エレミヤ1章1節〜4章4節「背信の子らよ。帰れ」

2008年8月17日

オリンピックでは不思議に愛国心が刺激されます。そして、金メダルという結果がでると自分のことのように嬉しくなります。しかし、私たちは「結果」よりも「過程(プロセス)」を何よりも大切にする必要があります。本日からエレミヤ書に入ります。前々から正直、気が重い部分がありました。なぜなら、その中心メッセージはエルサレムの大多数の預言者が、「神の都はバビロンに負けることはない!」と言っている中で、ただ一人、エルサレムの滅亡を語り続けることにあったからです。敗北を語るほどに疲れることはありません。今から七十年前、日本の中国への侵略戦争を批判し、「このような国はまず滅びなければいけない!」と言って、東大教授の地位を解かれたキリスト者がいます。 です。

矢内原忠雄

彼は無教会の指導者でした。それはかつて日本の教会が欧米の宣教団体から援助を受け、言うがままになっていることに反発し、聖書信仰の原点に立ち返ろうとした内村鑑三から始まる信仰の流れで、そこには健全な意味で愛国心が見られます。矢内原は終戦から一ヶ月も経っていない集会で、「私は長い戦争の間、日本の国が戦争に勝つようにと一度も祈った事がありません。しかし、戦争に負けるようにと祈った事もありません。私が祈っていたのは、日本の国が義しい国になるようにということと、この戦争の国民に対する禍が軽いようにという事を祈っていたのであります」と語っています(矢内原忠雄「山中湖聖書講習会講話」新地書房1991年p323、324)。これこそエレミヤが当時のエルサレムに対して祈っていたことでもありました。矢内原は同じ講演の中で、日本の最大の罪は、「神ならざるものを神としたという事」にあると言っています。そして、当時の天皇がまず率先して、日本の罪を創造主である神の前に告白しなければいけないと説き、同時に、広島と長崎に原爆を落としたアメリカも創造主の前に悔い改めなければいけないと説いています。私たちは、「結果がすべて……」と言われるような社会に生きています。一瞬一瞬、自分の行動を神の前で吟味することこそ大切ではないでしょうか。

1.エレミヤ書の時代と日本の歩み

紀元前723年北王国イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされました。その後、アッシリヤは南王国ユダに攻め入り、紀元前701年にエルサレムを包囲します。そのときユダの王ヒゼキヤは預言者イザヤの励ましを受けながら、アッシリヤの脅しに屈しませんでした。アッシリヤはその後、エジプトまでを支配しますが、エルサレムは奇跡的に独立を保っていました。しかし、その間、エルサレムではマナセが王となっていましたが、彼は徹底的にアッシリヤのご機嫌をとりながら、エルサレム神殿にさえ偶像礼拝を持ち込み、批判する預言者イザヤを惨殺しました。彼の支配は55年間も続き、その間、南王国ユダは信仰的に徹底的な堕落を遂げていました。そして、紀元前640年にヨシヤが8歳で王に立てられます。それはマナセの政策に反対する愛国主義者たちの政権でした。彼らは、主がヒゼキヤ王に勝利を与えてくださった恵みの時代に立ち返ろうとしました。そして、そのようなヨシヤ王の支配の13年に祭司の家系から生まれたエレミヤに預言者としての召命が与えられます。そして彼の預言活動はエルサレムの滅亡のときにまで続きます。なお、エレミヤが預言者として召し出されたとき、南王国ユダは急速に主 (ヤハウェ) に立ち返っており、それから五年後には律法の書が神殿で再発見され、ユダ王国の信仰のリバイバルが起きるときですから、主 (ヤハウェ) がエレミヤに語った内容は、それほど真に迫った警告とは受け取られなかったことでしょう。

これは、日本の歴史で言えば1905年の日露戦争勝利から20年後の1925年に普通選挙法が施行され、大正デモクラシーと呼ばれた民主主義が勝利を収めたと思われたときのようなものです。しかし、それから間もなく、日本は軍国主義者に支配され、第二次世界大戦の悲劇にまっしぐらに進みます。ヨシヤ王が宗教改革を進めることができた時期は、アッシリヤ帝国が滅亡する時期と重なります。それは、目前の敵の脅威がなくなる中での愛国主義運動という面もあります。ヨシヤはアッシリヤの勢力が消えてゆく中で、ダビデ王国時代の領土を回復し、サマリヤから偶像礼拝を取り除くことまでできました。しかし、一見、すべてが順調に進んでいると思えるときに、実は、それまでの積もり積もった問題が内にこもり、ますます深刻化しているということがあります。それは1914年から1918年の第一次大戦下を経て一流国の仲間入りをしたと思い上がった日本の現実と似ています。信仰面でも生活面でも、すべてのことが順調に進んでいると思えるようなときに、エレミヤのような暗い話しは聞き入れられません。しかし、神の目からすると、そのようなときこそ、信仰の原点に立ち返って、神の御前にへりくだる時期なのです。

2.「わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいる」

この時期、主 (ヤハウェ) はエレミヤに、「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」(1:4)と語りかけられます。聖書の教えで最も神秘に満ち、理解し難いのが、「神の選び」です。人は無意識のうちに、「自分の信仰深さに応じて、神は祝福してくださる」などと、信仰の初めを自分に置きます。感動的な救いの証に憧れ、時には自分の信仰の歩みに妙な劣等感を抱きます。しかし、それは大きな間違いです。私たち一人一人の信仰も、神から始まっているからです。使徒パウロが、「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」(エペソ1:4、5) と語る通りです。神は目的を持って私たちを召しておられます。何よりも大切なのは、自分の信仰をはかること以上に、一人一人に対する神の期待に気づくことです。

そのときエレミヤが、「ああ、主、ヤハウェよ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません」と答えると、主 (ヤハウェ) は、「まだ若い、と言うな。わたしが……遣わすどんな所へでも行き……あなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すから」と言われました (1:6–8)。神の召しを感じながら、「でも、そんなこと私には無理では……」と言いたくなっても、「神は私たちとともにおられる」(ヘブル語:インマヌエル)という約束の前では、人の評価を恐れずに前に進む必要があります。それを示すために、「主 (ヤハウェ) は御手を伸ばして」、エレミヤの「口に触れ」、「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる」と、恐るべき権威を授けられました (1:9、10)。これはイエスがご自分の弟子たちに聖霊をお授けになり、「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります」(ヨハネ20:23) と言われたことと同じです。

その上で主はエレミヤにふたつのビジョンを見せます。第一のものを見たとき、彼は、「私は(強調形)アーモンドの枝を見ています」と答えます。アーモンドは1、2月頃白い花を咲かせ、春の訪れを告げる象徴です。それに対し主も、「わたしのことばを実現しようと、わたしは(強調形)見張っているからだ」と答えました (1:11、12)。ここで「アーモンド」と「見張る」は同じ語根のことばで、ここには一種の言葉遊びが見られます。主はエレミヤに、「ときを見る」ことを教えられたのです。しかも、それは既に、神ご自身が聖書で繰り返し語っておられる「とき」のことでした。

第二のビジョンは、「煮え立っているかま」で、それは、「わざわいが、北からこの地の全住民の上に、降りかかる」ことを意味しました (1:13、14)。当時はアッシリヤの脅威がなくなりユダ王国が希望に胸を膨らませているときでしたが、主は、「今、わたしは北のすべての王国の民に呼びかけている」(1:15) と、別の脅威が迫っていることを告げられたのです。それは具体的には、バビロン帝国がアッシリヤを滅ぼし、さらに南下してエルサレムに迫ることを意味しました。神は、異教徒の国を用いてご自身の民をさばくというのです。その理由が、「彼らはわたしを捨てて、ほかの神々にいけにえをささげ、自分の手で造った物を拝んだから」(1:16) と説明されます。

そして改めて主はエレミヤに、「腰に帯を締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな」と言われますが、同時に、「さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く」という警告も加えられます (1:17)。そしてさらに彼を励ます約束として、「ユダの王たち、首長たち、祭司たち」が、「あなたと戦っても、あなたには勝てない。わたしがあなたとともにいて……あなたを救い出すからだ」と言われます (1:18、19)。

エレミヤはしばしば、「涙の預言者」と呼ばれます。彼は人々が楽観的になっているときに、その幻想を打ち砕き、現実を見させ、主の前にひたすらへりくだることの大切さを勧めるように命じられました。バビロン帝国という野蛮な国が攻めてくるときに、「ただ、主の前に悔い改めの祈りをささげよ」という趣旨の訴えばかりをしました。これは、先の第二次世界大戦のとき、「アメリカと戦っても勝てない」と言い続けるようなものでした。しかし、当時の日本のキリスト教会は、そろって国策に協力しました。1941年6月に日本の全てのプロテスタント諸教会は日本基督教団として合同しましたが、その設立文書には、「国体の本義に徹し、大東亜戦争の目的完遂に邁進すべし……忠君愛国の涵養に努め信徒をして滅私奉公の実践者たらしむこと」などと記されていました。そのような流れに矢内原忠雄は、ひとり、預言書から大胆に国の方針を批判し続けました。彼は1937年の夏、中国侵略を嘘で固めて正当化する政府を批判し、「今日は、虚偽の世において、我々のかくも愛したる日本の国の理想、あるいは理想を失った日本の葬りの席であります。私は怒ることも怒れません。泣くことも泣けません。どうぞ皆さん、もし私の申したことがおわかりになったならば、日本の理想を生かすために、一先ずこの国を葬ってください」と記し、東大教授の職を解かれました。彼が沈黙することなく、聖書の預言書から語り続け、時の流れに警告を発し続けました。彼が投獄されなかったのは奇跡と言って良いほどです。その姿勢が認められて戦後は東京大学の総長に抜擢されました。時流に逆らって、語ることはいのちの危険が伴いますが、私たちの「いのち」は、神の御手の中にあります。

3.「わたしは……婚約時代の愛……を覚えている」

ついで主は、「エルサレムの人々」に、「わたしは、あなたの若かったころの誠実(ヘセッド)、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている。イスラエルは主(ヤハウェ)の聖なるもの、その収穫の初穂であった。これを食らう者はだれでも罪に定められ、わざわいをこうむったものだ」と言われます (2:1、2)。たとえば、イスラエルの民が荒野を旅している時、アマレク人が突然襲いかかってきました。そのとき主は、彼らをすぐに撃退したばかりか、「わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう」とさえ言われました (出エジ17:14)。私たちも、主と初めて出会ったときの「初めの愛」を忘れてはいないでしょうか。聖書のみことばひとつひとつが慰めをもって迫ってきたようなとき、主への献身の思いを誓ったようなときがあったのではないでしょうか。ヨハネの黙示録において、主はエペソの教会に向けて、彼らが誤った教えを見分けることができたことを賞賛しながらも、「あなたは初めの愛から離れてしまった。それでどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい」(2:4、5) と叱責されました。信仰の歩みが長くなるにつれ、知識は増えても「初めの感動」が失われるということがあるのではないでしょうか。イスラエルの民の場合は、それどころか、神の明確なさばきが遅れていることを良いことに、罪に居直り、神を悲しませていながら、それに心を動かされることもなくなっていました。

主はさらに、彼らがどれだけ偶像礼拝に熱心になってしまっていたかを、「雌のらくだ」や「野ろば」の「発情期」にたとえ、彼らの偶像への抑えられない情熱を、「あきらめられません。私は他国の男たちが好きです。それについて行きたいのです」と描きます (2:23–25)。そして、彼らが「木」を「私の父」と呼び、「石」が「私を生んだ」と言って、創造主である神に背を向けていながら、わざわいのときには、「立って、私たちを救ってください」という図々しさを非難し、「では、あなたが造った神々はどこにいるのか。あなたのわざわいのときには、彼らが立って救えばよい。ユダよ。あなたの神々は、あなたの町の数ほどもいるからだ」と彼らの節操のなさを皮肉っています (2:26–28)。

そして、ユダの民は今、確かにヨシヤ王のもとで偶像礼拝から遠ざかっているように見えますが、真の意味で過去を反省しているわけではなく、アッシリヤの脅威が過ぎ去ったことでほっとしながら、「私には罪がない。確かに、御怒りは私から去った」と言い張っています。それに対して主は、「『私は罪を犯さなかった』と言うから、今、わたしはあなたをさばく。なんと、簡単に自分の道を変えることか。あなたはアッシリヤによってはずかしめられたと同様に、エジプトによってもはずかしめられる」と彼らの節操のなさに対するさばきを宣告されます (2:34–37)。

これは、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」ということわざと同じです。これは、日本の教会に向けてそのまま当てはまることばではないでしょうか。戦争が終わったことで安心し、自分たちも神社参拝をし、天皇を神として崇めたという過去の過ちを真に反省しようともしませんでした。日本の教会が戦後もこれほど無力なのはそのためではないでしょうか。韓国の多くのクリスチャンは、戦前は神社参拝の要求にいのちがけで抵抗し、戦後は、妥協した人々は真剣に悔い改めたと聞いています。現代の私たちも、その場限りの逃げ道を探し、節操のない生き方を正当化してはいないでしょうか。しかし、目の前の問題が過ぎ去ったときこそ、自分の態度を反省すべきです。

主は、「初めの愛」に立ち返ることを求めておられます。たとえば、若い時の恋愛の体験を思い起こしてみてはいかがでしょう。恋する人と、会話ができること自体が感動でした。たとえ相手が期待したときと場所に現れなくても、忍耐をもって待ち続け、その事情を優しく受け止めることができました。ところが、今は、何と図々しくなっていることでしょう。顔と顔とを合わせて会話することを、まるで時間の無駄かのように思っていることはないでしょうか。この世の刺激に慣れてはいけません。神との親密な関係をこそ思い起こすべきです。あなたがたとえば、最初に、主に向かって真剣に祈り、その祈りに主が答えてくださったときの感動を忘れてはいないでしょうか。そのうち、「あれは偶然だった……」「私の努力が報われたのだ……」とか、自分に都合の良いように解釈をしてしまいます。

4.「背信の子らよ。帰れ……わたしが、あなたがたの夫になるからだ。

「もし、人が自分の妻を去らせ……ほかの男のものになれば、この人は再び先の妻のもとに戻れるだろうか」(3:1) とは、申命記24章1–4節を背景に記されています。そこでは、「その女を再び自分の妻としてめとることはできない。彼女は汚されているからである」と記されています。つまり、イスラエルの民は、自分で夫である主 (ヤハウェ) を捨てて、別の夫の妻となってしまったのだから、もう戻ってくることはできないはずだというのです。それなのに、彼らの口先だけの反省のことばを繰り返し、「父よ。あなたは私の若いころの連れ合いです。いつまでも怒られるのですか。永久に怒り続けるのですか」と、図々しくも、一方的に赦しを求めてくると非難しています (3:4、5)。

ところが、「ヨシヤ王の時代に」(3:6)、主は、「背信の女イスラエル」が偶像礼拝を熱心に行い、その後で「わたしに帰って来るだろうと思ったのに、帰らなかった」と嘆いています (3:7)。これは、主が本来、赦す対象にもなりえない浮気女の帰りを待ち続けていたことを意味します。その上で、「また裏切る女、妹のユダも」、主が「背信の女イスラエル」の浮気に耐えられなくなってついに、「離婚状を渡してこれを追い出した」こと、つまり、主がイスラエルをアッシリヤに売り渡したことを見ながら、「恐れもせず、自分も行って、淫行を行った」ばかりか、その後も、「心を尽くしてわたしに帰らず、ただ偽っていたにすぎなかった」と非難しておられます (3:8–10)。神はイスラエルをさばきながら、それを見てユダが主を恐れ、悔い改めることができるようにと心より待っておられたとういうのです。

それでエレミヤに、「背信の女イスラエルは、裏切る女ユダよりも正しかった」(3:11) と、あの堕落した北王国イスラエルの方が、ユダの現在の堕落よりもまだましであったと、驚くべきことを言っておられます。そして、主はエレミヤを通して、「背信の女イスラエル。帰れ……わたしはあなたがたをしからない。わたしは恵み深い (ヘセッド) から……わたしは、いつまでも怒ってはいない。ただ、あなたは自分の咎を知れ」(3:12、13) と招いておられます。

そして、重ねて主は、「背信の子らよ。帰れ」と招いておられますが、その際、「わたしがあなたの夫となるからだ」と言っておられます (3:14)。「夫」は原文で「バアル」と記されており、主はここで、偶像ではなく、「わたし」こそが、「あなたのバアル」であると彼らの思い違いを正しておられるのです。私たちキリスト者は、キリストと結婚した者です。それによって、キリストのすべての富と聖さが私たちのもとになり、私たちの貧しさと汚れがキリストのものとなりました。私たちは富自体を求めなくても、すべての富の源である方に結びつけられたことで安心できるのです。そして、私たちの救いの完成の姿が、「そのとき、エルサレムは『主 (ヤハウェ) の御座』と呼ばれ、万国の民はこの御座、主 (ヤハウェ) の名のあるエルサレムに集められ、二度と彼らは悪いかたくなな心のままに歩むことはない」と描かれます。そのとき、何度も主を裏切った神の民の心も内側から造りかえられているからです。

また、主はイスラエルを苦しめましたが、「イスラエルの子らの哀願の泣き声」を聞いて、「背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信をいやそう」(3:19–22) と招いておられるというのです。私たちも自業自得の苦しみに会うことがあります。そして変わりたくても変われない自分の不信仰に嘆きます。しかし、主は、私たちの心を完全にいやしてくださり、主に背くことがあり得ないように変えてくださいます。このエレミヤ書で繰り返される「背信」ということばは、英語で backsliding と訳されます。これは、せっかく創造主である神に人生の方向転換をしたのに、もう一度、この世に向きを変えなおすことを意味します。「私の人生は180度変わりました!」と言いながら、また、180度回転して「もとの木阿弥」になる人がいます。そんな人に、神はもう一度180度の方向転換へと招いておられ、最後には、もとの世界に戻ることに魅力を感じないように心を変えてくださいます。それが聖霊のみわざです。

そのような回心の様子が、「今、私たちはあなたのもとにまいります。あなたこそ、私たちの神、主 (ヤハウェ) だからです。確かに、もろもろの丘も、山の騒ぎも、偽りでした。確かに、私たちの神、主に、イスラエルの救いがあります」と描かれます (3:22、23)。そして、バアル礼拝のむなしさに目覚めた姿が、「バアル(直訳は「恥ずべき者」が、私たちの先祖の勤労の実……羊の群れ、牛の群れ、息子、娘たちを食い尽くしました」(3:24) と描かれます。それは麻薬に溺れて人生を駄目にしたあげく、初めて自分が依存症の罠にはまっていたことに気づくようなものです。

そして、主は重ねて、「イスラエルよ。もし帰るのなら……わたしのところに帰って来い」と招かれ、「あなたが真実と公義と正義とによって『主 (ヤハウェ) は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、主によって誇り合う」と、平和と祝福に満ちた世界に入れていただける鍵が、あなた自身の信仰にかかっていると告げられます (4:1、2)。そして、今改めて、主は、「ユダの人とエルサレムの住民よ。主 (ヤハウェ) のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行いのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう」(4:4) と警告とともに招いておられます。パウロはそれをもとに「御霊による、心の割礼こそ割礼です」(ローマ2:29) と記します。何よりも大切なのは、あなたの弱く、貧しい心を主に差し出すことです。主のみわざがあなたの内側になされるように、自分の弱さ、罪深さと向き合い、それを主に告白することです。目の前の困難が過ぎ去る度に自分の罪を振り返り、過去から学ぶことです。何もなかったかのように新しい歩みをすることを、主は望んでおられません。自分がどれだけ主を悲しませ、主の愛を軽んじてきたという事実を認める必要があります。

Amaizing Grace という有名な賛美歌の作者ジョン・ニュートンは、幼い頃、敬虔な母親のもとで聖書を学びましたが、七歳のとき母が天に召され、それから人生が狂い出しました。彼は奴隷商人の仲間になり、自業自得で奴隷以下のひもじさを味わうまで身を落しました。その後、難破しそうな船の中で、ふと、幼い頃に暗誦したみことばが思い浮かびました。それは、「一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力を味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです」(6:4–6) というみことばです。これは、「背信者、背教者 (backslider) には望みがない」と言われているようなものです。ジョンは、自分のような者は、地獄に落ちるしかないと、恐怖に圧倒されました。でも同時に、「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊をくださらないことがありましょう」(ルカ11:13)というみことばが迫って来ました。人にはできないことを、聖霊様がなしてくださるということがわかりました。主は、霊的な浮気ばかりをしているイスラエルに向かって、「背信の子ら (Backslider) よ。帰れ」と招いておられるからです。主のさばきのご計画は変えられ得るものです。なぜなら、主ご自身が、ご自分のご計画を「悔い」て「思い直す」と語っておられるからです。主は、エレミヤ18章8節で、「もし、わたしがわざわいを予告したその民が、悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていたわざわいを思い直す」(18:8) と語っておられます。悔い改めるのに遅すぎることはありません。