ヨハネ20章19〜31節「信じない者を信じる者に変えて遣わしてくださるイエス」

2017年8月13日

昔、こんな話を聞きました。映画「ベンハー」の小説の原作者は、キリストの復活を否定する文書を書こうとして当時の状況を徹底的に調べた結果、反対に、キリストの復活を証拠立てる様々な事実に圧倒されて、キリストの物語を書くようになった……と。

しかし、実際は、この作者のルー・ウォレスはアメリカの南北の戦争の将軍の一人で、あるときにキリスト教を否定する学者の話しに圧倒されて、何の反論もできなかったことに心を痛め、反対にキリストの物語を絡めた小説を書こうと、徹底的に当時の状況を調べることによって生きた信仰を持つようになったとのことです。

このように、ある一つの話しは、いろいろと歪められて伝えられるものです。その際、大切なのは、著者自身の物語の原点に立ち返ることです。

同時にこのような話には時代背景があります。以前は、人々の心が真理を科学的に証明するという方向に目が向かっていました。しかし、現代は、主体的な真実な人生の物語、ナラティブを求めるようになっています。

小説「ベンハー」は19世紀のアメリカで最も売れた小説です。それが人々の心を動かしたのは、ベンハーの主人公の葛藤と痛みが、作者ルー・ウォレス自身の戦争において不名誉な濡れ衣を着せられた痛みと、それがまた同時に、人々の罪を負って十字架にかかるキリストの物語が共鳴し合っているからです。聖書の物語は私たち自身の人生の物語と共鳴し合うときに、生きた証しとなります。

物語は英語でストーリーと言われますが、最近は、ナラティブという、語る人の視点からの物語としての理解が注目されるようになっています。たとえば、四つの福音書のキリストの物語は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネそれぞれの視点から記されたナラティブのような面があります。その違いは特に、復活の記事のそれぞれの視点の違いとして最も大きく表れています。

キリストの復活を歴史的事実として証明しても、それがあなた個人の人生の物語にどのように関係するのかが分からないと、その福音があなたを生かすことはできないかもしれません。キリストの復活をあなた自身のナラティブとしてお話しできるためには今日の物語があります。

1.恐れる弟子たちご自身の傷跡を示しながら与えられた「平安」

「その日」(19節)とは、「新しい時代の初めの日」です。それは世界の「新しい創造(New Creation)」が始まった日です。イエスは、既にマグダラのマリヤばかりか少なくとも他の二人の女たちに(ルカ24:10)、また、エマオ途上のふたりの弟子と、ペテロとに、ご自身を現しておられました(ルカ24:13-34)。

つまり、復活の知らせが、弟子たちの間を駆け巡った結果、「その日の夕方」、彼らは一つの場所に集ることができていました。ただ、それにも関わらず、彼らはなお、「ユダヤ人を恐れて戸がしめてあった」(20:19)というのです。

マタイの記事によると、当時のユダヤ人の宗教指導者たちは、イエスの弟子たちがイエスの身体を盗み出して、イエスが「死人の中からよみがえった」と民衆を「惑わす」ことになるのを恐れて、ローマ総督ピラトにイエスの墓に番兵をつけてもらっていました(27:64,65節)。

その後、復活の朝、「番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」と記されています(同28:4)。番兵たちは気を取り戻すと、イエスの墓を封印していた石が取り除けられたことを報告したことは間違いないでしょう。その話を聞いたユダヤ人の宗教指導者は、とにかくイエスの弟子たちがイエスの身体を盗んだというように解釈したことでしょう。

ですから、今、イエスの弟子たちに探索の手が向かう可能性が高くなりました。私たちの目からはイエスの復活は、喜びでしかありませんが、弟子たちにとっては、イエスを十字架にかけるように画策したユダヤ人指導者の手が、自分たちにも及んでくることにどう対処するかが喫緊の課題でした。

キリストの復活は弟子たちの世界を変える決定的な物語のはずです。ところが、それが弟子たち自身の人生の物語にまではなっていなかったため、彼らはなおも恐れに囚われていたとも言えましょう。

ところがイエスは、そんな弟子たちの真中に突然立って、彼らの不信仰や臆病さを責める代わりに、「平安があなたがたにあるように(ヘブル語では:「シャローム・アレヘム」)」と言われました。恐れにとらわれて、「戸をしめて」いたにも関わらず、復活のイエスは入って来ることができたというのです。それは、イエスの復活のからだが、それまでとは全く異なる性質のからだに変えられていたからです。

そして、主は、心を閉ざしていたあなたのうちにも入って、平安(シャローム)を与えて下さいました。確かにイエスは、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼のところに入って……」(黙示3:20)と言っておられますが、そこから、「あなたが心を開こうとしないから、イエスのことが分からないのだ……」などと自分や人を責めてはなりません。

このことばは、自己満足に浸って、「自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない」人に向けてのことばに過ぎません(同3:17)。イエスは、恐れに満ちている人の心の中には、その壁を越えて入って来てくださる方なのです。

その際、イエスは、「その手とわき腹を彼らに示され」(20節)ました。手には大きな釘の跡、わき腹には手を差し入れられるほどの槍の穴がありました。本来、栄光のからだは、「聖く傷のない」(エペソ5:22)はずですが、不思議にも、主は敢えてその傷跡を残しておられました。

弟子たちは、さらなるユダヤ人の攻撃を恐れていましたが、その傷跡は、槍の力も剣の力もイエスの前には何の意味もないことのしるしとなっていました。それを見た「弟子たちは、主を見て喜び」(20節)ました。それは目の前にいるイエスが、真実に、十字架にかかられ、死の力に打ち勝たれた方であることの何よりの証拠となったからです。

弟子たちは、もう自分を守るために戸を堅く閉ざす必要がなくなったという意味での「平安」が与えられたのです。

2.弟子たちを矛盾に満ちた世に「遣わす」ための「平安」

「イエスはもう一度」、「平安があなたがたにあるように(シャローム・アレヘム)」と言われました(21節)。この二つ目の「平安」は、患難に満ちた世に「派遣」されるための平安です。

その前提としてイエスは、「父がわたしを遣わしたように」と言われました。この「遣わす」(原文:アポストロー、大使として)を、イエスはこの書でご自分を神から遣わされた者として繰り返し紹介しています(17回)。それはたとえば、「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためです」(3:17)などという表現です。

その上でイエスは、「わたしもあなたがたを遣わします(原文:ペンポー、先のことばより一般的)」と言われました。主はこの動詞を用いて、父なる神を、「わたしを遣わした方」と繰り返し紹介しています(25回)。それはたとえば、イエスが、「わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見る」(12:45)と言われて、ご自身と御父を一体の方として紹介するような場合です。

つまり、この福音書に関する限り、この二つの「遣わす」という原語のギリシャ語、アポストローとペンポーに特に際立った意味の違いを認めることはできません。

そして、これらの「遣わす」ということばこそ、この福音書のキーワードです。たとえば、「愛する」という動詞はこの書に16回ありますが(御父または御子が主語のケース)、それよりもはるかに多いからです。

これらによってイエスは、ご自分を通して父なる神を見るようにと私たちを招いておられます。そして、そのイエスが、私たちを世に遣わされるのは、世の人々が、私たちを通してイエスを見るようになるためなのです。イエスの生涯の秘訣は、この父なる神から遣わされた者としての生き方にあります。

同じように、キリスト者の生涯は、キリストにより遣わされた者としての生き方に他なりません。その点で、すべてのキリスト者は、例外なく、広い意味でのキリストの「使徒」(アポストロス)、または大使とされているのです。

その際、イエスは、「彼らに息を吹きかけて」、「聖霊を受けなさい」(22節)と言われました。これは、「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった」(創世記2:7)という創造のみわざを思い起こさせます。彼らは、今、御霊によって新しく生まれ、再創造された者として、この地でイエスの代理としての使命を果たすように召されたのです。

ところで、イエスは、「あなたがたを」という複数形で語っています。つまり、私たちはひとりで世に遣わされるのではなく、交わりのうちに生きる者として遣わされるのです。なお、イエスは、「あなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることをすべての人が認めるのです」(13:35)と言われましたが、私たちはイエスのすばらしさを個人の働きによってではなく、愛の交わりで証しするのです。

その上で、イエスは、「あなたがたがだれかの罪を赦すなら……」(23節)と、ご自身の教会に「罪の赦し」を与える権威を委ねました。「教会の外に救いはない」と言われる場合がありますが、これは教会の秘蹟というより、福音を宣べ、信じるように導き、交わりに受け入れることを示しています。

つまり、現実の教会が、罪人を受け入れなければ、それぞれの「罪はそのまま残り」、彼らは神のさばきに会うのです。だれも教会を素通りしては神の子供とされません。何という重大な使命を担っていることでしょうか。

神は、罪に満ちた世を愛されたために、ご自分の御子を世に遣わされました。そしてイエスは、閉ざされた私たちの心に「平安」を与えてくださいました。「平安」とは「平和」とも訳され、ヘブル語では同じ「シャローム」ということばです。

イエスが私たちをこの地に遣わされるのは、正義の戦いのためというより、この罪に満ちた世に、神の平和を実現するためなのです。その際、求められるのは、自分自身を主張することではなく、私たちを通して、私たちを遣わされたイエスご自身の姿が見られるようになることです。

3.「トマス、十二弟子のひとりなのだが……」

ところで、復活のイエスが弟子たちにご自身を現された時、トマスはその場にいませんでした。そのことを記す24節は、原文で、「トマス、十二弟子のひとりなのだが……」という不気味な表現で始まっています。これはあのイスカリオテのユダを紹介する書き出し方と基本的に同じです(6:71,12:4)。

トマスは物事を暗く見る傾向があります。イエスがユダヤ人たちからいのちを狙われている中で、ラザロの死を悟られ、彼を「眠りからさましに行く」(11:11)と言われたとき、トマスは、「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」(11:16)と仲間に語りかけます。主が「光」について話したのに、彼は「闇」に目を奪われていました。

また、最後の晩餐で、イエスが「わたしの行く道はあなたがたも知っています」(14:4)と十字架を示唆しつつ言われたとき、トマスは「主よ……私たちには分かりません。どうして、その道が私たちに分かりましょう」と応答しました。イエスが彼らに自分で考えるように仕向けたにも関わらず、彼はいかなる曖昧さも許せないと迫ったのです。

彼はその場の雰囲気を読むことができない人です。それで、弟子たちの中でも浮いていたのかもしれません。彼がイエスの復活の日に同席していなかったのはそのためではないでしょうか。

そのようなトマスが弟子たちの交わりから離れていたのを、復活のイエスに出会った弟子たちが探したのかもしれません。彼らはトマスに、「私たちは主を見た」(25節)と言いました。ところが彼は、半信半疑の様子を見せるならまだしも、その仲間の証しを真っ向から拒絶しました。

彼は、露骨に「釘の跡(ところ)」ということばを繰り返し、それを「見る」だけでは不十分で、「私の指」を「差し入れ」てみなければ、また、主の「わき腹」にも、「私の手を差し入れてみなければ、決して信じません」と言ったのです。無神経な表現で、人の証しも、自分の視覚さえも信じないと主張しました。これでは対話の余地もありません。

ところが、ほかの弟子たちは、こんな破壊的な言動を吐くトマスを受け入れています。これこそ、彼らがイエスから聖霊を受けたことの「実」と言えましょう。

ここで「八日の後に」(26節)とは、当時の数え方で一週間後の日曜を指しますが、「弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた」からです。信仰が全くなければ疑いも生まれ得ませんが、彼が交わりの中に留まっていたことこそ信仰の現れだったとも言えるのではないでしょうか。

その際、イエスはまた、「戸が閉じられていた」にも関わらず、入ることができ、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われ(26節)、ひとことも責めることなくトマスに語りかけます。

その際、主は、「釘」という表現を避けながら「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい」と優しく招きました(27節)。主は、「……差し入れてみなければ、決して信じません」という気持ちに寄り添われたのです。

事実、主は一週間前にも、彼らの会話やトマスの暴言を聞いておられました。戸がまた閉じられていたのは、トマスのことばで彼らの心が揺れていたのかも知れません。イエスはその様子を、忍耐をもって見守っておられたのです。

そして今、イエスはトマスに向かって、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と付け加えられました。イエスは徹底的にトマスに寄り添いながら、同時に、見ずに信じるという信仰の回復を願われたのです。

これでトマスには十分でした。もう自分の指や手で傷跡の感触を感じる必要はありません。彼が心の底で求めていたのは、自分ではどうしようもない心の闇を受け入れてくれる愛だったのです。

トマスは、「私の主。私の神」と応答しました(28節)。これこそ最高の信仰告白です。彼は、自分の罪と不信仰のすべてがイエスに知られ、受け入れられていたことが分かり、イエスご自身こそが「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」(出エジプト3:6)であり、その方が「私の主。私の神」となったと告白したのです。

私たちの信仰も、聖書の正しさが証明され、正当な教理が理解されれば良いというものではなく、「私の……」という個人的な出会いが必要です。

なお、このトマスの信仰告白が、後の時代に、イエスは神であるということの最大の証拠のひとつとしてあげられるようになります。弟子たちの中で、救い難いほどに暗く、不信仰であったトマスの告白こそが、三位一体の神の神秘を証しすることになったのです。

4.「あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るため」

イエスは、トマスの不信仰を用いながら、不信仰な私たちを導こうとしておられます。トマスは、ラザロの死を聞いて、「熱く死ぬこと」ばかりを考えましたが、イエスは、そんな彼をも意識しつつ、「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」(11:40)と言われました。

また、「……どうして、その道が私たちに分かりましょう」との疑問に対し、永遠の真理のことば、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(14:6)をもって答えられました。

そして、ここでは、不信仰な彼から「私の主、私の神」という信仰告白の模範を引き出しました。その上で、イエスは、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」(29節)と言われました。

主は、彼を受け入れ、立ち直らせた後で、このような態度を取り続けることがないようにと警告されたのです。なぜなら、トマス以降の人は、天から特別に啓示された復活の主に出会ったパウロのような例外を除いて、「見ずに信じる者」とならなければならないからです。

その上で、この書の目的が、「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため」(31節)と記されます。トマスがいたからこそ、疑惑の泥沼の中で、もがいて沈みそうな人が救われ、「信じる者」とされ「イエスの御名によっていのちを得る」者とされたのです。

この後、トマスを含む十一人の弟子は、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に上り、大宣教命令を授けられますが、この期に及んでなお、「ある者は疑った」(マタイ28:17)と記されています。これはこの地で私たちが、疑いから全く自由になることはないことを指し示しているのではないでしょうか。

トマスは疑いながらも交わりの中に留まっていました。私たちも自分の中に住むトマスを、また交わりの中にいるトマスを受け入れる必要があります。イエスはそのためにこそ、私たちに聖霊を与えてくださったのです。信仰はすべて聖霊のみわざです。

トマスは、交わりを壊す危険人物になりかねないにも関わらず、「トマスの不信仰は、マグダラのマリヤの信仰と同様に、多くの益をもたらした」と言えます。実際、多くの人は、模範よりも失敗者が立ち直るのを見ることで、慰めと励ましを受けるからです。

しかも、「正直な疑いの中には、信条を鵜呑みにしているよりも生きた信仰がある」というのも事実です。私自身、聖書を読みながら「これは作り話ではないか?」とか、「これらの間には明らかな矛盾がある!」とか、様々な疑問を感じつづけてきました。しかし、疑いをぶつけることで、隠された真理が見え、信仰が与えられ続けました。不信仰なトマスを受け入れたイエスが私を受け入れておられると分かったのです。

疑いを自分で鎮めようと頑張る必要はありません。私たちの信仰は、思い込みではありません。それは、イエスご自身が、私たちの心を変えてくださった結果なのです。

私にとってのキリストの復活は、どのような苦しみにも出口があること、どのような暗闇の中にも光を見られること、すべての労苦が無駄にならないということの保証です(Ⅰコリント15:58)。

私は自分の知恵によってイエスを救い主として信じられるようになったわけではありません。福音を聞いても、主の弟子として生きることへの大きな不安がありました。しかし、あることを通して、不思議にそのような恐れが消え去りました。代わりに復活のキリストのうちにある希望が見えて来ました。

そして不思議に、イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、今、自分のうちに生きているということが分かるようになりました(ローマ8:11)。イエスに自分の不信仰を打ち明けるとそこに信仰が生まれ、絶望感を訴えると希望が生まれて来ました。恐れを打ち明けると勇気が与えられ、孤独を打ち明けるとイエスの慰めが見えるのです。

十字架と復活はセットで私たちの常識をひっくり返します。イエスご自身の生涯も、「ご自分の前に置かれた喜びのゆえに……十字架を忍び」(ヘブル12:2)と描かれています。復活の逆転の希望こそが、イエスの生涯の秘訣でした。