マタイ26章30〜46節「悲しみもだえ始めたイエスと眠り続けた弟子たち」

2022年12月25日

私たちは知らないうちに異教的な考え方の影響を受けています。それはしっかりした信仰者は「心が動じなくなるはず」という誤解です。それは西洋ではローマ帝国で広く受け入れたストア主義、あるいは禁欲主義の精神であり、日本では禅仏教や武士道の考え方です。 “マタイ26章30〜46節「悲しみもだえ始めたイエスと眠り続けた弟子たち」” の続きを読む

イザヤ24章~27章「主 (ヤハウェ) と和 (シャローム) を結ぶ」

2022年12月18日

ある小学生がクラスの中で一人だけ将来の夢を語れなくて、からかわれ、しょげていました。そのことを忘れようとすればするほど、情けない気持ちになりました。 “イザヤ24章~27章「主 (ヤハウェ) と和 (シャローム) を結ぶ」” の続きを読む

イザヤ21~23章「どこに目を向けて生きるのか」

2022年12月11日

私たちは小さい頃から、いつも自分の人生を自分で管理できるようにと訓練されてきました。確かにそれは大切なことですが、究極的には、仏教が言うような「生、老、病、死」を中心とした四苦八苦は、管理しきれません。仏教は、自分の願望という「煩悩」を消すことによってそれを受け入れるように勧めます。 “イザヤ21~23章「どこに目を向けて生きるのか」” の続きを読む

マタイ26:14〜30「最後の晩餐から神の国の祝宴を待つ」

2022年12月4日

私たちの教会のビジョンは「新しい創造をここで喜び シャロームを待ち望む」となっています。「新しい創造」とは、キリストの十字架と復活によって始まった今ここにある「神の国」です。それが完成する時がヘブル語ではシャロームと言われます。 “マタイ26:14〜30「最後の晩餐から神の国の祝宴を待つ」” の続きを読む

イザヤ17章~20章「あなたの主人は誰なのか」

2022年11月27日

大企業や官僚組織では、人脈を作り、保つことが大切にされます。影響力のある上司につながっていることには得点があります。私の会社時代にも、私に目をかけてくださった上司の二人が後に副社長にまでなっています。私がドイツ留学に派遣してもらえたのも、そのうちの一人のおかげだと思っています。 “イザヤ17章~20章「あなたの主人は誰なのか」” の続きを読む

イザヤ13章~16章「自分を高くする者は低くされる」

音声メッセージで紹介されている図は こちら をクリック

2022年11月20日

イエスは、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます」ということばを何度も繰り返されました (マタイ23:12、ルカ14:11、18:14)。それは歴史上の大帝国や権力者の現実を示すと同時にキリストとその姿に倣った者に対する賞賛として表されています。 “イザヤ13章~16章「自分を高くする者は低くされる」” の続きを読む

マタイ26章1〜13節「この人のしたことが世界中で覚えられる」 

2022年11月13日

多くの人々は、自分の問題の解決を求めて、イエスのもとに来ます。それに対しイエスは、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と言われました (16:24)。 “マタイ26章1〜13節「この人のしたことが世界中で覚えられる」 ” の続きを読む

使徒の働き2章「そうすれば、賜物として聖霊を受けます」

私たちがイエスを主と告白できるようになったのは、自分の意志以前に聖霊のみわざです。ところが今日の箇所では、「悔い改めて⋯⋯バプテスマを受けなさい。そうすれば賜物として聖霊を受けます(38節) と記されています。 “使徒の働き2章「そうすれば、賜物として聖霊を受けます」” の続きを読む

イザヤ9章8節~12章6節「暗闇迫る中で、『I have a dream!』と叫ぶ力」

ナチスドイツによるアウシュビッツなど四つの強制収容所を生き延びたユダヤ人精神科医のフランクルは、「ひとつの未来を信じることができなかった人間は収容所で滅亡していった。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった」と語っています。 “イザヤ9章8節~12章6節「暗闇迫る中で、『I have a dream!』と叫ぶ力」” の続きを読む

マタイ25章31〜46節「人の子はご自分の羊を守ってくださる」

2022年10月23日

欧米のキリスト教の中で「最後の審判」ばかりに焦点が当てられる福音が語られてきたことがあります。しかし、それは聖書全体のストーリーではありません。「神の民の創造」こそがアブラハム以降の救いの物語の核心にあります。それは、旧約の預言書の全体像から見るなら疑いのない事実です。そのような視点から、今回の箇所を読む時に、私たちが抱く素朴な疑問に明るい希望の光が見えてきます。 “マタイ25章31〜46節「人の子はご自分の羊を守ってくださる」” の続きを読む