レビ21章〜23章「人間の奴隷とならないために」

2015年10月18日

この世では、「時は金なり」と言われます。そして、自分の働きの結果ばかり気にすると、「休み」は最小限にすべきと思われます。しかし、このことばで有名になった米国独立の父と呼ばれるベンジャミン・フランクリンは、何よりも、規則正しい生活を大切にした人であり、際限なく働くことを勧めたわけではありません。

彼は、Time is money と語ったところで、Credit is money「信用は金なり」と語り、続けて、約束の期限を守ることで評判になっている人は、「他の人の財布」となって、他の人のお金を預かって大切な仕事を成し遂げることができるという趣旨のことを語っています。

ちなみに彼は現在の百ドル札の肖像画となっています。そして、彼は米国独立を主導した人の中で唯一、奴隷制の廃止を訴えた人としても有名です。彼は独立戦争の際にフランスの協力を取り付け、他のヨーロッパ諸国には中立を守らせた有能な外交官ともなりました。米国の歴史上、最も信頼される人のひとりです。

ただし、フランクリンのように、自分の信念を守ることによって、結果的に人から信頼されることは大切なことですが、この世の評価で一喜一憂したあげく、仕事依存の人間になるようなことがあってはありません。それは、自分のたましいをこの世の人間に売り渡してしまうことです。

聖書で最もユニークな教えのひとつは、「仕事をしてはならない」と繰り返されていることです。これほど、乱暴に見えながら、同時に愛に満ちた教えがあるでしょうか。もちろん、「働く」ことは本当に大切です。しかし、だからこそ、それが人にとっての罠となります。ただし、「聖なる者となる」とは、規則の奴隷となることではなく、自由への道であるということも同時に覚えたいものです。

1.「わたしはあなたがたを聖別した主 (ヤハウェ) である」……「御名が聖とされますように」

レビ記21章、22章では、祭司に関して、六つの観点から規定が述べられ、それぞれの終わりで、「わたしはあなたがた(彼、それ、彼ら)を 聖別する主 (ヤハウェ) 」と6回繰り返されます (21:8、15、23、22:9、16、32)。

第一は (21:1-8)、近親以外の死の汚れから遠ざかる必要がありました。「死」は「きよさ」に反する「汚れ」で、それに触れる物自体がまた人を汚すからです。また、また頭を剃ったり、ひげの両端を剃り落とたり、からだを傷つけてはならないと記されます。

祭司の働きは、ここで「神のパンをささげる」(21:6、8) と表現されますが、これは「いけにえをささげる」ことを指します (3:11、16)。彼らは、格別に「自分の神に対して聖でなければならない。また自分の神の御名を汚してはならない」(21:6) と命じられていました。

パウロは、これを全てのキリスト者に当てはめ、「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」(ローマ12:1) と命じました。

第二は (21:10-15)、「大祭司」としての「装束をつけている者」は、父や母の死体であっても触れてはならないと格別に厳しく命じられます。これはあくまでも、「神のそそぎの油による記章を身に着けている」という奉仕期間中の制限です。

それとともに、結婚相手は「自分の民(レビ族)から処女をめとらなければならない」(21:14) と指定されていました。これは、人情に流されずに、神の働きに忠実であるべきという原則ではないでしょうか。

第三は (21:16-23)、「だれでも身に欠陥のある者は、神のパンをささげるために近づいてはならない」(21:17) と、神は、身体障害者を礼拝の奉仕から外しました。しかし一方で、それが、障害者を排除することにつながらないように、彼ら自身がそれでも祭司としての特権にあずかり、「神のパン」(穀物のささげ物ばかりか、6章29節会見の天幕の庭で食べられる罪のためのいけにえの肉を含む)を食べることができることを合わせて記します (21:22)。

これは、飛行の安全のためにパイロットに厳しい適性基準を課すのと同じように、「聖所を……聖別する」(21:23) ために必要なことでした。新約時代も、教会の聖別のため、執事などのような指導者には「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人」(使徒6:3) という基準が設けられました。

第四は (22:2-9)、13-15章での「汚れた者」、また「汚れに触れた者」は、「聖なるものを食べてはならない」(22:4、5) ことでした。彼らの権利は、自分自身の身を聖く保つということを前提にしてのみ認められていたのでした。

ただし、汚れに触れた汚れは夕方までのことで、水を浴び、日が沈めば「きよくなり……聖なるものを食べることができる。それは彼の食物だからである……わたしは彼らを聖別する主 (ヤハウェ) である」と祭司の立場が保障されます。

第五は (22:10-16)、民がささげた和解のいけにえの胸やももなどの「奉献物」(10:14) などの「聖なるもの」は、祭司の家族だけが食べられることです。興味深いのは、同居の「雇い人」は食べられないのに、「祭司に金で買われた者」つまり、外国人の奴隷は、祭司の家族の一部と見られ、食べることが許されていたということです (22:10、11)。奴隷は人格を認められなかったからこそ、格別な配慮が命じられたのです。

また祭司の娘が一般の人と結婚したなら食べられなくなるけれども、離婚されて再び祭司の家に戻ってきたときには、食べられる立場が回復されるなどと、傷ついた人に優しい配慮がありました。

16節で他の箇所と同じように、「わたしは彼らを聖別する主 (ヤハウェ) だからである」と記されますが、この彼らの中には、祭司の家の奴隷とか、失意のあげく家に戻ってきた娘が含まれます。

第六は (22:17-30)、欠陥のある動物は、主へのささげものとして受け入れられないということです。そして、それが誓願のささげ物、進んでささげる物に関して特に厳しく念を押されます。

それは自主的なささげ物だけに、判断が甘くなりがちだからです。しかも、欠陥の内容まで詳細に記されます。私たちがささげる献金も、決して、余ったお金の中からささげるような気持ちであってはなりません。収入の初穂をまず神に聖別してささげるべきでしょう。

これらのまとめとして、「わたしの聖なる名を汚してはならない。むしろわたしはイスラエル人のうちで聖とされなければならない。わたしはあなたがたを聖別した主 (ヤハウェ) である」(22:32) と述べられます。

イエスご自身も、主の祈りの初めに、「御名が聖とされますように」と祈るように命じられました。それは、神の御名が、私たちの心の中で、また私たちの間で、「聖とされる」ことです。そして、御名が聖とされる結果として、私たちが「聖く」されるのです。

「わたしは……聖別する主 (ヤハウェ) である」ということばの繰り返しを味わいながら、自分がどのような基準で自分や人を評価しているかが、改めて問われます。

私たちはみな、聖くされることを願う必要がありますが、それが無意識のうちに、世の人々から感心されるような人格者になることと混同されてはいないでしょうか。この箇所に描かれた六つの視点にそのようなことは何も記されていません。大切なのは、主の聖の基準に自分を合わせることです。

私たちはすべて、「聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい」(Ⅰペテロ2:5) と命じられています。もう動物のいけにえをささげる必要はありませんが、御名をたたえる賛美と、互いに愛し合うという善い行いを、「霊のいけにえ」とするのです (ヘブル13:15、16)。

自分の働きの実をはかるのではなく、私たちを聖別してくださる主を見上げることこそすべての始まりです。

2. 「全き休みの安息、聖なる会合の日……いっさいの仕事をしてはならない」

23章には「聖なる会合として召集する主 (ヤハウェ )の例祭」(23:2) が記され、ここでは、「聖なる会合の日である」、「仕事をしてはならない」ということばが何度も繰り返されます。何とも不思議な命令です。

その第一のものは、毎週巡ってくる「七日目」の「全き休みの安息」です。3節では、「六日間は仕事をしてもよい」と訳されますが、これは英語で Six days shall work be done などと訳されるように、仕事を許可するというよりは、六日間で終えるようにという意味に解釈できます。

そして、「しかし、七日目は全き休みの安息」と記されますが、これは原文では「安息の中の安息の日」と、安息の最上級とも言える表現です。これは徹底的に他の日とは区別されるという意味です。

そのことが続けて、「聖なる会合の日である」と記されます。それは具体的には、主を礼拝するための日であるという意味です。つまり、安息日は聖なる日の中でも最も聖なる日であり、他の日とは明確に区別されるべきなのです。

そして、その日には、「あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない」と厳しく命じられます。この日には、薪を集めることや、火をおこすことさえも禁じられていました。それによって、女性も奴隷も、完全に休むことができました。

ユダヤ教では、「安息日を守る者は、トーラー(律法)のすべての掟を守ることに値する」と言われるほどに現代も大切にされています。

厳格なユダヤ教徒は、機械の操作や火を扱うこと、写真を撮ったり、文字を書いたり、車を運転することなどの一切の働きをしません。公共の交通機関は止まり、商店や公共施設も閉じられます。

さらに、「この日は、あなたがたがどこに住んでいても主 (ヤハウェ) の安息日である」と記されます。これは英語で、It is a Sabbath to the LORD などとも記されるように人間の都合で考える休みの日ではなく、主のために聖別された日です。ですから、旅行中であっても、会社の研修中であっても、時を聖別することが求められています。

ただ、現代の日曜日は何よりも、イエスの復活を祝うための日であり、金曜の日没から土曜の日没まで続くユダヤ人の安息日と区別されるようになりました。ですから、旧約の安息日律法を現代の日曜日に厳密に適用し過ぎてはなりません。

実際、医療関係者から治安を守る者、また礼拝を導く牧師も、この日に休むわけには行かないという現実があります。ただ、それでも、一週間に一日は、仕事を完全に休み、主に聖別するという姿勢は大切です。

米国での西部劇の時代、東海岸から西海岸に向けて多くの幌馬車が競争するように走ったという時期がありました。真っ先に着いた家族が、最も良い地を所有できると言われたからです。多くの家族が休みなしに幌馬車を走らせましたが、みんな途中で、病気になったり、馬車が壊れたり、馬が走れなくなったりしました。その中で、一番早く着いたのは、一週間に一日、必ず馬車を休ませ、自分たちも休んで、主を礼拝した牧師家族であったと言われます。

私は、クリスチャンになりたての頃、その話を聞いて感動しました。そして、入社したあと、人事部から採用の手伝いで、「これは、強制ではないけれど、できたら出勤してほしい」と言われた時、「申し訳ありませんが、日曜日は教会の礼拝に出ますから、午後からでよいですか」とお断りし、了承されました。これは社内で、結構、話題になったのではないかと思います。後に、営業成績も英語力も中途半端なまま、社費留学を許されたのは、このような体験があったからかもしれないとさえ思います。

「主 (ヤハウェ) の御名を聖とする」ことの第一は、主との交わりのために時間を聖別することです。後に預言者イザヤは、イスラエルは、安息日を守らなかったので、国を失う(バビロン捕囚)ことになると警告しながら、同時に、安息日を守ることで約束の地を回復することができるという趣旨を込めて次のように記しました。

「もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を『喜びの日』と呼び、主 (ヤーウェ) の聖日を『はえある日』と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、そのとき、あなたは主 (ヤハウェ) をあなたの喜びとしよう。『わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う』と主 (ヤハウェ) の御口が語られたからである」(イザヤ58:13、14)。

私たちも、心の奥底で、仕事の成果を出すことこそが、神と人とに喜ばれるという思い込みの中で生きてはいないでしょうか。それは人間の価値を、奴隷と同じような生産能力ではかり、人間性を失わせることです。

3.「どんな労働の仕事もしてならない」「だれでも渇いているなら……」

毎週の安息日とは別に、年間を通しての「主の例祭」が定められていました。それは三つに分けられます。第一は、過越しの祭り、第二は七週の祭り(ペンテコステ)、第三は、贖罪の日と仮庵の祭りの組み合わせです。

第一は、原文で、「第一月の十四日の夕暮れは、主 (ヤハウェ) の過越である」(23:5) と記されます。新改訳では「いけにえをささげる」ということばが付加され、この日に小羊をほふってささげることに目が向けられますが、原文では、「主 (ヤハウェ) がエジプトを打ったとき……イスラエルの家を過ぎ越され……救ってくださった」(出エジ12:27) ということ自体を思い起こさせる表現になっています。

これは罪のためのいけにえをささげる日ではなく、主の一方的な救いのみわざを思い起こす最大の喜びの日です。これはほぼ春分の日の後の満月の日に相当します。

それは、イスラエルが奴隷の地エジプトから解放されたことを記念する祭りですが、ここではその翌日から「種を入れないパンの祭り」として、「七日間……種を入れないパンを食べる」という面が強調され、その最初の日と七日目が、「聖なる会合の日」とされ、「どんな労働の仕事もしてならない」と命じられます (23:7、8)。

これは曜日のカレンダーは違いますから。毎週の安息日とは別の日になるのがほとんどです。その際は、三千年前の奴隷にも何と、週二日の休みが命じられていたというのです。

なお、「労働の仕事」とは「職業としての仕事」というような意味で、これらの日は、婦人や奴隷を休ませても、趣味としての食事を準備するようなことまでは禁じられてはいませんでした。

また、これは大麦の収穫の時期で、過越しの祭りの最初の安息の日の翌日に、「初穂の束」をささげることが命じられていました (23:10、11)。これは約束の地に入ってからのことですから、主ご自身がイスラエルの民に必要なものすべてを備えてくださるという意味が込められています。

それを前提に、過越しの祭りの直後にも関わらず、傷のない小羊を全焼のいけにえとしてささげることが命じられていました。なお、これは一人一人ではなく、民全体でささげるものです。またそのときの収穫物は。まず主にささげてから、初めて食べることが許されました。主に感謝することがすべての働きの始まりだからです。

それから「満七週間が終わるまでを数えた」(23:15) 日は、「七週の祭り」と呼ばれ、ギリシャ語では、「五十日目」を意味する「ペンテコステ」とも呼ばれます。この日は、小麦の収穫に感謝し、「新しい穀物」を、「パン種を入れて焼かれたパン二個」にしてささげました (23:16、17)。その際、子羊七頭をはじめ多くのいけにえがささげられますが、中心は収穫感謝であり、畑の隅まで刈らないことや落ち穂を集めないことが改めて命じられます (23:22)。

この日も、「聖なる会合」と「どんな労働の仕事もしてはならない」と命じられます。なお、この日の「聖なる会合」では、ユダヤ人の伝統ではルツ記が朗読される決まりになっています。それは落ち穂拾いとの関係ではないでしょうか。

なお、この日をユダヤ人たちは、シナイ山で律法が与えられた記念日として祝います。そして、新約では聖霊降臨日となりました。それは律法が「石の板にではなく、人の心の板に書かれる」(Ⅱコリント3:3) ことを意味しました。

ところで、新改訳の計算に基づくと、安息日の翌日が聖なる会合の日になり、聖日が二日続くことになります。ただし、ユダヤ暦では「安息日の翌日」を安息日に続く複数の日の可能性と理解し、種を入れないパンの祭りの二日目から五十日を計算します。この辺りは分からない面がありますが、私たちにとってのペンテコステだと日曜日の休みが一回ですが、どちらにしても当時は、この時期は、ほとんどの年に、休日が週に二日になりました。

「第七月の第一日」(23:24) は、「ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合」の日です。これは、現在の九月から十月にかけての日で、ユダヤ人は後に、この日を新しい年の初めの日としました。

この日も、「全き休みの日」と呼ばれますが、その日は、「どんな労働の仕事もしてはならない」と、火を扱うことを禁じる安息日ほど厳しくなく、職業労働だけが禁じられました。

そして、それから十日目はレビ記16章に記されていた「贖罪の日」です (23:27)。この日は、「身を戒める」ことが命じられましたが、それは断食をして罪を悔い改めることを意味したと思われます。

この日は、毎週の安息日同様、火を扱う煮炊きを含め、「いっさいの仕事をしてはならない」と命じられるばかりか、「その日のうちに仕事を少しでもする者はだれでも……滅ぼす」と格別に厳しく警告されました (23:30)。

その五日後から「七日間にわたる主 (ヤハウェ) の仮庵の祭り」になります。36節には「七日間、あなたがたは火によるささげものを主 (ヤハウェ) にささげなければならない」と記されますが、そのささげ物の詳細が、民数記29章12-34節に記されます。そこには驚くべき数の雄牛、雄羊、子羊の全焼のいけにえと、それに対応した大量の穀物のささげもの、ぶどう酒や油がによる「注ぎのささげ物」が指定されていました。この時期は、ぶどうやオリーブの収穫の時期でもあったので「注ぎのささげ物」も強調されているのかと思われます。

なおこれらは人間的には途方もない無駄に思えるかもしれませんが、そこには主ご自身が人の期待をはるかに超える形で、その収穫を祝福してくださるという約束が込められていました。

またここでも、その最初の日と八日目は、「聖なる会合を開き」、「労働の仕事はいっさいしてはならない」と繰り返し命じられました (23:35、36)。つまり、この時期は、安息日と祭りの日が重ならない限り、四週に渡って週に二日の休みがあったのです。

39節では、改めて、この仮庵の祭りを、収穫をし終わった日と位置付け、七日間にわたる「主 (ヤハウェ) の祭りを祝う」ことが命じられ、最初の日と八日目を「全き休みの日」とすることが命じられます。休息と祭りが命令となるのは何と画期的なことでしょう。

その間、「美しい木の実、なつめやしの葉と茂り合った木の大枝」などを取り、「七日間、あなたがたの神、主 (ヤハウェ) の前で喜ぶ」ように、その間、「仮庵(テント)に住まなければならない」と命じられました (23:40、42)。それはエジプトから出て荒野を旅したことを覚えるためでした。これは現在の収穫感謝祭に相当し、賑やかな喜びに満ちた祭りでした。

イエスはこの最終日に、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は・・その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:37、38) と言われました。それは、イエスこそがすべての豊かさの源であることを指し示すものでした。多くの人々は、豊かさの中で心が渇いていますが、喜びは、富からではなく、イエスから生まれるのです。

なお、これら三つの祭りは、どれも、それぞれの時期の収穫感謝と結びついていました。私たちはいつも「もっと、もっと」という駆り立ての中に生きていますが、まず与えられた収穫を心から喜び、主に驚くべきほどの感謝のささげものをささげ、また家族で喜び分ち合うというリズムの中で、今ここでの神との人との平和(シャローム)を喜ぶことができます。

現代は、大きな家族の交わりで、日々の仕事を離れ、祭りを祝うという習慣が少なくなりすぎてはいないでしょうか。福音が、ヨーロッパや北米の個人主義的な影響を受け過ぎて、神の前での個人の生き方ばかりか重視された傾向があるかもしれません。しかし、聖書は繰り返し、神の民としての交わりの中で、ともに喜ぶということが強調されています。私たちは聖書から労働と休息、祭りの意味を再発見する必要があるのではないでしょうか。

今から百年余り前にドイツの社会学者マックス・ウエーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という著書の中で、冒頭のフランクリンなどに代表される考え方が、資本主義の精神を生み出したと評価しながらも、そこに隠された危険を驚くほど正確に警告しています。それは神の恩恵の現れを際限のない経済的な成果の中に見いだそうとする結果、「孤独な経済人」を大量に生み出すというのです。彼らは人間の価値をその生産性で測るようになる結果、「精神のない専門人、愛情のない享楽人」になるというのです。ドイツなどでは商店の営業時間を制限し休みを大切にしますが、米国でも日本でも深夜営業が当たり前になり互いの首を絞めています。

この世は、人を奴隷とする機構を作り上げます。その中で、何と多くの人が虐げられていることでしょう。神は、人をその奴隷状態から解放するために、私たちに、自分自身と時間とを聖別することを命じられました。

そしてイエスも、「富に仕え」るかのように仕事に追われ、「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配し」(マタイ6:24、31)、人生を喜ぶことができなくなっている人に、「神の国とその義を第一に求めなさい(捜しなさい)。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(6:33) と言われました。

それは、何よりも、主の御前に静まり、主のご支配の現実を思い起こし、そこに安らぐことの勧めです。