2009年3月22日 “マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」” の続きを読む
マタイ5章1〜12節「主にすがる者の幸い」
2009年3月15日
マタイ福音書での 「山上の説教」と「終わりの日の説教」の対比
〈モーセの最後の説教〉「見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く……私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい……あなたの神、主(ヤハウェ)を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ……」 (申命記30:15,19、20)
〈山上の説教の前提〉 イエスは宣教を開始して、言われた。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17) “マタイ5章1〜12節「主にすがる者の幸い」” の続きを読む
マタイ11章25〜30節「幼子たちに現された福音」
2007年11月18日
人は誰しも、馬鹿にされると傷つき、大切にされると嬉しくなります。そしてこの社会では、人の価値がその人の生産能力で測られているかのようです。そのような中で、あなたの中には、「自分の存在価値を証明しなければ!」という駆り立てる思いがないでしょうか。しかし、その気持ちをイエスの前でも持ち続けるなら、信仰に安らぎは生まれません。それどころか、身体を壊すほどに頑張りながら、イエスを悲しませることになりかねません。 “マタイ11章25〜30節「幼子たちに現された福音」” の続きを読む