士師記10章〜12章「主に用いられながら、主を知らなかった人」

2017年5月28日

「勝った負けたと♪騒ぐじゃないぜ♪あと態度が大事だよ♪」という演歌が流行ったことがあります。人生には勝ち負けよりもはるかに大切なことがあるというのですが、アモン人のとの戦いに勝ちながら、自分の一人娘を失ってしまったエフタの記事には、心が痛みます。

彼は主(ヤハウェ)に用いていただきながら、主が彼とイスラエルに何を望んでおられるかを理解しようとはしませんでした。目の前の勝ち負けに夢中になり過ぎていたのです。その誤解は、私たちのうちにもあるかもしれません。

私たちは神に犠牲を献げることによって神の好意を勝ち取るのではありません。主(ヤハウェ)の霊に導かれてキリストの大使とされ、主との交わりを通して、自分自身の心の渇きから自由にされ犠牲をも厭わない者とされるのです。

1.主の怒りの背後に見られる主のあわれみ

トラは六番目の士師です(10:1,2)。彼はイッサカル部族の出身で、その相続地はガリラヤ湖の南側でマナセの北です。その彼がそのなお南のエフライムの山地に住んだとは、彼のもとで23年間、イスラエルは部族間の一致をある程度保つことができたことを表しています。アビメレク時代の悲惨から救われたのです。

七番目の士師ヤイルは、民数記32:39-42にも記され、マナセ部族の子で、その相続地ギルアデは、ヨルダン川東岸、ガリラヤ湖の南東に広がっています。「彼には、三十人の息子がいて……三十の町を持っていた」(10:4)という表現に繁栄の様子が描かれています。彼はヨルダン川東側に22年間の平和をもたらしました。

この二人の士師に関してはほとんど何も分かりませんが、イスラエルの部族間の平和を守ったということや、多くの息子を持ち多くの町を治めていたということは次の物語と対照的です。

しかしその後、イスラエル人は、「バアルや、アシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた」(10:6)と七つの「神々」という言葉が繰り返されますが、これは、「イスラエルの神(エロヒーム)」と呼ぶときと同じ普通名詞です。つまり、彼らは多くの日本人のように、周りのすべての神々のご機嫌をとろうと試みたのです。

またそれらは豊穣を約束する神々で、その礼拝には食欲と性欲の両方を満たすような享楽が伴いましたから、魅力的に感じられたのでもありましょう。しかし、主はイスラエルとの親密な愛の交わり自体を求める方ですから、それを浮気として怒られました。

すべての偶像礼拝の基本は、欲望の満足とそれから離れる場合の祟り、つまり飴と鞭をセットに人々の心を支配することです。それは依存症と同じように、一度関係を持ってしまうと、自力で離れることが難しくなります。

ですから、依存症の治療には、その人の底着き体験を早めることが一番だと言われます。つまり、中途半端な生活を続けることができない状況に追い込むのが真の愛だというのです。

ですから、「主(ヤハウェ)の怒りはイスラエルに向って燃え上がり、彼らを……アモン人の手に売り渡された……彼らは……イスラエル人をみな、十八年の間、苦しめた」(10:8)というさばきの中にも神の愛が見られます。

この時はヨルダン川の東にいたロトの子孫アモン人が勢力を強くし、同じヨルダン川東岸のギルアデの地を支配したばかりか、川の西側にまで勢力を伸ばしました。

ただここに至ってようやく、「イスラエル人は主(ヤハウェ)に叫んで」……「私たちは、あなたに罪を犯しました」と、主に立ち返って来ました(10:10)。

そのとき、主は、彼らが七つの民族の神々に仕えたこと(10:6)に呼応するように、ご自身がエジプト人、エモリ人、アモン人などの七つの異民族の手から彼らを救ってきたこと(10:11,12)を思い起こさせます。そして、それにも関わらず、「わたしを捨てて、ほかの神々に仕えた」のだから、「あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい」と言い放たれました(10:10-14)。

しかし、彼らが重ねて悔い改めを告白したときのことが、「自分たちのうちから外国の神々を取り去って主(ヤハウェ)に仕えたので、主はイスラエルの苦しみを見るのに忍びなくなった」(10:16)と描かれます。「主のあわれみは尽きない」(哀歌3:22)からです。

ここで私たちは、「そのとき、主(ヤハウェ)はさばきつかさ(士師)を起こして、彼らを……救われた……主はさばきつかさとともにおられ、その……生きている間は、敵の手から彼らを救われた」(2:16,18)というこの書のテーマに戻る必要があります。つまり、主の救いは、神の民の敬虔な行いへの応答ではなく、一方的なあわれみのわざなのです。

ですから、士師記を偉人伝として読むことは大間違いです。主は、イスラエルの罪にも関わらず、士師の弱さにも関わらず、ご自身のあわれみのゆえに士師を用いられたのです。

ただ、不思議にも10章17節~11章11節まで、主ご自身の側から士師を選び、召したという記述の代わりに、ギルアデの長老たちが皮肉にも人間的な基準でエフタを選んだというプロセスが描かれています。まず、アモン人マナセ族のギルアデ氏族の地に陣を敷いたときに、イスラエルの民も集まって、ミツパに陣を敷きます(10:17)。そこは、かつてヤコブが祈りの格闘をしたヤボクの渡しから南東に十数キロの地です。

そこでギルアデの首長たちは、「アモン人と戦いを始める者はだれか。その者がギルアデのすべての住民の頭となるのだ」と言います(10:18)。ここには、主のみこころを求めるという代わりに、自分たちが頭にした者を、主が追認して、御手を差し伸べてくださるようにという思いが描かれています。

2.エフタの愚かな誓願

エフタはマナセの孫ギルアデ直系の息子でしたが、その母は遊女でした。それで彼が成長した時、正妻の息子たちから疎まれて家を追い出され、マナセの支配地の東端の地トブに住み、やくざの親分のようになりました(11:1-3)。彼の心は「見捨てられた痛み」に支配されたことでしょう。

そしてそこに同じ境遇の「ごろつき」と呼ばれる「見捨てられた人々」が集まり、大きな力を持ったのだと思われます。しかし、ギルアデの地がアモン人の攻撃に苦しんだ時、その長老たちはエフタを首領として迎えようとします。

ギデオンの場合は四度にわたり、主が本当に自分のような者を用いられるかのしるしを求めました。しかし、エフタの場合は、ギルアデの長老たちに対し、まず自分が戦いに勝った場合の「かしら」としての立場を保証させようとします。

その際、「もしあなたがたが、私を……アモン人と戦わせ、主(ヤハウェ)が彼らを私に渡してくださったなら、私はあなたがたのかしらになりましょう」(11:9)と言います。この際の出発点は、主のみこころではなく、ギルアデの長老たちの意志です。長老たちは、「主(ヤハウェ)が私たちの間の証人となられます」(11:10)と、「ヤハウェの御名」を持ち出してエフタに保障し、彼も「自分が言ったことをみな、ミツパで主(ヤハウェ)の前に告げた」(11:11)というのです。

つまり、彼は自分がかつて「追い出された」ことを忘れず、自分が使い捨てにされないことの保証を求め、主に対しても、主に聞くというよりも、主に自分の身の保全を求めているのです。長老たちも、主に聞こうとはしなかったという点で全く同じです。

なお、エフタが才知溢れ、主の偉大なみわざの数々をよく知っていたことは、アモン人の王とのやり取りにも明らかにされています(11:12-28)。まず、アモン人は、イスラエルの民が勝手に彼らの領土に入り込んで占領したと非難しています。しかし、イスラエルはアブラハムの甥であるロトの子孫のモアブとアモンとは直接に戦おうとしたわけではなく、エモリ人の王シホンとの戦いの中で、主が占領させてくださった地に住んだだけだというのです。

そして、「審判者である主(ヤハウェ)が、きょう、イスラエル人とアモン人との間をさばいてくださるように」(11:27)という祈りで終わります。ここにおいても、主は審判者」としてのみ描かれており、主がイスラエルに「神の国」を建てさせようとしたという創造的なみこころの根本は描かれていません。

今も、審判者としての主からの厳しいさばきからの救いばかりを願う信仰者がいます。

11章29節で、「主(ヤハウェ)の霊がエフタにくだったとき」と記されますが、これは明らかに、先の12節でエフタがアモン人の王と対話を始める前のことです。なぜならそれは、エフタがイスラエル軍の陣地であるミツパに向かう前のことを指しているからです。

つまり、エフタギルアデの長老たちの招きに応じて、私兵を引き連れてマナセの最果ての地のトブからアモン人と戦うために出て来たのは、(ヤハウェ)の御霊」の導きであるということが、ここに至って初めて記されるのです。

彼は自分の内側に、不思議な力と勇気が湧いてくるのを感じて、アモン人の王と交渉したことでしょう。ところが、実際に戦いに臨む際に、彼は急に不安になったのか、主の助けを確かに引き出すための大きな犠牲を伴った誓願を立てます。

それは、「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を(ヤウェ)のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます」(11:30,31)というものです。自分の家の戸口から出て来る者が誰かは分かりませんが、それが動物ではなく、人間であることは確かだと思われます。つまり、エフタは、愚かにも、人間をいけにえとすることで神の助けを得ようとしたのです。

これはあり得ない誓願のようですが、これから数百年後の記録に、モアブの王が、戦いが不利になるのを見て、自分の長男を城壁の上で全焼のいけにえとしてささげ、それを契機に彼らが勝利をおさめたという記録があります(Ⅱ列王記3:27)から、それはカナンの宗教ではよくあることでした。

エフタは主によって動かされ、知識においても主のみわざを知ってはいたのですが、その心はカナンの偶像礼拝の習慣に毒されていました。彼は主の前に静まってみこころを知ろうとしたのではなく、勝利のために神の力を利用しようとしたのです。

その戦いの様子は、「主(ヤハウェ)は彼らをエフタの手に渡された」ので、彼はアモン人の20もの町を「非常に激しく打った。こうして、アモン人はイスラエル人に屈服した」と描かれます(11:32、33)。この流れは、彼の誓願の結果ではなく、「主(ヤハウェ)の霊がエフタの上に下った」(11:29)ということの結果として生まれた勝利です。

ところが、彼が勝利の凱旋をしたとき、「タンバリンを鳴らし、踊りながら」、家から真っ先に彼を迎えに出てきたのは、何と彼の一人娘でした(11:34)。彼は激しく悲しみますが、「私は主(ヤハウェ)に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ」(11:35)と言わざるを得ません。

そして、彼女も、「お父さま……お口に出されたとおりのことを私にしてください。主(ヤハウェ)があなたの敵アモン人に復讐なさったのですから」(11:36)と応答し、自分はその勝利の犠牲として身をささげると応答します。そして、彼女は、子孫を残すことができないままに死ぬことを友達といっしょに二ヶ月間悲しみます。

その後のことが簡潔に、「父は誓った誓願どおり彼女に行なった」(11:39)とのみ記されます。これを、娘を神への奉仕にささげて一生を処女のまま残したと優しく解釈する人もいます。しかし、それでは40節の、イスラエルの娘たちが「年に四日間」彼女のための「嘆きの歌を歌う」という習慣の記述の意味が分からなくなります。

とにかく、律法では、「あなたのくちびるから出たことを守り……主に誓願したとおり行なわなければならない」(申命記23:23)と厳しく戒められており、だからこそ「誓って果たさないよりは、誓わないほうが良い。あなたの口が、あなたに罪を犯させないようにせよ」(伝道者5:5,6)とも言われます。

エフタは誓願をする必要は全くありませんでした。このすべてのプロセスは、主の主導によるもので、彼の責任はその召しに従うことだけでした。それなのに、彼はまるで神と取引をするかのような発想で、ひとり娘を全焼のいけにえにせざるを得なくなりました。彼は異教の神を見る習慣でイスラエルの神を見ていたのでした。

同じことが私たちに起きる場合があります。私たちの「祈り」は、主に動いていただく「手段」というより、愛する人との対話のようにそれ自体が目的です。詩篇作者が、「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにありません」(詩篇16:2)と告白したように、私たちは、主がくださる勝利、地位、富、友人、伴侶などのような目に見える宝以前に、主ご自身との交わりをこそ喜ぶことができるのです。

後にハンナは、自分に男の子が授けられるなら、「その子の一生を主(ヤハウェ)におささげします」という誓願を立てて、サムエルを生み、彼がイスラエルを救う者として成長します。これは良い誓願の例です。そのとき彼女は主の御前にへりくだり、涙ながらに訴えました。

しかし、エフタは自分の惨めさや無力さを訴えたのではなく、他人を犠牲にささげて自分の勝利をつかみとるつもりでした。彼は、主の御前に遜って、自分の心の奥底の不安と向き合ってはいません。その強がりの姿勢こそが、悲劇の原因でした。

3.主の救いのみわざの目的を知らないことの悲劇

12章では、エフタが同じイスラエル民族のエフライム部族との野蛮な戦争をした様子が描かれます。まず誇り高いエフライムが、アモン人との戦いに自分たちを招かなかったことを非難し、エフタを家もろとも「火で焼き払う」とまで言います(12:1)。

それに対し、エフタはエフライムの側が援軍の要請を断ったと応答します。これは多分、エフタからの要請がギデオンの場合のように、彼らのプライドを満足させるような形ではなかったからでしょう(7:24-8:3)。

エフタはそのときの葛藤を、「あなたがたが私を救ってくれないことがわかったので、私は自分のいのちをかけてアモン人のところへ進んで行った」(12:3)と表現します。ここにはエフタが自分の一人娘を犠牲にしてしまった悲痛の叫びが込められています。

彼はエフライム軍を撃破しますが、彼らがヨルダン川の西側の居留地に逃亡する際に、その発音の仕方で見分けて多くのエフライム人を殺し、その死者の数が42,000人に及んだことが記されます。エフタは自分の娘を犠牲にしてしまった痛みを、エフライムに向けたのではないでしょうか。

皮肉にもこれらの記事ではイスラエルの敵となったアモン人の犠牲者の数ではなく、同じ神の民エフライムの犠牲者数のみが描かれます。

エフタは、遊女の子として生まれ、人々から退け者にされる中で、自分で自分の道を開くことを学んできたのでしょうが、それが彼の命を縮めました。彼は六年間だけイスラエルをさばいて(12:7)、一人娘を失い、他の子供を残すことができないまま死んで葬られます。

彼は一時的な平和をもたらすことができただけで、部族間の融和も、民全体による幕屋礼拝も復興することができませんでした。他の士師の場合は、イスラエルの平和が何十年続いたとか記されるのに、ここではその記述がないのは驚きです。

その後、九番目の士師ベツレヘムのイブツァンが登場します(12:8-10)。その綴りから見ると、この町はユダではなく、北のゼブルン領だと思われます(ヨシュア19:11)。彼は30人の息子と30人の娘を用いて氏族間の融和をはかり勢力を伸ばしました。一人の子も残せなかったエフタとの対照が際立ちます。

第十番目の士師ゼブルン人エロンについては何も記されませんが、それにも関わらず、「十年間……さばいた」(12:11)と描かれています。

また、第十一番目のアブドンは家系も不明のまま、四十人の息子のことが記されます(12:14)。それはエフタの悲劇をクローズアップさせるだけです。

三人もの士師についてほとんど何も記されないのは、これを英雄伝ではなく、神のみわざの記録として残すためだと思われます。

エフタは成功を掴むことに必死になりすぎて最も大切なものを失いました。彼は、主に用いられながら主のあわれみを知りませんでした。しかし、人の信仰が主を動かすのではなく、主が人を動かされるのです。そして主は、私たち以上に私たちの必要をご存知です。

「ゲットする」という和製英語がありますが、人生の輝きは獲得ではなく、差し出すところから生まれます。このままの私が、創造主の最高傑作として、お役に立てていただけるのです。

私たちの幸いは、以下の詩のような境地に表わされます。神が私たちを召してくださった目的は、神の平和(シャローム)がこの地に広げられることです。そのためには、しばしば、勝利や成功よりも、私たちの痛みや悲しみ、貧しさの中にも神の恵みを見出すべきでしょう。

「病者の祈り」米国南北戦争南部連合軍の傷病兵士の詩(NY物理療法リハビリテーション研究所)

 私は神に 大きなことを成し遂げるようにと 強さを求めたのに、
  謙遜に(慎み深く)従うことを学ぶようにと 弱い者とされた
 より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
  より良いことができるようにと 病弱さをいただいた。
 幸せになれるようにと 豊かさを求めたのに
  賢明であるようにと  貧しさをいただいた
 人の称賛を得られるようにと 力を求めたのに
  神の必要を感じるようにと 弱さをいただいた
 いのちを楽しむことができるようにと あらゆるものを求めたのに
  あらゆることを楽しめるようにと いのちをいただいた
 求めたものは 何一つ得られなかったが 心の願いは すべてかなえられた
  このような私であるにも関わらず ことばにならない祈りはすべてかなえられた
 私は あらゆる人の中で 最も豊かに祝福されたのだ。        

 (私訳)