映画「生きる living」—— 自分の心と目に聞く歩み〜伝道者11:9

大昔に流行った黒澤明監督の「生きる」をリメークした英国映画が上映されています。ノーベル賞作家の日系英国人カズオ・イシグロさんの脚本による映画です。余命半年を宣告された市役所勤務の紳士が、本当に意味で「生きる喜び」を再発見するというドラマです。基本的なあらすじは黒澤明監督と同じと言われます。

伝統、秩序、建前、前例主義、立場で人を見るなどの社会的な風土は英国と日本にかなりの共通点があるように思います。主人公の英国紳士は、市役所で リスクを取らず、自分の課の立場を守ることを第一に生きてきましたが、がんで余命半年を宣告されたとき、自分の人生を真の意味で「生きて」はこなかったことに気づきます。自分の課の若い職員が、夢にチャレンジしている姿から刺激を受け、その町で課題になっていた小さなことに真正面から取り組み、それまでの官僚的な保身の生き方を脱して物事をやり遂げ、その中で生きるていることの喜びを発見するというドラマです。とっても感動的な映画でした。

それにしても設定はまだ現役の市役所職員ですから、僕よりずっと若いはずなのに、生きる喜びを味わっていない……ということに、ある意味で衝撃を受けましたが、意外に、そのような人は多いのかもしれません。

伝道者の書11章9節、12章1節に次のように記されています(私訳)

11:9 若者よ あなたの若さを楽しめ。若い日にあなたの心をしあわせにせよ。あなたの心にある道とあなたの目に映るところに従って歩め……

12:1 災いの日々が来て、『私には何の喜びもない』という年が近づく、その前に。

実は、伝道者の書での「若い日」とは、身体が不自由になりあらゆる面での気力も失せてしまうような状態になる「前の」すべての日々を指します。少なくともこの記事を読むことができる人は、伝道者の書が言うところの「若い日」の人と言えましょう。

自分の心の中に、「これは今、必要とされていることではないか……これをやってみたい……」と何か心の底から湧き上がるような思いが出てきたときに、それに身を任せるということが求められているのではないでしょうか。そこにこそ、生きる喜びが生まれてきます。それは自分の心と自分の目で感じ取るもので、それは外から押し付けられた義務感で行うような働きではありません。ご自分の感性を信じることと、主のみこころを行うことは多くの場合矛盾はしません。信仰は道徳ではなく、生きる喜びの原点です。