イザヤ38、39章「バビロン捕囚への道を開いた王ヒゼキヤ」

2023年4月2日

ヒゼキヤ王は聖書で、「彼はイスラエルの神、主 (ヤハウェ) に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった」(Ⅱ列王18:5) と模範的な王のように描かれます。

しかしイザヤは、彼こそがバビロン捕囚という最大の悲劇をイスラエルにもたらした張本人であるかのように描きます。最高の英雄が最大の害悪への道を開いたという皮肉は、歴史の中に何度も登場します。それは、アダムの子孫はだれも救い主にはなり得ないということを示します。

聖書に描かれたすべての人には、その愚かさが赤裸々に描かれています。しかしそれらのただ中で、主の平和(シャローム)の計画は進んで行きます。

1.「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。」

38章1節の「そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた」というできごとは、明らかに36、37章に描かれたアッシリア攻撃の前のことです。それは、その6節になってようやく、神がこの都をアッシリアの攻撃から守ると約束されていることからも明らかです。

なお5節では、ヒゼキヤの寿命が15年間延ばされたと記されますが、種々の王の名前との関連からも彼の死は紀元前687年頃であると推測されると同時に、アッシリア帝国のエルサレム攻撃が紀元前701年だとすると、この出来事はその一年前のことと考えるのが合理的です。

それまでヒゼキヤは、国の中からあらゆる偶像を取り除き、民をイスラエルの神、主(ヤハウェ)に立ち返らせるというすばらしい働きをしていました。しかし今、目の前にアッシリアの脅威が迫り、国が危機に瀕しています。彼の病は多分に、ストレスが原因となっていたのではないでしょうか。

そのような中で、預言者イザヤは、「主はこう言われる。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない』」と伝えに来ました (38:1)。

それを聞いた「ヒゼキヤは、顔を壁に向け、主 (ヤハウェ) に祈った」と描かれます (38:2)。そこで彼は大胆に、「ああ、主 (ヤハウェ) よ、どうか思い出してください。私が、真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを」と述べます (38:3)。

さらに、ここでは「ヒゼキヤは大声で泣いた」と描かれます。彼がそのように反応するのは当然とも言えます。

ヒゼキヤの生涯の年代確定は困難ですが次のように推測できます。Ⅱ列王記18章10節では北王国の首都サマリアがアッシリアによって滅ぼされたのがヒゼキヤの第六年と記されますが、これは紀元前722年のことで、このときは父アハズが生きていました。

アハズが死んだのは紀元前716年だと思われ、ヒゼキヤはアハズとともに約12年間の共同支配をしていたと考えることができます。彼は自分の父が神の怒りを買って、国を混乱させる様子を見て、激しく心を痛めていたのでしょうが、行動を起こすタイミングを待っていました。

そして父の死の直後、驚くべき勢いで、ユダ王国ばかりか滅亡した北王国にまで手を差し伸べ、彼らを神に立ち返らせました。Ⅱ歴代誌29、30章には、ヒゼキヤが主の宮をどのように聖め、また北王国の残された民を招いて過越の祭りを祝ったかが描かれています。そこでは七日間の種なしパンの祭りのようすが、「エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代以来、エルサレムでこのようなことはなかったからである」(Ⅱ歴代30:26) と記されます。

彼が「真実と全き心をもって」神に仕えてきたということは、歴代誌や列王記の記者自身が認めていることなのです。

私たちの場合でも、誠実に主に仕えてきたつもりなのに、特別なわざわいに会うとしたら同じことを訴えたい気持ちが生まれることでしょう。彼が大声で泣きながら訴えたことの背後には、そのような歩みがあったのです。

この訴えに対し38章4、5節では、「そのとき、イザヤに次のような主 (ヤハウェ) のことばがあった」と描かれながら、その内容が「行ってヒゼキヤに告げよ。『あなたの父ダビデの神、主 (ヤハウェ) はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加える』」(38:5) とまず記されます。

主(ヤハウェ)はご自身のことを敢えて、「あなたの父ダビデの神」と紹介しておられます。それは、ヒゼキヤの功績以前に、ダビデとの契約のゆえにヒゼキヤに特別な恵みを注ぐという意味です。

さらに不思議なのは、主は先に「あなたは死ぬ。治らない」というご自身のみこころを告げておられたのに、ここでは「あなたの祈りを聞いた、あなたの涙も見た」ということを、ご自身のみこころを変える理由としておられることです。私たちは「神のみこころ」をあまりにも運命論的に考えているかもしれません。それは、神が私たちに対するご計画を、私たちの涙を見て変えてくださることを示しています。

そして、ヒゼキヤがダビデ契約のゆえに特別視されたと同じように、私たちはイエスの御名を呼び求め、イエスにつながっていることによって、特別に選ばれた「神の子」として見ていただけるのです。

私たちは「変えられないことを受け入れる平静な心を」与えられるようにと祈っていますが、それは「変えられないことと変えられること」を「見分ける賢さ」を求めるということとセットになっています。あまりにも安易に、すべてを「変えられないこと」と見るのではなく、主がみこころを変えてくださるようにと祈る「勇気」も大切でしょう。

さらに、主(ヤハウェ)は続けて、「わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、この都を守る」と言われました。これこそ、先の37章35、36節で成就した主のみこころでした。

このときヒゼキヤは自分の肉体の命のことしか祈っていなかったように見えますが、主はヒゼキヤの懇願を超えたことを語ってくださいました。それはヒゼキヤが一人の政治家として、他国との連合によって大国アッシリアに対抗しようという考え方が心の奥底まで染み込んでいたからです。そのことが39章ではヒゼキヤの問題として顕わになります。

多くの人は政治家に幻想を抱きすぎる傾向があります。政治家の働きは基本的に、力と力の均衡の中で自分の理想を保ちながら、周りの多くの人々の力を利用して目的を達成することです。そのような力と力のバランスを見極めることができない人は、政治を動かすことはできません。

しかし、主(ヤハウェ)はここでヒゼキヤに、自分の徹底的な弱さを自覚させ、政治家を超えた発想で生きられるようにと導いておられるのではないでしょうか。それがヒゼキヤの心に通じていたかどうかは、後で明らかになります。

その上で、主(ヤハウェ)は彼にひとつの「しるし」を与えます。それは「日時計の影を十度後(あと)に戻す」という不思議なことでした。これは地球を逆回転させるということではなく、影だけを戻すということで、光の創造主である方には、容易なこととも言えましょう。全宇宙の創造主に難しすぎることなどないということを常に覚えたいと思います。

実は、神にとって太陽の影を戻すことよりはるかに難しいのは、人の心を変えるということかもしれません。しかも、ここで主が、「見よ。わたしは、アハズの日時計に落ちた時計の影を、十度後に戻す」(38:8) と、日時計の名を言われたことには大きな意味があります。

アハズはヒゼキヤの父でしたが、ユダの王では最悪の王のひとりで、あらゆる偶像礼拝を持ち込み、エルサレム神殿を汚すことを行ったからです。本来ならそれによってユダ王国は神のさばきを受けてしかるべきでしたが、神がご自身のあわれみによってその時代をもとに戻してくださるという意味が込められているように思われます。

2.「見よ、平安(シャローム)のために苦い苦しみが私にあった」

そして、ヒゼキヤは病気からの回復後、一つの歌を記します。これは「ヒゼキヤの詩篇」と呼ばれるものですが、不思議にもその大半は絶望感の告白のように見えます。

それは、主(ヤハウェ)がヒゼキヤに、後の日に、ユダの民全体に訪れる絶望感をあらかじめ感じさせるためとも言えるかもしれません。

ヒゼキヤはまず、「私は言った。私は生涯の半ばで、よみの門に入る。私は残りの年を失ってしまった」(38:10) と嘆きます。

その上で、死後の世界の絶望を、「私は主(ヤハ)を見ることはない、生ける者の地で主 (ヤハ) を。私は再び人を見ることはない、死人の国の住民とともにあるから」と、死後の世界ではこの生ける者の地でのように、主を見ることも、人を見ることもできないと嘆きます (38:11)。

ヘブル人の世界では、死後の世界に希望を見ることはできませんでした。それは日本古来の考え方に似ている面があります。それに対して、仏教やギリシャ哲学の世界では、肉体の死を魂が肉の束縛から解放される喜びのときと見る傾向があります。しかしそれは聖書的な死生観ではありません。詩篇115篇17節では、「死人は主(ヤハ)をほめたたえることがない」と断言されているほどです。

それに対して、イザヤ26章19節では、主とともに生きる者の希望を、「あなたの死人は生き返り、私の屍は、よみがえります。覚めよ、喜び歌え。土のちりの中にとどまる者よ……地は死者の霊を生き返らせます」と歌われます。

私たちにとって、キリストの十字架と復活がなければ、すべての死人の中に希望を持つことはできないはずなのです。

さらに、38章12節では「主は私を、機(はた)から断ち切られる」、13節では「主は雄獅子のように私のすべての骨を砕かれます」と記され、それぞれの終わりでは、「昼から夜へと、あなたは私を終わりに近づけられます」ということばが繰り返されます。これは、自分を絶望の死に追いやるのが、主ご自身の働きであるという告白です。

そのような中で、「燕(つばめ)や鶴(つる)のように私は泣き、鳩のようにうめきました。私の目は上を仰いで衰えました。主よ、私は虐げられています」と告白します。

私たちはこの世の不条理を受け入れようとする前に、その苦難のただ中で、「泣き」「うめく」ことが求められているのかもしれません。事実、主は、ヒゼキヤの「涙を見た」結果として、彼を死の病から救ったのですから。

そしてここで何よりも興味深いのは、その嘆きの後で、「私の保証人となってください」と、さらに主にすがっていることです。

詩篇102篇23節では、「主は 私の力を道の半ばで弱らせ 私の日数を短くされました」と、自分の絶望感が、主ご自身に由来すると率直に訴えられます。

しかし、不思議なのは同時に、「私は申し上げます」という枕詞とともに、「私の神よ 私の日の半ばで 私を取り去らないでください」と明確に訴えられていることです (同24節)。「運命だと思って諦め、それを受け入れよう」というのは演歌の世界です。

しかし、聖書の世界では、「この苦難をもたらしたのは神であられるからこそ、希望がある。だから、神がご自身のみこころを変えてくださるように祈ってみよう」ということになるのです。

ある人が、「主のさばきから逃れる唯一の道は、主のふところに飛び込むことである」と言いましたが、彼はそれを実践しています。

38章15節からは、ほのかな希望が見えてきます。まず、「何を私は語れるでしょう」と、主のみわざを思い巡らして問いかけながら、「自分のたましいの苦しみのゆえに、ゆっくりと歩んで行きます」と着実な歩みをすると応答します。

さらに16節では「主よ、これらによって人は生きるのです」と記されますが、これは先の苦しみを抱えながらゆっくりと歩くことを指していると思われます。苦しみを無くそうするとのではなく、それを抱えながら生き、ただそのような中でも、「どうか私を健やかにし、私を生かしてください」と祈ることができます。

そして17節は、「見よ、平安 (シャローム) のために苦い苦しみが私にあった」と訳すことができます。主にある「苦い苦しみ」はすべて、真のシャロームに結びつくと断言されているのです。

そのことがさらに「あなたこそが私のたましいを慕い(気遣い)、滅びの穴から引き離されました。あなたは私のすべての罪をあなたのうしろに投げやられました」と、主の一方的な救いと罪の赦しが告白されます。

18節では「よみ」「死」「穴に下る」という表現で、死に伴う絶望が語られ、19節では、「生きている者、ただ生きている者だけが、今日の私のように、あなたをほめたたえますと告白されます。

そして20節ではそれらすべてを要約するように、「主 (ヤハウェ) は私を救ってくださる。私たちは生きている日々の間、主 (ヤハウェ) の宮で琴を奏でよう」と告白されます (20節)。

それにしても、本来なら、この最後の20節だけで、主への賛美は十分とも言えるのに、その結論に至る前に、ヒゼキヤの絶望感が、また人間のいのちのはかなさが描かれ、それがすべて主のご支配の中にあるということを告白される必要があったのでしょう。

3.「そして彼は自分に言った、自分が生きている間は、平和(シャローム)と安定があると」

38章21、22節の記述は不思議です。これは時間的には、38章の6節と7節の間に入るべきことだからです。しかし、イザヤはこのことを39章のヒゼキヤ王の「愚かさ」と敢えてつなげようと、この部分を彼の歌の後に記したのだと思われます。

ここでイザヤは癒やされる方法を極めて具体的に、「ひとかたまりの干しいちじくを持ってこさせ、腫物の上に塗りなさい。そうすれば治ります」と述べました。ここに描かれた「腫物」という単語は、サタンがヨブを「悪性の腫物で打った」(ヨブ2:7) と描かれている病と同じです。

ここでは、主(ヤハウェ)ご自身が「ひとかたまりの干しいちじく」を用いてヒザキヤを癒やしてくださると言われたのですから、すなおにそれを実行すればよかったのです。ところがヒゼキヤはそれをすなおに実行する前に、「私が主 (ヤハウェ) の宮に上れるしるしは何ですか」と、余計なことを尋ねてしまったのです。

そして、これは39章での目に見える「しるし」として、バビロンの使者の訪問を「喜ぶ」という行動につながっています。

そして39章1節では、「そのころ……バビロンの王メロダク・バルアバンは使者を遣わして、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼は病気だったが元気になった、と聞いたからである」と記されます。

この王は紀元前722~710年、および703年に9か月バビロンの王であったという記録があり、このころアッシリアの圧政に苦しんでいました。バビロンにとってエルサレムはアッシリアの反対側にある国ですから、敵の敵は味方ということで同盟を求めてきたのでしょう。

それに気を良くしたヒゼキヤは、「彼らを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、一切の武器庫、彼の宝物倉にあるすべてのものを彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった」(39:2) と描かれます。

その後、「預言者イザヤはヒゼキヤ王のところに来て」、彼に「あの人たちは何と言いましたか。どこから来たのですか」と尋ねます (39:3)。

ヒゼキヤは会話の内容を教えることを避けて、「遠い国、バビロンから来ました」とのみ答えました。それは、はるかに遠い国からきた人を丁重にもてなしたというニュアンスだったことでしょう。

それでイザヤはさらに直接的に、「彼らはあなたの家で何を見たのですか」と尋ねます (39:4)。それに対し、ヒゼキヤは正直に、「私の家の中のすべての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかったものは一つもありません」と答えます。

残念ながら、ヒゼキヤは自分の豊かさを見せることを、自分がバビロンの同盟者として信頼に値する大国であるという意味としか考えていませんでした。しかし彼らはユダ王国の軍事力の弱さなどはすぐに見破ることができます。これはまるで泥棒に対する警備の準備を忘れて、自分の家の豊かさを突然の訪問者に自慢するような愚かさです。

それに対して、イザヤは、「万軍の主 (ヤハウェ) のことばを聞きなさい」と、主 (ヤハウェ) の力強さを強調しながら、「見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。何一つ残されることはない……また、あなたが生む、あなた自身の息子たちの中には、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者がいる」(20:17) という恐ろしいことを語ります。

これこそが40章以降のバビロン捕囚とそれからの解放を告げる預言への導入となります。

しかし、ヒゼキヤはそれに対して、「それは善いことだ、あなたが告げた主 (ヤハウェ) のことばは」と答えます。それは単に、主のお告げを感謝して受け止めるという程度の意味でしょう。

しかし、それに続けて彼の本音が、「そして彼は自分に言った、自分が生きている間は、平和 (シャローム) と安定があると」と描かれます。彼ほどの王でも、人生の危機を通して、世界の見方が近視眼的になるのは驚きです。

この後、信仰によって巨大帝国アッシリアと戦うことになるヒゼキヤでさえも、そのアッシリア以降の歴史には目が向かいませんでした。それこそが多くの人の現実ではないでしょうか。

この行動に関して歴代誌の記者は、「ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えようとせず、かえってその心を高ぶらせたので、彼の上に、またユダとエルサレムの上に御怒りが下った」(Ⅱ歴32:25) と記します。これはまるで、バビロン捕囚が、ヒゼキヤの高慢のゆえに起きたかのような表現です。

しかし同時にそこには、「しかし、ヒゼキヤがその心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼もエルサレムの住民もそうしたので、主 (ヤハウェ) の御怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった」(同32:26)と記されます。しかし、それは束の間の平和(シャローム)でした。

なお、この重大な出来事が、アッシリア帝国を劇的な形で撃退したということの後に敢えて記されているのは、時間的な順番ではなく、その後のバビロン捕囚への流れという論理的な順番を明確にするためです。

ヒゼキヤは大勝利の前に大敗北への道備えをしてしまっていたのでした。事実、預言者イザヤの書では、このヒゼキヤの安易な安心が描かれることで、バビロン捕囚以前の記録が終わり、40章からは時代がはるかに飛んで、バビロン捕囚からの解放とキリスト預言が重ねられて描かれます。

日本の歴史で言えば、日露戦争での劇的な勝利が、「神国日本は不滅である」という幻想を生み、第二次大戦での大敗北に道を開いたことが明らかです。

そして、エルサレムもアッシリアの攻撃をこのときに、主のあわれみによって撃退できたことが、エレミヤ書に繰り返し記されている祭司や預言者の状況、「彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒し、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている」という幻想を生みました (6:14)。

またそれが、「これは主 (ヤハウェ) の宮、主 (ヤハウェ) の宮、主 (ヤハウェ) の宮だ」という幻想的な勝利主義ばかりで自分たちの行いを変えようとしない傲慢さに結びつきました (7:4、5)。

実は、ヒゼキヤはエルサレムを守った王であるとともに、バビロン捕囚への道を開いた王でもあるのです。

それと同時に、たとえば、地球温暖化の危機が叫ばれていても、多くの人々には、「自分が生きている間、平和で安全であれば……」と子孫たちへの配慮が欠けています。

しかし、そのような無責任、無関心こそが、罪の本質ではないでしょうか。傲慢と無関心こそが悲劇への導入口なのです。

ヒゼキヤは理想的な王でしたが。アダムの子に過ぎませんでした。彼の限界こそが、救い主への期待につながります。

イスラエルの民のバビロン捕囚は、私たちが富と権力の奴隷、サタンの奴隷となっていることを示唆します。ヒゼキヤはその道を開きましたが、真のダビデの子のイエスがその奴隷状態から解放してくださいます。

私たちはこの地で「たましいの苦しみ」を抱えて「ゆっくりと歩んで行きます」が (38:15)、私たちには既にキリストの御霊が与えられています。

私たちもヒゼキヤのような失敗と成功を繰り返しますが、主イエスはそれらすべてを働かせて益としてくださり、真の平和(シャローム)を実現してくださいます。