イエスの時代のパリサイ人たちは、神の御教えを細かく分けて丁寧に研究し、毎日の生活の中で、何が神の御心に叶うことなのか、何が反することなのかを明確にして行きました。それは、もう二度と「主 (ヤハウェ) の怒りを引き起こし」、自分たちが「約束の地」から散らされることがないためでした。 “マタイ22章34〜46節「あなたにとっての救い主とは、どのような方か」” の続きを読む
ネヘミヤ13章「人の心の限界を超える神の救い」
中国のゼロ・コロナ政策やロシアでの言論統制のことが話題になりますが、日本もつい80年前は同じような統制下に置かれていたことを思えば、他人ごととは言えません。 “ネヘミヤ13章「人の心の限界を超える神の救い」” の続きを読む
マタイ22章23〜33節「復活こそ、希望の源」
多くのクリスチャンは、イエスの十字架の贖いによって「罪が赦され」、神との交わりが回復し、このままの私が「神の子」とされたという福音を喜んでいます。それは福音の核心です。 “マタイ22章23〜33節「復活こそ、希望の源」” の続きを読む
マタイ22章15〜22節「あれか、これか、を超えた神の視点」
私たちの世界ではしばしば、明確な対立軸を作りながら人々の心をまとめて権力を掌握し、変革を成し遂げるという手法が用いられます。しかし、根底に争いと憎しみを駆り立てる論理があることは次の問題を生み出す種となります。 “マタイ22章15〜22節「あれか、これか、を超えた神の視点」” の続きを読む
ネヘミヤ11章1節~13章3節「主を賛美する群れとしての成長」
聖書の民の礼拝の最大の特徴は、そこに豊かな音楽があることです。それは共同体として専門の聖歌隊や楽器奏者を支えることから生まれます。 “ネヘミヤ11章1節~13章3節「主を賛美する群れとしての成長」” の続きを読む
マタイ22章1〜14節「招かれ、選ばれる歩み」
ウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン演説が多くの国々の国会で受け入れられているというのは、まさに前代未聞の奇跡とも言えましょう。それは、彼がいつ暗殺されても不思議ではない危険な状態に自分の身を置きながら、ウクライナ国民全体の救いを求めて語っているという、その背景を皆が知っているからです。 “マタイ22章1〜14節「招かれ、選ばれる歩み」” の続きを読む
ネヘミヤ9、10章「神の真実を思い起こす」
キリスト教会では、時に、神のさばきを語り、罪の自覚を強く促した上で、十字架による赦しの喜びを告げようとしますが、それは人を委縮させる方向に働く場合があります。しかも、恐怖心によって人を支配するのは、人を奴隷状態に留めることに他なりません。 “ネヘミヤ9、10章「神の真実を思い起こす」” の続きを読む
ヨハネ3章12〜21節「神が愛された世を照らす光とされて」(寺村幸雄神学生)
2022年3月13日(音声のみ)
マタイ21章33〜46節「捨てられた要(かなめ)の石の上に建てられる」
すべての国は、内側から滅びると言われます。日本が第二次大戦を始めた無謀さも確かに問題なのですが、誰も目にも敗北が明らかになりながら、戦争を終結させる指導力が日本の政治になかったということが、東京大空襲ばかりか二度の原爆投下を招いた原因とも言えましょう。 “マタイ21章33〜46節「捨てられた要(かなめ)の石の上に建てられる」” の続きを読む
ネヘミヤ7、8章「主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力です」
1929年の世界大恐慌の直後に米国の大統領に選ばれたフランクリン・ルーズベルトは、その就任演説で、「私たちが唯一恐れるべきは、恐れそれ自体である。それは名づけようもない、不合理な、正当化できない恐れであり、それが前に進むために必要な努力を麻痺させてしまう」と語りました。 “ネヘミヤ7、8章「主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力です」” の続きを読む