キリストにある愛の交わり —— 「千年王国」に関する理解の違いを超えて〜黙示録20章から

最近、米国で、ケンタッキー州のアズベリー大学から始まったリバイバルの動きが、全米各地に広がっています。本当にすばらしいことです。この数年間、米国では政治の問題を巡って、キリスト教会の中にも激しい意見の対立が生まれていました。本音で自分の意見を言えなような雰囲気があったとも聞きます。しかし、多くの人々にとっての本当に大きな課題は、もっと身近な、自分自身の将来に対する不安や、家族内の対立、自分を受け入れることができないという自己嫌悪感のようなものであったようです。キリストの福音はまさに、そのような身近な課題に語りかけ、あのような大きな動きになって行きました。 “キリストにある愛の交わり —— 「千年王国」に関する理解の違いを超えて〜黙示録20章から” の続きを読む

屠られた子羊は……賛美を受けるにふさわしい方〜黙示録5章 

紅葉が美しい季節になりました。昨日、紅葉を見るために二人で山梨県まで遠出しましたら、ばったりと神学生夫妻と出会い、そこでともにお祈りすることができました。欧米でコロナ感染の再拡大が起っています。日本がこのまま落ち着いてくれることを願うばかりですが、誰も明日のことは分かりません。ただ、コロナ恐怖からの解放が、それほど遠くないことは明らかです。これは最終的な救いの完成:シャロームを待ち望みながら、今、ここでの様々な困難に立ち向かう生活と同じと言えます。 “屠られた子羊は……賛美を受けるにふさわしい方〜黙示録5章 ” の続きを読む

黙示録17章1〜18節「信仰と富」

2012年2月19日

信仰と富との関係は微妙です。神を信じればお金持ちになれるという短絡的なご利益信仰は危ないですが、でも反対に、信仰者はお金のことを考える必要はないという発想は、もっと危険です。それはイエスが強く非難したパリサイ人の偽善になります。お金が偶像になるのは、それが私たちの日々の生活にとって何よりも大切であるからです。 “黙示録17章1〜18節「信仰と富」” の続きを読む

黙示録の要約「大バビロンの誘惑に耐える」

2010年2月14日

黙示録は聖書の中で最も誤解されやすい書物のひとつです。しかし、これは信仰者にとって不可欠な励ましの書です。22章10節に、「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである」と記されていますが、これは、たとえばダニエル書で、終わりの日の幻に関して、「あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ」(12:4、9) と記されているのと対照的です。またこの書は、英語では、Revelation(啓示)と呼ばれるように、これは隠されたことばではなく、信仰者すべてに特別に明らかにされた希望のことばです。 “黙示録の要約「大バビロンの誘惑に耐える」” の続きを読む