ローマ人への手紙8章1〜11節「あなたがたは御霊のうちにあります」

2024年8月25日

ローマ人への手紙8章1-11節私訳、その他の参照聖句

私たちはつい自分の信仰を反省して、自分で自分の信仰を励ますような生き方をしてはないでしょうか?しかし、自分で自分を変えられるならイエスが十字架にかかる必要はありませんでした。自分ができないことをイエスが成し遂げ、私たちに聖霊を送ってくださいました。 “ローマ人への手紙8章1〜11節「あなたがたは御霊のうちにあります」” の続きを読む

バッハ作曲モテット「イエスは私の喜び」〜ローマ8章1–11節

 今度の礼拝では生まれて初めて、福音の核心とも言われるローマ人への手紙8章1–11節からメッセージをさせていただきます。牧会35年にしてようやくローマ人への手紙の講解メッセージに入っているからです。 “バッハ作曲モテット「イエスは私の喜び」〜ローマ8章1–11節” の続きを読む

ローマ人への手紙7章13〜25節「自分の惨めさを認める中から生まれる感謝」

2024年8月11日

ローマ人への手紙7章7–25節私訳、その他の聖句

「地獄への道は善意(良い心がけ)で舗装されている (The road to hell is paved with good intentions)」ということわざがあります。 “ローマ人への手紙7章13〜25節「自分の惨めさを認める中から生まれる感謝」” の続きを読む

ローマ人への手紙7章1〜12節「聖なる律法から解放される?」 

2024年7月6日

ローマ人への手紙を表面的に読むと、「律法」が否定的に理解されることがあります。しかし「律法は聖なるもの」また、私たちを真の意味で「生かす」、愛の教えです。 “ローマ人への手紙7章1〜12節「聖なる律法から解放される?」 ” の続きを読む

ローマ人への手紙6章12〜23節「罪から解放されて、義の奴隷とされた」 

2024年6月23日

私たちは自分をクリスチャンと呼びます。それは自分を「キリスト・イエスのうちにある者」と自認しているという意味です。あなたは日本人である前に、キリストの王国の中に生かされているのです。それをパウロは、「罪の奴隷」から「義の奴隷」へと変えられたと述べます。 “ローマ人への手紙6章12〜23節「罪から解放されて、義の奴隷とされた」 ” の続きを読む

ローマ人への手紙6章1〜11節「罪に対して死に、神に対して生きる」

2024年6月9日

私たちは何のために生かされているのでしょうか。ときに伝道や証しのために生かされていると考えすぎると、周りの未信者の方から「あなたそれでもクリスチャンなの」と言われることに敏感になりすぎる、堅苦しい生き方になるかもしれません。 “ローマ人への手紙6章1〜11節「罪に対して死に、神に対して生きる」” の続きを読む

ローマ人への手紙5章12〜21節「いのちにあって支配する」

2024年5月19日

「死」はすべてのものを失うことのシンボルです。私たちは死において、家族や友人と引き離され、それまで築いたもののすべてを失います。実は、不安に駆り立てられている人は、心の底で「死」を恐れているとも言えましょう。 “ローマ人への手紙5章12〜21節「いのちにあって支配する」” の続きを読む

星野富弘さんのストーリーを5分にまとめた作品〜ローマ書5章

 先週、78歳で天に召された星野富弘さんが、詩画作家へと導かれるストーリーが5分にまとめられた動画を、昨日紹介していただきました。
 とっても感動的ですのでご覧いただければ幸いです。
絵:みなみななみ 音楽:STYLE Jun “星野富弘さんのストーリーを5分にまとめた作品〜ローマ書5章” の続きを読む

ローマ人への手紙5章1〜11節「神との平和を誇れる幸い」

2024年5月5日

23歳で大怪我をして死を望んでいた星野富弘さんが、多くの人に希望を与えて78歳で天に召されました。小学校の教科書にも載せられた、

いのちが 一番大切だと 思っていたころ 生きるのが苦しかった
いのちより大切のものが あると知った日
生きているのが 嬉しかった

という詩があります。 “ローマ人への手紙5章1〜11節「神との平和を誇れる幸い」” の続きを読む

「罪の奴隷」から「恥を知る人間に」〜ローマ6:20、21

 NHKの【こころの時代 宗教・人生】で4月21日(日)から始まる新シリーズ こころの時代 「ヴィクトール・フランクル」6回シリーズ をご紹介しました(4月19日の )。
 ただその関係でフランクルのインタビュー記事などをウィーンに住む友人から紹介していただきました。
 残念ながら、そこでフランクルが、人間を「良い人間」と「悪い人間」に分け、政治体制の問題や社会の問題を論じないことへの疑問が出されていました。 “「罪の奴隷」から「恥を知る人間に」〜ローマ6:20、21” の続きを読む