ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」

2018年11月11日

私たちの教会のヴィジョンは、「新しい創造をここで喜び、シャロームを待ち望む」とされています。そして英語のロゴマークが「New Creation : hope for the Shalom」と記されています。Creationの真ん中のが♰と、十字架を示唆しますが、イエスの十字架と復活によって「新しい創造」がすでに始まっています。 “ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」” の続きを読む

ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」

2018年11月4日

「『死』とは何か」という380ページを超える本が売れています。それも原書を半分近くに縮刷したもので、その前半では「魂」の存在が形而上学的に否定されているようです。しかし聖書は、「魂が肉体の束縛から解放されて天国で憩う……」との希望を語っているのでしょうか?それどころかヘブル書では、肉体を持つ人間が、霊的な存在である御使いたちに優っている面があるということが強調されます。 “ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」” の続きを読む

Ⅱ列王記14章〜16章「神の子としての謙遜と誇りに生きる」

2018年10月28日

多くの人は、成功すると傲慢になり、失敗すると卑屈になります。傲慢から人を人とも思わない傍若無人が、卑屈から被害者意識にとらわれた自己憐憫が生まれます。どちらも愛の交わりを壊すものです。傲慢な人の前では息がつまります。そればかりか、危なくて仕事を任せることはできません。しかし、一方で、誇りを忘れた卑屈な人間はどこかで人を裏切るような気がします。 “Ⅱ列王記14章〜16章「神の子としての謙遜と誇りに生きる」” の続きを読む

Ⅰテモテ1章18節〜2章7節「すべての人の救いを望む神」

2018年10月21日

福音自由教会の信仰告白には、極めて保守的で排他的に見える部分と、非常に幅の広い自由なところがあります。聖書を誤りのない神のことばと信じることは、この世の価値観と衝突することがありますが、私たちは安易な妥協はしません。 “Ⅰテモテ1章18節〜2章7節「すべての人の救いを望む神」” の続きを読む

Ⅱ列王記11章〜13章「主(ヤハウェ)の真実に信頼せよ」

2018年10月14日

今、ディボーション誌Mannaで詩篇の解説を書き続けています。ちょうど115篇まで書いてきてそれに感動しています。

「主(ヤハウェ)に信頼せよ」(115:9)ということばは、「主(ヤハウェ)に期待せよ」と訳すこともできます。詩篇全体を通して、神が私たちの歩みを真実に導いていてくださることが歌われています。 “Ⅱ列王記11章〜13章「主(ヤハウェ)の真実に信頼せよ」” の続きを読む

ヘブル2章1〜9節「こんなにすばらしい救いーAmazing Grace」

2018年10月7日

「奴隷商人から神の僕に」という物語が「百万人の福音」に連載され、91歳の母がそれを楽しみに読んでいます。「母が読んでいるのに、僕が読まないわけには……」と21回目になってから遡って読みだしました。私たちはだれも、自分の信仰心によって神を求めたのではなく、神が私たちを求めてくれた結果、霊の目が開かれて行きます。 “ヘブル2章1〜9節「こんなにすばらしい救いーAmazing Grace」” の続きを読む

ヘブル1章「王なる支配者としての御子」

2018年9月30日

あなたは、イエスの十字架をどのように描くでしょう?普通に考えるなら、イエスほど哀れな犠牲者はいません。何の罪を犯さなかった愛に満ちた人が、無実の罪で、当時もっとも忌まわしい十字架刑に処せられたというのですから……イエスはまさに悲劇の主人公です。 “ヘブル1章「王なる支配者としての御子」” の続きを読む

Ⅱ列王記6章24節〜10章36節「これは、主(ヤハウェ)が語られたことばのとおりだ」

2018年9月23日

旧約で不思議なのは、神がこの世の権力闘争を裏から操り、権力者をさばくために別の権力者を立てるかのように説明されていることです。それら一つひとつに、「(ヤハウェ)が語られたことばのとおり」とまとめることができます。 “Ⅱ列王記6章24節〜10章36節「これは、主(ヤハウェ)が語られたことばのとおりだ」” の続きを読む

Ⅱ列王記4章1節〜6章23節「神の恵みを無駄に受けないようにしてください」

2018年9月16日

「有難い」ということばには、「この世に有ることが難しい」「得難いものを賜っている」という深い感謝の意味が込められています。

様々な信仰者の歩みを見ると、一度限りの神のめぐみを繰り返し思い起こし、そこで出会った人へ感謝の心を忘れないような人は、その後も幸せな歩みをしているように思えます。ただ、ときに感謝されていると思っても、一つの問題を契機に関係が冷えてしまう場合もあります。 “Ⅱ列王記4章1節〜6章23節「神の恵みを無駄に受けないようにしてください」” の続きを読む

詩篇100篇「全地の民よ 主の大庭へ」

2018年9月9日

  感謝の賛歌
主(ヤハウェ)に喜び叫べ  全地よ。(1)
 主(ヤハウェ)に仕えよ 喜びをもって。(2)
  御前に来たれ  喜び歌いながら。
知れ 主(ヤハウェ)こそ 神であられることを。(3)
 この方が私たちを造られた。私たちは主のもの
  私たちは主の民、主の牧場の羊である。
来たれ 主の門に  感謝をしながら、(4)
 主の大庭へと 賛美しながら。
  主に感謝し 御名をほめたたえよ。
それは主(ヤハウェ)が いつくしみ深く (5)
 主の恵み(慈愛:ヘセド)は とこしえで
  主の真実は 代々に至るから。

詩篇100篇は、主日礼拝の招詞として最も頻繁に用いられる詩篇の一つです。上記の交読文は、日本語として意味が通じる範囲で、原文のリズムを生かした訳です。これは四組の三行詩に分けて読むことができます。まず全体を味わってみると、どのようなことに気づくことができるでしょう? “詩篇100篇「全地の民よ 主の大庭へ」” の続きを読む