マタイ26章1〜13節「この人のしたことが世界中で覚えられる」 

2022年11月13日

多くの人々は、自分の問題の解決を求めて、イエスのもとに来ます。それに対しイエスは、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と言われました (16:24)。

それは自分の必要を満たすためではなく、自分から自由にされるためにイエスに従うことによって、結果的に、自分の問題が解決されて行くという信仰の逆説を指しています。

1.「祭りの間はいけない。民の間に騒ぎが起きるといけないから」

26章1節は、「イエスはこれらのことばをすべて語り終えられた、そのときのことです」と訳すことができます。これは21章23節以降のエルサレム神殿での説教、または24章3節以降のオリーブ山での世の終わりの説教すべてが終わったことを告げるものと思われます。

その上で「イエスは弟子たちに」、「あなたがたは知っています、あと二日たつと過越の祭りになるということを。そして人の子は十字架につけられるために引き渡されます」(2節) と言われました。

これは16章21節、17章22、23節、20章17–19節に続く四回目の受難予告ですが、他の箇所では復活予告がセットにされているのに、ここでは「人の子」が「十字架に引き渡される」ということのみが簡潔に述べられます。

これは、イエスが「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29) として屠られることを示唆したことばとも言えましょう。

ところが、「そのころ、祭司長たちや民の長老たちが、カヤパという大祭司の邸宅に集められた。そして、彼らは相談した、イエスをだまして捕え、殺すために。しかし、彼らは言っていた、祭りの間はいけない、民の間に騒ぎが起きるといけないから」と記されます。

ヨセフスの推測によると、当時の過越の祭りには三百万人近くが集まっていたとも言われますが、その中にはガリラヤから来た人々も多く含まれています。彼らの中にはイエスの不思議なわざを見たり、またイエスのメッセージを聞いたりした人が多く含まれていたことでしょう。

また彼らの多くはエルサレムの宗教指導者を特権階級として憎んでいたかもしれません。イエスを捕らえようとすることで、彼らの怒りに火が付くようなことは避けたいと思っていました。

それで祭司長たちは、一週間も続く過越の祭りの後に、多くの人々がエルサレムを去った静かな時にイエスを捕らえて殺そうと話し合っていたのです。とにかく、イエスがこの二日後に十字架に架けられるというのは、当初の祭司長たちの計画ではなかったということが興味深いことです。

6節~13節まで、イエスの頭に高価な香油が注がれるという話が描かれ、そして14、15節では、弟子の中で会計係をしていたイスカリオテのユダが、イエスを祭司長たちに売り渡すという話しへと進みます。それは、イエスを殺す計画が早められた原因がユダの裏切りにあるということを指しています。

そしてイエスは、そのすべてのご存じで、ご自身の十字架を過越の祭りに重なるように引き寄せておられたということが分かります。イエスはご自身の十字架を四度も予告しておられました。それは、イエスが群衆の気まぐれに振り回される悲劇の主人公のような方ではなく、十字架への歩みを、神のみこころとして一歩一歩、従っていたということを意味します。

イエスはご自身のときを理解していたのです。

過越の祭りは、イスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放されたことを思い起す祭りでした。そして今、イエスはご自身を新しい過越のいけにえとしてささげることによってイスラエルの民を、そして私たちをサタンの奴隷状態から解放しようとしています。

十字架が、どのようにしてサタンと罪の支配からの解放になるかに関しては様々な神学的な解釈があります。しかし、私たちは神学的な論理を考える前に、イエスご自身が十字架に向かう際に味わっていたイザヤ53章4–10節のみことばを自分自身で直接に味わうことが大切ではないでしょうか。

神学的な理屈よりも、人間イエスを動かした神のことばを思い巡らすことこそが、イエスを十字架に向かわせた神のみこころを知ることになります。

まことに、彼が負ったのは私たちの病、担ったのは私たちの悲しみ。
 だが、私たちは、彼は罰せられたのだと思った。神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきのために刺し通され、私たちのとがのために砕かれた。
 彼への懲らしめが私たちの平和 (シャローム)、その打ち傷が私たちのいやしとなった。

私たちみなが、羊のようにさまよい、おのおの自分勝手な道に向かって行った。
 そして、主 (ヤハウェ) は、彼に負わせた、私たちみなのとがを。
痛めつけられても、彼はへりくだり、口を開かない。ほふり場に引かれる羊のように。
 毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげとさばきによって、彼は取り去られた。だが、彼の時代のだれが思い巡らしたことだろう。
 生ける者の地から絶たれた彼は、わたしの民のそむきのために罰せられたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられた。しかし、彼は富む者とともに葬られた。
 それは、彼が暴虐を行わず、その口に欺きはなかったから。

彼を砕き、病とすることは、 (ヤハウェ) のみこころであった。
 もし、彼がそのいのちを罪過のためのいけにえとするなら、
末長く、子孫を見ることになる。 (ヤハウェ) のみこころは彼によって成し遂げられる。

イエスは、ご自身の王としての「栄光の現れ(パルーシア)」の時を語られた後、それに至る道を改めて示されます。それはアルプスの美しさを語った上で、誰もが躊躇するアイガー北壁の絶壁の道を示すようなものです。
残酷な十字架刑で殺されることが栄光の道などと、だれが信じることができるでしょう。

イエスはつい三日前、群集の歓呼に迎えられてエルサレムに入城しました。ユダヤ人の指導者たちは自分たちの偽善を批判するこの新しい宗教指導者に脅威を感じ、追い詰められるように殺す相談をします。

驚くべきことに、イエスはご自分から十字架刑を招いておられるのです。

2.「非常に高価な香油を入れた石膏の壺を持って⋯⋯イエスの頭に注いだ」

6節は原文の語順では、「さてイエスがベタニアにいたときのことである。そこはツァラアトのシモンの家であったが」と記されています。ベタニアという地名は、21章17節に登場しており、そこはマルタ、マリア、ラザロの家があった場所です。

そしてここの7–13節の記述を見ると、この記事はヨハネ12章1–8節のできごとと同じだと思われます。しかもそれは「過越の祭りの六日前」のことですから、このマタイでは時間をさかのぼってここに記されたのだと思われます。

ヨハネの記事ではラザロとマルタとマリアがそこにいたということは描かれていますが、それが誰の家であったかは記されてはいませんでした。その家の名は英語では、「in the house of Simon the leper(ライ病人シモンの家で)」と記されています。シモンという名はあまりにもたくさんあるので、区別のためにこの病の名が記されているだけで、このときにシモンは癒されていたと考えるべきでしょう。そうでなければ一緒の食卓に着くことはできません。

7節は、「イエスのもとにある女の人がやってきた、非常に高価な香油を入れた石膏の壺 (alabaster flask) を持って、そして食卓に着いているイエスの頭に注いだ」と記されています。

ヨハネ12章によるとこの女の人は、働き者のマルタの妹のマリアです。彼女はかつてマルタがイエスをもてなすのに忙しく働いている間、ひたすら「主の足もとにすわって、主のことばに聞き入っていた」と描かれていました (ルカ10:38、39)。

このヨハネの並行記事でもルカの記事を思い起させるように、「人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた」(ヨハネ12:2) と描かれています。

イエスは当時の人々の注目を集めていましたから、弟子たちもそれまで何度も「人の子が十字架に引き渡される」(2節) という趣旨の話を聞いても理解しかねていましたが、「主のことばに聞き入っていた」マリアは、主の痛みが分かっていたのでしょう。

この「非常に高価な香油」は、マルコの並行記事によると「ナルド油」で「三百デナリ以上に売れて」と記されるように当時の労働者の一年分の所得に相当するほど高価なものでした (マルコ14:3–5)。

しかもそこでは「その壺を割り(壊し)、イエスの頭に注いだ」と記されているように、一度にそのすべてが使われました。ただそれが「石膏の壺」であるからには、一度に使うのは当然とも言われます。

ヨハネの福音書ではその場の情景が、「一方、マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油一リトラ(約328g)取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった」(同12:3) と描かれています。

彼女はこれをイエスの頭から足まで注いだのだと思われますが、ここでは「イエスの足に塗られた香油を、マリアが自分の髪の毛でぬぐった」という部分が注目されています。布切れに吸わせては無駄になりますので、彼女はとっさに、自分の髪の毛を使うことを思いついたのでしょう。

当時の女性が、公衆の面前で自分の髪の毛をほどくこと自体大変な恥ずべき行為であり、しかもそのためには足下にひざまずく必要があります。それは恥も外聞も忘れた姿です。

そして、すると「家は香油のかおりでいっぱいになった」(同12:3) と敢えて記されているのは、これがもたらした衝撃の大きさを象徴します。

それに対する反応がマタイでは、「弟子たちはそれを見て、憤慨した、『何のためにこんな無駄をするのか。これは非常に高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに』と言いながら」(8、9節) と描かれます。ここでは憤慨した」という言葉が強調されます。

彼らはイエスのお気持ちにも犠牲にも全く無知で、これを「こんな無駄」と呼んだのです。たとえば、夫が妻の死が近いのを知りながら、最良の看護を望んで、財産を使い切るとしたら、それは愚かではなく、何よりも美しい話ではないでしょうか?

3.「この人は⋯⋯わたしを埋葬する備えをしてくれたのです」

それに対し、「しかしイエスはこれを知って彼らに言われた。『なぜこの女に困難を与えるのですか。彼女はわたしのために善い働きを行ってくれたのです』」と記されます (10節)。ここでは、弟子たちが彼女に「困難を与えて」いるということとの対比で、彼女はイエスのために「善い働きを行っている」という対比が描かれています。

イエスは、弟子たちが彼女を困らせているだけで、彼女が行っているすばらしい働きに関しては全く無知であることを厳しく指摘されたのです。

なお、マルコの並行記事では、「彼女を、するままにさせておきなさい」(14:6) ということばが最初に入ってきます。それは彼女の行動があまりにも常軌を逸しているように見えたことを前提として、弟子たちを黙らせようとするためでした。

さらにイエスは、「いつでもあなたがたは、貧しい人たちを自分たちとともに持っています。しかし、わたしいつも持ってはいないのです」と言われました (11節)。

原文では、「持つ」ということばを用いながら、弟子たちが貧しい人々を「いつも持っている」一方で、イエスご自身を「持ってはいない」と言われたのです。それはイエスが間もなく殺されることで、彼らの前からいなくなることを示唆しています。

なおマルコの並行記事では、この二つの文章の間に、「あなたがたは望むとき、いつでも彼らに良いことをしてあげられます」という文章が入っています (14:7)。それは、貧しい人たちはいつでも弟子の集団とともにいるので、いつでも彼らのための良いことができる一方で、イエスご自身に対しては、今後、弟子たちにできることはなくなることを示唆しています。

弟子たちは、イエスがいつもともにいてくださることを前提に集まってきました。そこでは彼らは、イエスから何かを受けることができるのが当たり前のような状況でした。

しかし、イエスはこのとき私たちとまったく同じ弱いからだと傷つきやすい心を持っておられました。彼らにもイエスのためにできることが何かあったのに、彼らはそれに気づいていません。

事実、イエスはこの翌日、ゲツセマネの園で弟子たちに向かって、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいてわたしと一緒に目を覚ましていなさい」(26:38) と言っておられます。

その背後には、詩篇42篇6節の「私のたましいは 私のうちでうなだれ(うちしおれ、絶望し)ています」という告白があります(「うなだれて」のギリシャ語七十人訳は「深い悲しみ」と記され、マタイでの「悲しみ」と同じことば)。

また、十字架の上で人々の嘲りを受けながら、「わたしは渇く」と言われましたが (ヨハネ19:28) と言われましたが、それは水に対する渇きと同時に、愛への渇きをも意味していました。

なぜなら、「わたしは渇く」とは、詩篇69篇20、21節からの引用で、そこでは嘲りが私の心を打ち砕き、私はひどく病んでいます。私が同情者を求めても それはなく 慰める者たちを求めても 見つけられません。彼らは私の食べ物の代わりに 毒を与え 私が渇いたときには酢を飲ませました」と記されていたからです。

マザー・テレサが始めた働きは、社会奉仕というよりも「貧しい人の中で飢え渇いている主に出会う」という礼拝行為であると説明されています。ですから、彼女たちは主の御前でただ沈黙するという祈りの時間を犠牲にしてまで活動するということはあり得ませんでした。

イエスへの愛を忘れた社会奉仕は政治や支配階級を批判する戦いになる危険性があります。しかし、イエスが「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいます」と言われたように、この地が続く限り貧しい人がいなくなることはあり得ないことでしょう。なぜなら「貧しい人たち」を作る原因は、社会体制ではなく人間の罪にあるからです。

イエスはマリアの美しい行為の意味を弟子たちに対して、「この人はこの香油をわたしに注ぐことによって、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです」(12節) と言われました。

マルコの並行記事では、「彼女は自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました」と記されています (14:8)。マリアはイエスが犯罪人として殺されることを聞いていました。

そしてそのように殺された者は、当時、何の「埋葬」の手続きもないまま共同墓地に捨てられます。彼女はそのような悲劇があり得ることを想定して、今できる最善のことをしました。

それは何よりも悲しみ傷ついているイエスのみこころを慰める行為となりました。イエスはこのとき愛に「渇いておられたからです。

そこでイエスはさらに、「まことにあなたがたに言います。世界中どこででも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます」(13節) と言われました。

歴史上、ここでのマリアの働きにまさって、イエスからの称賛を受けたものはありません。イエスは、どれだけ社会に貢献できたか、どれだけ人助けができたかなどよりも、私たちの愛自体を求めています。

イエスへの愛に基づいた働きこそが、世の対立関係を超えて最終的に豊かな実を結ぶことができるのです。

ヨハネの福音書では、イスカリオテのユダがマリアを責めて、「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と言ったと記され、その理由がさらに、「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものをいつも盗んでいたからである」と説明されています (ヨハネ12:5、6)。

ユダに対するヨハネの評価は、あまりにも厳しいものに思われます。しかし、イスカリオテのユダがイエスのみあとに従った動機がここに明確に現わされています。ユダはいつも、イエスから何かを受けることを考えていたのです。イエスによって自分の懐や立場が高くなることを望んでいたのです。

他の弟子たちは、ユダのような盗みはしていなかったでしょうが、新しい地上の神の国での高い地位を求めていたという点では同じです。

そして、私たちの信仰にも、似たような面がないでしょうか。実際、ほとんどの人は、「イエスを信じると、自分にどのような良いことが起きるか⋯⋯」と期待しながら、信仰に入るという面がないでしょうか。

マリアは、イエスの御声を聞く時を何よりも大切にしました。そしてイエスのお気持ちを誰よりも深く理解し、主に最も喜ばれる奉仕をすることができました。それは人間的には無駄使いと見えましたが、時代を超えて世界中の人々への最高の証しとなりました。

「家は香油のかおりでいっぱいになった」と描かれますが (ヨハネ12:3)、ヨハネが描く「香油のかおり」は、この狭い家から始まり、世界中のキリストにある家全体に広がったのです。

私たちも目先の平安とか目先の問題解決以前に、マリアに倣って、イエスのこころの痛みに目を向ける必要があります。この世界では一つの問題の解決が次の問題を生み出します。問題を無くすこと以上に、問題のただ中で、誠実を全うする生き方こそが求められます。

この直後、イスカリオテのユダは祭司長たちのところに行ってイエスを売り渡すことになります。それによって主の居場所が知られ、イエスは群衆の目を逃れた場で捕らえられ、人々の期待を裏切った偽預言者として十字架にかけられることになります。

イエスから何かを受けることばかりを期待していたユダは、イエスの死に向かう固い決意を聞いて、誰よりも早くイエスに失望しました。私たちに中にも同じような思いがあるかもしれません。

それに対し、マリアはイエスの話しをいつも聞いていたことによって、イエスの心の痛みを知ることができていました。ナルドの香油から生まれた讃美歌があります(讃美歌391、讃美歌21:567)。歌詞を味わいながら、イエスに仕えるという思いを新たにさせていただきましょう。