人に裏切られ続けた人は、人の善意を信頼できず、すべてを損得勘定でしか見られないことがあります。不安に駆りたてられている人は、自分の身を守るために、人の手柄を横取りすることさえ平気でします。しかし、恩を仇で返すような行為とか、目的のためには手段を選ばない生き方が、いつまでもまかり通ることなどあり得ません。神は盲目な方ではないからです。 “詩篇37篇「平和の人には将来がある」” の続きを読む
Ⅱ列王記23章28節〜25章30節「苦難を受け入れる中から生まれる希望」
スポーツの美しさは常に勝利を目指して最善を尽くすことの中に現わされますが、同時に、どれほど優秀な選手も、必ずどこかで負けて引退します。その人の真の美しさはその後の生き方に現わされます。
神の御子が処女マリアを通して人となろうとされたとき、世界はかえって暗くなったように見えました。マリアとヨセフはナザレからベツレヘムへの苦しい旅を強いられます。二人はその旅先で、周りからよそ者として扱われ、彼らを迎える宿もありませんでした。 “Ⅱ列王記23章28節〜25章30節「苦難を受け入れる中から生まれる希望」” の続きを読む
マタイ1章1節〜2章23節「愛の完成に向かう預言の成就」
今から33年前に英国のワムという二人がリリースした「ラスト・クリスマス」という曲が、今もこのシーズンになると町中で聞かれます。僕は今頃になって、その歌詞を味わっています。
「Last Christmas I gave you my heart, but the very next day you gave it away. This year, to save me from tears, I’ll give it to someone special(去年のクリスマス、君に僕の真心を捧げたら、何と君は、それを翌日に捨て去った。今年は涙を流さなくて済むように、それを誰か特別な人にあげよう)」 “マタイ1章1節〜2章23節「愛の完成に向かう預言の成就」” の続きを読む
ヘブル4章14節〜5章10節「苦しみを通して大祭司となられた主イエス」
私たちプロテスタントの教会では、聖母マリアに向かって執り成しを願う祈りはしません。それはイエスご自身が私たちのすべての弱さを理解して、父なる神の右の座に着いて、私たちのために執り成していてくださると信じているからです。 “ヘブル4章14節〜5章10節「苦しみを通して大祭司となられた主イエス」” の続きを読む
ヘブル4章1〜13節「神の安息に入るための励まし合い」
私たちはイエスを救い主と信じることによって、「永遠のいのち」をすでに与えられていると教えられてきました。ところがこのヘブル書では、「神の安息」に入ることができなくなる可能性が示唆され、そうならないように「日々互いに励まし合う」ことが勧められています。 “ヘブル4章1〜13節「神の安息に入るための励まし合い」” の続きを読む
イザヤ40章1〜11節「主を待ち望む者は、新しく力を得る」
本日は「救い主」の降誕を待ち望む待降節(アドベント)第一主日です。それは、旧約の民がどのような意味で救い主を待ち望んでいたのかを思い起こすときです。
そうすることによって、私たちに既に与えられた「救い」と、これからどのような「救い」が保証されているのかが分かり、希望が生まれます。 “イザヤ40章1〜11節「主を待ち望む者は、新しく力を得る」” の続きを読む
Ⅱ列王記20章〜23章「主の激しい怒りとイエスにある救い」
この世で言われる「悔い改め」とは、自分の罪を反省して、心を入れ替え、行いを改めることです。しかし、人間的な道徳教育で人の心を変えられるぐらいなら、神の御子が十字架にかかる必要などなかったのではないでしょうか。 “Ⅱ列王記20章〜23章「主の激しい怒りとイエスにある救い」” の続きを読む
Ⅱ列王記17章〜19章「逃げでも蛮勇でもない、祈りによる勝利」
恐ろしい相手に直面した時、すぐ「逃げ」の姿勢に入る人と、自分の恐怖感情を押し殺しながら「蛮勇」を奮おうとする人がいます。しかし、「恐れ」は神が与えてくださった大切な感覚です。心に沸き起こる様々な感情を優しく受け止めながら、それを神に打ち明けることこそ信仰者の態度ではないでしょうか。 “Ⅱ列王記17章〜19章「逃げでも蛮勇でもない、祈りによる勝利」” の続きを読む
ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」
私たちの教会のヴィジョンは、「新しい創造をここで喜び、シャロームを待ち望む」とされています。そして英語のロゴマークが「New Creation : hope for the Shalom」と記されています。Creationの真ん中のtが♰と、十字架を示唆しますが、イエスの十字架と復活によって「新しい創造」がすでに始まっています。 “ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」” の続きを読む
ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」
「『死』とは何か」という380ページを超える本が売れています。それも原書を半分近くに縮刷したもので、その前半では「魂」の存在が形而上学的に否定されているようです。しかし聖書は、「魂が肉体の束縛から解放されて天国で憩う……」との希望を語っているのでしょうか?それどころかヘブル書では、肉体を持つ人間が、霊的な存在である御使いたちに優っている面があるということが強調されます。 “ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」” の続きを読む