きを読む

ヨハネ13章36節〜14章14節「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」

2016年6月26日

イエスは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と言われましたが、これはときに、他の宗教を否定する独善的な主張と受け止められることがあります。私もそのように誤解していたことがあります。 “ヨハネ13章36節〜14章14節「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」” の続きを読む

民数記27章12節〜30章「あなたがたの霊的な礼拝」

2016年6月19日

以前、米国行きの飛行機に一人で乗った時、出発直前に、エコノミーの料金でビジネス・クラスへの変更をしていただけました(重量バランス対策)。そこで初めて受けた待遇はとても気持ちの良いものでした。同時に、エコノミークラスに乗ることが初めて惨めに思えたばかりか、「ファーストクラスに乗ってみたいな・・」とまで思ってしまいました。 “民数記27章12節〜30章「あなたがたの霊的な礼拝」” の続きを読む

ハバクク「神の真実に応答する者は生きる」

2016年6月12日

ハバクク書は多くの人に縁遠い箇所かもしれません。世界的なピアニストのイングリッド・フジ子ヘミングは無名だったとき聖路加病院でボランティアとして患者さんたちの前でピアノを演奏していました。その頃、ある教会で、預言者ハバククのみことばの小冊子をもらいます。その2章3節に、「たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない」と記されていました。 “ハバクク「神の真実に応答する者は生きる」” の続きを読む

民数記25章〜27章11節「ねたむほどに恋い慕われている者として」

2016年6月5日

多くの人々は、自分の心の醜さや弱さに失望しながら、もっと輝いた人間に変わりたいと思って神を求めるようになります。また、世の人々も、教会を、高潔な人間になるための修練の場であるかのように期待します。 “民数記25章〜27章11節「ねたむほどに恋い慕われている者として」” の続きを読む

ヨハネ13章21〜35節「互いに愛し合いなさい」

2016年5月29日

海外の外国人中心の教会から日本の教会に入ってきて戸惑うことがあります。それは家族のようにファーストネームや愛称で呼び合う関係から、急に、距離を置いたような呼びかけ合いになることです。 “ヨハネ13章21〜35節「互いに愛し合いなさい」” の続きを読む