「信仰による祈りは、病んでいる人を救います」〜ヤコブ5:15 —— 「今日まで守られ……」聖歌292

小生の母のためにお祈りいただき、ほんとうにありがとうございます。昨日、なんと尿管結石が落ちていたということが明らかになりました。本日再検査して、老健施設に戻る方向へと動き出しました。僕が会ったとき眠ってばかりいたのは痛み止めの薬のためだったようです。

約二週間前、母の主治医より異例の電話をもらい、手術するか、内科的処置ですますかの選択を迫られ、高齢で転院の必要もあるということから、手術を諦めました。そのときの雰囲気では、間近な死を覚悟しなければ……という感じでした。ただ、小生は目の前に、前々から準備されていた釧路キリスト福音館での奉仕もあり、本当に慌てました。ですから、何が起きても対処できるように、同教会での奉仕と、葬儀の準備を並行して進めていました。そして釧路の教会の方々も、母のことを最優先してほしいと言われつつ、このことのために熱くお祈りくださいました。

改めて以下のみことばの真実さが心に迫ってきました

あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。
喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい……
信仰による祈りは、病んでいる人を救います。
主はその人を立ち上がらせてくださいます……
ですから、あなたがたは癒されるために、互いの罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。
ヤコブ5:13–16

僕は、自分を「正しい人」などとは決して思えないところがありますが、今回、母のためにお祈りくださった方々の真実には、本当に感謝しています。その方々の祈りによって、このような不思議を体験させていただきました。

治療に当たっておられた先生は、「抗生剤が患部に届かない……石が自然に落ちることもあり得るが、難しいだろう……」という感じのことを言っておられました。それが、「石が消えていた……」というのですから、本当に驚きです。

もともと、重症筋無力症のことを知っておられる方が、96歳まで長生きできること自体が、ふつうはあり得ない……とも言っておられました。

まさに、拙著「心が傷つきやすい人への福音」で引用させていただいた詩篇71篇7節のことばどおりです

私は多くの人にとって奇跡と思われました。
あなたが私の力強い避け所だからです。

母は、幼児期の僕が生き抜いて来られたことに、創造主の御守りを直感的に意識していました。そして、母自身のいのちも、まさに奇跡のように守られ続けてきたということに改めて感謝しました。

使徒パウロがピリピの地のクリスチャンに向けて、「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。その方が、はるかに望ましいことです。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です」と記しています (1:23, 24)。同じように僕の母にとっての死も、祝福ですから、恐れる必要はありません。

それにしても、長生きすることで周りに余計な負担をかける場合もありますが、母は施設に戻っても、喜んでいただけると思います。故郷の東川町は、環境の良さで人口が増え続けていますが、母の施設も、職員の方々が長く勤め続けることができる良い職場であるということで評判だとのことです。

僕の母は日ごろから、僕に会うたびに、「秀典が祈ってくれているから、長生きできるんだ」と言ってくれています。今回は、病院側も僕も、母の死を覚悟していたからこそ、コロナ感染対策など忘れたような行動ができました。意識が混濁する中で、母の手を握り続け、その顔にも手を触れ続け、母に対する愛と感謝を伝え続けることができました。こんなに母の手と顔をさすり続けられたのは生まれて初めてです。まるで、母が幼児の僕を慈しんだことへのお返しのように母と触れ合うことができました。

一昨日、皆様にご紹介した賛美歌、番号が間違っていました。聖歌292番でした。FBで僕の記事をお読みくださった方が、その友人の方のことにも合わせて思いをはせながら、これを歌って、動画にしてお送りくださいました。米国にお住まいの方です。

改めて、上記のヤコブ書のことばを思いながら、困難にあっている身近な方を覚えながら、同時に、そこに現わされている主のみわざを感謝することができればと思います。その方は、ご友人や僕の母のことも覚え、聖霊様に導かれるまま、ほとんど何の準備もないままに録音し、YouTube にアップしてくださいました(修正バージョンをお送りいただきました)。その熱い思いが、本当にありがたく思いました。

改めて、歌詞をご紹介します。僕はしばしば日本語の歌詞に不満を持ってしまいますが、この歌詞は、一言一言、本当にすばらしいと感謝できます。洋子も、「この歌詞はお母様にぴったりね……」と言ってくれています。昨晩から今日にかけて、二週間ぶりに、安心して眠りに着くことができました。

今日まで守られ きたりし我が身
つゆだに憂えじ 行く末などは
いかなるおりにも 愛なる神は
すべてのことをば 善きにしたもう

か弱き者をも 顧みたもう
わが主の恵みは この身に足れり
にぎおう里にも 寂しき野にも
主の手にすがりて 喜び進まん

主の日ぞいよいよ 間近に迫る
浮き世の旅路も しばしの間のみ
まもなく栄えの 御国に行きて
ときわに絶えせず わが主と住まわん