マタイ27章45〜56節「十字架の忌まわしさと麗しさ」

2023年6月11日 

イエスの十字架での苦しみは私たちの想像を超えるもので、そこでの主の「大声」での「叫び」が「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」と記録されています。それはイエスの絶望的な叫びです。

一方イエスが息を引き取る際のことが、「再び大声で叫んで霊を渡された」と描かれます。それはそこにいた百人隊長に、「この方は本当に神の子であった」と告白させるような威厳に満ちた、全世界の王としてのことばでした。

その二つの「大声」に目を向けて見ましょう。

十字架刑は、「忌まわしさ」の極みであり、イエスはその苦しみを全身全霊で引き受けたのですが、同時に、それは神による「新しい創造」(ガラテヤ6:15) という「麗しい世界」の誕生のときでもあったのです。

しかもその二つの側面は、イエスの十字架の場面での「大声での叫び」に明らかにされています。

 1.「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

イエスが十字架にかけられたのは午前9時であったとマルコの並行記事に記されています (15:25)。その後、ルカやヨハネに描かれた十字架上のことばをイエスは発せられますが、マタイでもマルコでもそれらのことばは記録されません。

その代わりに、「イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった」と、ともに十字架につけられた犯罪人からさえも「ののしられた」ということが強調されます。

マタイでもマルコでも、イエスがその場にいたすべての人々から嘲りやののしりを受けたことばかりが描かれます。イエスはこのとき、すべての人から見捨てられていたのです。

そのような中で、「十二時から午後三時まで闇が全地をおおった」(45節) と描かれます。これはルカ23章45節では、全地が真っ黒な雲に覆われたというより、「太陽は光を失っていた」ことの結果であると描かれています。

北王国イスラエルが繁栄を享受していた時代の預言者アモスは、そこに神のさばきが下ることを、「ああ、主 (ヤハウェ) の日を切に待ち望む者。主 (ヤハウェ) の日はあなたがたにとって何になろう。それは闇であって、光ではない」(5:18) と記しながら、「その日には、―神である主のことばーわたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くする(8:9) と預言していました。

つまり、「闇が全地をおおった」ことの意味は、神のさばきの現れと言えるのです。それはイエスが、その身に全世界の罪を負うことによって、「のろわれた者」となられたということを意味します。

後に使徒パウロは、そのことの意味を、「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『木にかけられた者はみな、のろわれている』と書いてあるからです」(ガラテヤ3:13) と記しました。

そこで引用されたことばは申命記21章22、23節からの引用で、そこでは「ある人に死刑に当たる罪過があって処刑され、あなたが彼を木にかける場合、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主 (ヤハウェ) が相続地として与えようとしておられる土地を汚してはならない」と記されていました。

つまり、イエスはこのとき、神と人の両者からのろわれた者となり、絶対的な孤独を味わっておられたのです。

そのような孤独の極みの中で、「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』 これは、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(46節) と描かれます。その響きを伝えるために、ここでは当時のことばがそのまま記録されています。

ただし、マルコでは、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたと、少し発音が違って記録されます。どちらにしても、それは基本的にイエスが使ったはずのアラム語の発音です。

ただ、マタイは、「エロイ」を「エリ」というヘブル語的な発音として記録しています。それは当時のユダヤ人の発音に近づけるためであったと思われますが、そのような若干の違いがあるにしても、これはイエスのことばのギリシャ語訳の意味を記す代わりに、実際に言われたアラム語の発音をそのまま残そうとした画期的な描写です。

それを聞いた当時の人は、このことばが詩篇22篇1節の祈りそのものであることをすぐに理解できたに違いありません。

そこには、まさにイエスが受けたあざけりの様子がそのまま記されています。イエスは、この期に及んで「どうして」と不信の気持ちを訴えているわけではなく、全世界の罪を負って、のろわれた者となりながら、なおあきらめることなく、「私の神よ、私の神よ」と神への信頼を表現しながら、神の救いを訴え続けています。

事実、詩篇22篇の文脈からは、「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」ということばは、見捨てられた理由を恨みがましく尋ねることばではなく、「どうか、わたしを見捨てないでください」という訴えに他ならないことは誰の目にも明らかになります。これは、たとえば、妻が夫に、「どうして、私の話を聞いてくれないの!」と訴えることに似ています。

そして、詩篇22篇はキリスト預言である前に、その千年前のダビデ王の告白であり、多くのユダヤ人が神から見捨てられたと感じた気持ちの告白でもあります。ですからイエスはここで罪人の代表者であるばかりか、すべての見捨てられた気持ちを味わっている者の代表者となって叫ばれたとも言えましょう。

それは、多くの日本人が心の奥底に潜めている「見捨てられ不安」にも通じることばです。イエスは見捨てられ不安に悩むすべての人の王として叫ばれたとも言えましょう。

2.「イエスは再び大声で叫んで霊を渡された」

ただし、イエスの叫びを聞いたユダヤ人たちは、そこで詩篇22篇を思い浮かべはしませんでした。その代わりに、「そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。『この人はエリヤを呼んでいる。』」と描かれます。「エリ、エリ……」という叫びが、預言者エリヤを呼び求めたように聞こえたのでしょう。

しかし、そこには嘲りの気持ちが込められていました。イエスが救い主なら、その前にエリヤが現れているはずで、「この期に及んで何だ?」という気持ちと言えましょう。

当時のユダヤ人は、旧約最後のマラキ書の終わりに「主 (ヤハウェ) の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤを遣わす」(4:5) と記されていることをもとに、キリストの到来以前にエリヤの到来を待ち望んでいました。イエスがこのときエリヤを呼んでいるとしたら、自分がエリヤより先に現れてしまったことを嘆いているとも言えるからです。

そのような中で、「そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒につけてイエスに飲ませようとした」と描かれます。「酸いぶどう酒」とは当時、奴隷や兵士たちが用いた安っぽい飲み物で、酢の殺菌作用や筋肉活性化の効果も期待されていました。

ですからこれはイエスの苦しみを長引かせるための飲み物とも言えます。しかもこれは詩篇69篇21節での「私が渇いたときには酢を飲ませました」という記述を思い起こさせます。

その19–21節では、「あなたはよくご存じです。私の嘲りと 恥と恥辱とを。私に敵する者はみな あなたの御前にいます。嘲りが私の心を打ち砕き 私はひどく病んでいます。私が同情を求めても それはなく 慰める者たちを求めても 見つけられません。彼らは私の食べ物の代わりに 毒を与え 私が渇いたときには酢を飲ませました」と記されています。

つまり、喉が渇く人に水の代わりりに「酸いぶどう酒」を飲ませるとは、嘲りのしるしでもあるのです。

このことに関してヨハネ19章28節では、「イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、『わたしは渇く』と言われた」と記されています。

それはまさにイエスが詩篇69篇や詩篇22篇に描かれたような徹底的な辱めをご自身で受けながら、神と人との愛に「渇いて」おられたことを表わすことばであったと言えましょう。イエスはこのときすべての見捨てられた人の仲間、王となって苦しんでおられたのです。

さらに、そのとき「ほかの者たちは『待て。エリヤが救いに来るか見てみよう』と言った」(49節) と記されます。「待て」とは、エリヤの助けを求めるイエスをじっと待って、あざ笑い続けようという意味だと思われます。

事実、マルコの並行記事では酸いぶどう酒を差し出した人自身が、「『待て。エリヤが降ろしに来るかを見てみよう』と言って、イエスに飲ませようとした(15:36) と記されているからです。

そのような中で、「しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された」(50節) と描かれます。これはイエスが最後まで意識をしっかり保ちながら、ご自分から霊を渡されたことを示します。

ですから、ルカでは「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」と大声で叫んでから、「息を引き取った」と描かれます (23:46)。

またヨハネでは、「イエスは酸いぶどう酒を受け取ると、『完了した』と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった」(19:30) と描かれます。

どちらにおいても、イエスは力が尽きたというよりは、ご自分の意思で、この地上のいのちを終えられたということが強調されています。

イエスが息を引き取られた時にさまざまな不思議が起きます。その第一が、「すると、見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(51節) ということでした。それは大祭司が年に一度だけ、いけにえの血を携えて至聖所に入る際の聖所と至聖所を隔てる「幕」が無くなったこと、至聖所に至る新しい「生ける道」が開かれたことを意味します。

その意味を後のヘブル書の著者は、「私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの生ける道を開いてくださいました(私訳:私たちは聖所に入るための大胆さを持っているのですからーそれはイエスがご自分の血において、垂れ幕を通しての新しい生ける道を開いてくださったことによるもので、それこそはご自分の肉体によるものですが)」(10:19、20) と記しています。

翻訳上の難しさがあるにしても、イエスが十字架で死なれた時、天の父なる神につながる「生ける道」が開かれたことが確かです。

さらにその後のことが、マタイの原文に忠実に訳すと、「そして地が揺れ動いた。そして岩が裂けた。そして墓が開いた。そして、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。そして、墓から出てきて、彼らはイエスの復活の後に、聖なる都に入った。そして多くの人に現れた」(52、53節) と描かれます。

ここには「そして」という接続詞が敢えて繰り返されていますが、地震や岩が裂けたことは「墓が開いた」ということへの前提と考えられ、それが、聖なる人々のからだが生き返ったこと、また、彼らが墓から出てきたことにつながっています。

ただし、彼らの生き返った姿が人々に明らかになるのは、イエスの復活の後であると敢えて記されます。ここで興味深いのは、イエスの死が、「聖なる人々のからだが生き返った」ことにダイレクトにつながっていることです。

それはイエスの死には、「死の力を滅ぼす」、または「無力化する」という意味があったことを示します。ヘブル書の著者は、イエスが「血と肉をお持ちになられた」理由を、「それはご自身の死によって、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、無力化するためであり、また、死の恐怖によって一生涯奴隷となっていた人々を解放するためでした」と解説しています (2:14、15)。

3.「この方は本当に神の子であった」

最後に、百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れた。『この方は本当に神の子であった』と言いながら」と描かれます。

ここでは百人隊長ばかりか、イエスを見張っていた兵士たちも、イエスが「神の子」であることを「恐れ」のうちに認め、告白したと描かれています。

なおこの場面に関してのマルコの並行記事では、イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。『この方は本当に神の子であった』」(15:39) と描かれます。マルコではイエスが息を引き取るまでの姿に百人隊長一人が感動したようすが描かれます。

ローマの将校は、本来、ローマ皇帝のことだけを「神の子」と呼んだはずですが、無力に十字架にかけられ、殺された方を、「神の子」と呼ぶなどということは奇想天外なことです。イエスを「ユダヤ人の王」として、あざけり、ののしり、その衣をくじ引きで分けた兵士たちは、この百人隊長の部下であったはずです。

彼はそれに対するイエスの対応に、真の王としての風格を見て、深く感動したのではないでしょうか。

一方で、マタイではそこにいる他の兵士たちが地震その他の不思議に恐れを抱いてそのように告白したという違いが見られます。とにかく、イエスの死は、そこにいた聖書知識のない異邦人の心を聖なる恐れで満たしたのです。

それはマタイの福音書の記述が、東方の博士たちが幼子イエスを礼拝することから始まることに対応します。さらに、その十字架の場面をじっと見ていた大勢の女たちの姿が描かれます。イエスの男の弟子たちも宗教指導者も、イエスの十字架の姿を見て、感動するということはありませんでした。

ただしイエスは、24章27–30節で、「太陽が暗くなる」という天変地異に関して以下のように述べておられます。

これは、しばしば、キリストの再臨を指すことばとしてのみ理解されますが、「人の子」の「王としての現れ」を指すということでは、この十字架の場面をも示唆すると理解できるのではないでしょうか。

「人の子の到来(王としての現れ)は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現するのです。死体のあるところには、禿鷹(「鷲」とも訳される)が集まります。そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみます。そして彼らは見るのです、人の子が天の雲のうちに、力と偉大な栄光とともに来る(現れる)のを」

なお、「人の子のしるし」を見て、「胸をたたいて悲しむ」という表現は、ゼカリヤ12章10節でイスラエルのすべての部族が、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように……その者のために激しく泣く」という表現の七十人訳のギリシャ語と同じです。

これは十字架に架けられた方が預言された「人の子」としての救い主であることを認め、その方を「自分たちが突き刺した」と、激しく泣きながら認めるという意味です。

ペテロは、ペンテコステの日に、そこに集まったイスラエルの民に向かい「このイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです」(使徒2:23) と語って、そこに集まっていた三千人を悔い改めに導きました。今も私たち異邦人も、自分たちの罪がイエスを十字架に架けて殺したと告白してバプテスマを受けます。

不思議なのは、ルカの福音書のイエスの十字架の死の後の記事では、このゼカリヤの預言の先駆けかのように、「この光景を見に集まっていた群衆もみな、こういういろいろの出来事を見たので、胸をたたいて悲しみながら帰った」(23:48) と描かれていることです。

さらにヨハネに描かれたイエスの十字架の死後に「兵士の一人は、イエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、すぐに血と水が出てきた」と描かれますが、その意味が、この同じゼカリヤ書のことばを引用しながら、「彼らは自分たちが突き刺した方を仰ぎ見るという聖書の成就であると説明されていることです。

つまり、ルカでもヨハネでも、イエスの十字架に「人の子の栄光の現れ」の先駆けのような意味が読み取られているのです。

また先のガラテヤ人への手紙3章14節では続いて、「それは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためでした」と描かれます。

つまり、イエスがイスラエルの王として「のろわれた者」となられたことが、今、私たち異邦人がその「約束の御霊」を受けるということに結びついていると描かれています。

さらに前回引用された詩篇22篇においても、「わが神、わが神、どうして……」と沈黙しておられる神への訴えに続いて、不思議にも「あなたは私に答えて下さいました」(22:21) という告白があります。つまりイエスの叫びは、見捨てられた者としての後悔の叫びではなく、どん底でなお神に呼び求める行為だったのです。

イエスはユダヤ人の王だからこそ、彼らの代表者として神のさばきを受け、また神に向かって叫び、彼らに救いを実現できました。そればかりかイエスは全世界の王、すべての人間の代表者として十字架にかかり、神の救いを求めて叫びました。

イエスはご自分が預言された救い主であることを公言することによって十字架に架けられました。当時のエルサレムにいた人はみな、イエスが偽物か本物かの判断を迫られていました。しかもイエスは死から「三日目によみがえる」(20:19) ことを公言し、弟子たちに復活の姿を現されます。

当時の人々は、弟子たちがイエスの復活をでっち上げたと信じるか、また本当にイエスは復活したかのどちらかの選択を迫られていました。それほどにイエスの十字架と復活は、誰の目にも明らかな出来事となって行ったのです。

それと同時に、「死体のあるところには、禿鷹(はげたか)が集められることになります」(28節) とも言われます。これは、「人の子の栄光の現れ」とセットに歴史上最悪の苦難が訪れるということを描いた文脈の中で、その地に「禿鷹」または「鷲」が集められることを預言したことばです。これも誰もそれを見落とすことができないほどに明らかなこととなりました。

なお、「禿鷹」を表すギリシャ語は「鷲」をも意味し、ローマ軍の軍旗のシンボルはですから、これはローマ軍がエルサレムを包囲することをイエスが示唆したとも解釈されます。つまり、エルサレム神殿の崩壊とイエスの栄光の現れがセットで描かれているとも理解できます。

そのように見ると、イエスが十字架に架けられたときの暗闇は、神の御子の苦難に、全被造物がともに「うめいていた」ことの「しるし」としても見ることもできます。

しかし、それこそ神の民の救いが成就するときとなっていたのです。これは過越しの祭りの日であり、満月の時期でしたから、決して日食が起こったわけではありません。

ある人は、太陽の創造主が苦しまれた時、被造物である太陽も自分の身を隠すことになったと表現しました。そこに人の子の栄光の現れという、複合的な意味が込められています。

十字架刑は、当時の人々がそのことばを聞くだけで身を震わし、気分を悪くさせるものでした。そしてマタイの描写は、イエスが当時のすべての人か徹底的に嘲られ、一人ぼっちで苦しみに耐えておられたことを示しています。

マタイでもマルコでも、十字架のことばは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのか」という絶望のことばしか描かれません。それはイエスの徹底的な絶望感の表現でした。

しかし、「闇が全地をおおう」とは、逆説的に、イエスの王として現れを示唆する表現でもありました。イエスを十字架にかけたエルサレムは、これから40年後にローマ軍によって包囲され、彼らが誇る神殿は跡形もなく破壊されました。

ただし、それは神の民がユダヤ人の枠を超え、全世界に広げられることの始まりでもありました。十字架は、全世界にとっての「新しい創造」の始まりのときでもあったのです。