2021年7月11日
マタイ17章22節~18章9節「人をつまずかせる者とは?」
しばしば信仰者は、「この社会で尊敬されることが、証しになる」と誤解します。そして、反対に、人々から軽蔑されると、「人をつまずかせてしまった」と、さらに自分を責めてしまい、「私のような者がクリスチャンであるとわかると、みんなのつまずきとなる」とまで思う人がいます。 “マタイ17章22節~18章9節「人をつまずかせる者とは?」” の続きを読む
ヨブ記全体の振り返り「再創造への産みの苦しみ」
ある牧師会で、ヨブと三人の友人たちのやり取りの核心部分を紹介し、「先生方は、苦しんでいる人に向かって、ヨブの友人たちと同じことを言ったことがありませんか?」とお聞きしました。すると、ほぼすべての牧師が、「思い当たることがあり、反省しています」と言ってくださいました。 “ヨブ記全体の振り返り「再創造への産みの苦しみ」” の続きを読む
マタイ17章14〜21節「山をも動かす信仰とは?」
人は誰しも毎日を楽しく、気力にあふれて目の前の課題に取り組みながら、「生きていて良かった!」という感動を味わいたいと思っています。書店ではそのための様々な方法 (How to) を書いた本が平積みにされていますが、すべてがそれで解決できるなら、神を求める必要などなくなってしまうことでしょう。 “マタイ17章14〜21節「山をも動かす信仰とは?」” の続きを読む
ヨブ記40章15節〜42章「あなたにはすべてが可能なことを私は知りました」
私たちはヨブが不当な苦しみに会った理由を最初に知らされています。それは、主 (ヤハウェ) がサタンに、「彼(ヨブ)のように誠実(完全)で、まっすぐで、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない」(1:8) と言われたことに、サタンが「ヨブは理由もなく神を恐れているでしょうか」(1:9) と答えたことに始まります。サタンは、神がヨブに特別な恵みを施しているからこそ、「神を恐れている」に過ぎないと言ったのです。 “ヨブ記40章15節〜42章「あなたにはすべてが可能なことを私は知りました」” の続きを読む
マタイ17章1〜13節「イエスを変容させた光の中を歩む」
人はこの地の歩みの中で必然的に自分の醜さを示されます。しかし、「あなたの光のうちに 私たちは光を見る」(詩篇36:9) と記されるように、私たちの罪を照らし出す光のうちに、私たちを変容させるキリストの光を見ることができます。 “マタイ17章1〜13節「イエスを変容させた光の中を歩む」” の続きを読む
ヨブ記38章〜40章14節「腰に帯を締めよ、勇士のように」

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの救出を巡って、本人情報の公表に関して当初ご両親の間に葛藤があったとのことです。そのときお父様は、「きちんと出して覚悟して進まなければだめだ」と言われ、お母様は、それに従ったおかげで「北朝鮮のことが世界中に分かってもらった」と言っておられます。 “ヨブ記38章〜40章14節「腰に帯を締めよ、勇士のように」” の続きを読む
マタイ16章21〜28節「自分の十字架を負って、イエスに従う自由」
この時代は、何においても最短の時間で問題を解決することが求められます。何かをするにしても、「それが何の役に立つのか」と自問自答することがあります。しかし、それでは、「神がこの世界の問題を解決するためにご自身の御子を十字架にかける必要があった」などという奥義は分かり得ません。 “マタイ16章21〜28節「自分の十字架を負って、イエスに従う自由」” の続きを読む
ヨブ記32〜37章「神の奇しいみわざを、立ち止まって考えよ」

私たちはみな、親しい人から理解されることを求めます。しかし、「私の正しさを理解して欲しい……」という構えが強すぎる人は、周りが見えなくなります。そのようなとき、自分を敵対的に見ている人から、驚くべき視点を示されることがあります。それは関係が近すぎないゆえに発想の転換が起きやすいからです。自分の正当性を主張することに熱くなっていたヨブに、エリフは新たな視点を提示しています。 “ヨブ記32〜37章「神の奇しいみわざを、立ち止まって考えよ」” の続きを読む
ダニエル7章「人の子の王としての支配の中で生かされる」

私たちはキリストの十字架と復活で、世界がまったく新しく変えられたということをどれだけ理解しているでしょうか?イエスがユダヤの最高議会で死刑判決を受けた直接の理由は、ご自身がダニエル書7章13節の預言を成就する「人の子」であると言って、神を冒涜したと評価されたためです。 “ダニエル7章「人の子の王としての支配の中で生かされる」” の続きを読む