マルコ15章33節〜16章8節「産みの苦しみの初め」

2013年3月24日

今から60年ほど前は、自宅出産が普通でしたが、そこには大変な危険も伴いました。私の誕生は予定日より15日間も遅れていました。夜中に陣痛が起き、助産師さんが呼ばれてきましたが、大きくなりすぎていたため、近所のおばさんが母のお腹に乗るようにして胎児の私を押し出す必要がありました。どうにか生まれたものの、母は血が止まらなくなりました。それで今度は、家の外から雪を持ってきて母のお腹を冷やしました。そのため今度は激しい腹痛に襲われ、そのうち母の意識が朦朧としてきました。祖母は母がそこで眠ったら、永遠に意識を失ってしまうと心配し、必死に母の名を呼びかけ続けたとのことです。 “マルコ15章33節〜16章8節「産みの苦しみの初め」” の続きを読む

マルコ15章16〜34節「私たちの悲しみを担われた救い主」

2013年3月17日

シスター渡辺和子の著書「置かれた場所で咲きなさい」が昨年から一般の書店でベストセラーの一角を占め続けています。彼女は36歳の若さで岡山のノートルダム清心女子大学の学長に任じられた時、様々な葛藤の中で、「くれない族」になっていました。それは、「分かってくれない」「ねぎらってくれない」「褒めてくれない」「お詫びしてくれない」など、周囲への不満を持ちながら生きる生き方でした。彼女は自信を喪失し、修道院を去ろうと思い詰めますが、そのときにある宣教師が、「Bloom where God has planted(神が植えたところで咲きなさい)」と書いてくれたことばが彼女の歩みを変えました。 “マルコ15章16〜34節「私たちの悲しみを担われた救い主」” の続きを読む

マルコ15章1〜20節「預言された王の道を歩まれたイエス」

2013年3月10日

世の多くの人々は、家内安全、商売繁盛や災いを退ける厄払いを願って神社に参拝します。そのような中で、「イエスを救い主と信じることによって、今ここで、何が変わるのですか?」と聞かれたら、どのように答えるでしょう。私はしばしば、「どの人の人生にも闇の時期が訪れます。しかし、イエスに信頼する者は、痛み、苦しみ、悲しみの中にも、喜びと平安と希望を見いだすことができます。それを知っていることで、自分の損得勘定を超えて目の前の課題に真正面から向かう勇気をいただくことができるのです」と答えるようにしています。 “マルコ15章1〜20節「預言された王の道を歩まれたイエス」” の続きを読む

マルコ14章43〜72節「人の弱さを知っておられる救い主」

2013年3月3日

ペテロは確かに弟子たちのリーダーでした。カトリック教会の総本山はペテロの墓の上に立っており、まもなく異例の交代を迎えようとしているローマ法王はペテロの後継者と呼ばれています。それは根拠のないことではありません。確かに、イエスは弟子のペテロに向かって、「あなたはペテロ(岩)です。わたしはこの岩 (ペトラ) の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18) と言われたからです。そのように考えると、ペテロはよほど立派な人間であると思われて当然ですが、よくよく聖書を見ると、彼は救いようのないほどの偽善者、臆病者、嘘つきであることが赤裸々に記されています。
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マルコ14章26〜42節「強がりから自由になった祈り」

2013年1月27日

証券営業の仕事をしていた時、「上司からの余計な叱責を受けないための知恵」を教わりました。それは、営業目標の達成に関して少々不安があっても、「大丈夫です!お任せ下さい」と言い張ることでした。なぜなら、当時の営業店は、ノルマを果たせないと人間扱いされない世界でしたから、弱音を吐くと、上司を心配させ、自分の個性を殺すような介入を招いてしまうからです。要するに、人の干渉を避けるためには、強がっているのが一番なのです。しかし、そのような態度が身についてしまうと、神の前でも同じような態度を持ってしまうことになります。神は人間とは違い、私たちの個性を全面的に生かすことがおできになる方です。神に対しても強がる者は、真の意味での神の力を体験することができなくなります。
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マルコ14章12〜26節「キリストのからだと契約の血を受ける幸い」

2013年1月6日

イスラエルの民が繰り返し思い越すように命じられたのは出エジプトの出来事、神が彼らをエジプトの国、奴隷の家から連れ出してくださったことで、それこそ旧約聖書の中心テーマです。過越の祭りはそのためにありました。クリスチャンが思い起こすことはキリストの十字架の贖いです。それこそ新約聖書の中心テーマです。聖餐式はそのためにあります。
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マルコ14章1〜11節「福音を生きたひとりの女」

2012年12月9日

故田中角栄氏が「政治は数であり、数は力、力は金だ」と言われたことが、金権政治の哲学と批判されてきましたが、何の既得権益も持たない人が社会に影響力を発揮しようとするときに、このことばは極めて現実的な政治哲学とも言えましょう。私たちもある人の功績をたたえる時、その人が成し遂げた何かを語ります。そして、何かを成し遂げた人は、お金や力や人を使うことに長けている場合がほとんどです。
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マルコ13章24〜37節「世界の終わりと思える中で」

2012年11月25日

マルコの福音書13章は、しばしば世界の終わりに関する預言として理解されてきました。しかし、文脈から明らかなように、直接的なテーマはエルサレム神殿の崩壊に関することです。もちろん、これをキリストの再臨に関する教えと理解しても現代への適用は、基本的に変わりはしません。そのことを宗教改革者マルティン・ルターは、「たとい世界が明日滅びると分かったとしても、それでも私は今日、りんごの木を植えるだろう」と言いました。 “マルコ13章24〜37節「世界の終わりと思える中で」” の続きを読む

マルコ12章35〜44節「神の救いはあらゆる常識を超えている」

2012年10月28日

イエスの時代の宗教指導者たちは、一様に、「神の国」の実現を待ち望んでいました。それは目に見えるダビデ王国の再興のときでした。律法学者たちは指導者たちの中でも、特に、目に見えない神のご支配や復活のいのちということに目を向けていました。ただ、その際、主を愛する者に主は「祝福」を与え、主の御声に従わない者には「のろい」が与えられるという趣旨の教えを、あまりにも短絡的にとらえていました。 “マルコ12章35〜44節「神の救いはあらゆる常識を超えている」” の続きを読む