マルコ15章16〜34節「私たちの悲しみを担われた救い主」

2013年3月17日

シスター渡辺和子の著書「置かれた場所で咲きなさい」が昨年から一般の書店でベストセラーの一角を占め続けています。彼女は36歳の若さで岡山のノートルダム清心女子大学の学長に任じられた時、様々な葛藤の中で、「くれない族」になっていました。それは、「分かってくれない」「ねぎらってくれない」「褒めてくれない」「お詫びしてくれない」など、周囲への不満を持ちながら生きる生き方でした。彼女は自信を喪失し、修道院を去ろうと思い詰めますが、そのときにある宣教師が、「Bloom where God has planted(神が植えたところで咲きなさい)」と書いてくれたことばが彼女の歩みを変えました。

彼女はその後、精神的にも肉体的にも厳しい病を通らされますが、やがてそれらを「プレゼントをいただくように両手でいただく」という思いになりました。彼女はある講演の中で、「あのイエス様でさえ人々から誤解され、誹謗中傷されたのだもの、私も十字架につかないわけはないと思うと、自分も少し納められたし、立った腹も納めることができました。私はそれらを小さな死—litte death—と言っています。大きな死のリハーサルとして、両手でいただく練習をします」と言っています。

彼女の人生の不条理は、9歳の時から始まっています。1936年の二・二・六事件の際、開戦に強硬に反対していた父、渡辺錠太郎陸軍大将は同じ陸軍の青年将校に自宅を襲われます。父はとっさに和子さんを隠しましたが、彼女は1m前で父が殺されるのを目撃しました。

彼女は苦しんだ分だけ、優しく包容力のある人間へと成長して行き、多くの人々を慰めるようになっています。

イエスの十字架ほど神秘なことはありません。十字架は、何よりも忌まわしくおぞましいものですが、聖書はそのような描き方をしていません。とくにマルコによる福音書では、イエスが受けた嘲りや辱めばかりが描かれます。

そして、それらの誹謗中傷を受ける痛みは、私たちにとって極めて身近なものです。詩篇の祈りには、それらの人間関係から生まれる悲しみが満ちています。その代表例が詩篇22篇です。それは神と人から見捨てられた者の痛みと悲しみの中から生まれた祈りです。

そして、イエスの十字架にはその悲しみを担うという意味があります。イザヤ53章3、4節には、「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた……まことに、彼が負ったのは私たちの病、担ったのは私たちの悲しみ」と記されています。イエスは、詩篇の作者が味わったすべての悲しみを担うために私たちと同じ人間になり、十字架にかかってくださいました。

そして、十字架には、「のろいと祝福」「さばきと赦し」「怒りと慰め」「暗黒と栄光」などの対照的なことが混然一体となって描かれています。

イエスにとっても、十字架は絶対に受け取りたくないものでしたが、イエスはそれをすべての祝福の基と変えてくださったのです。私たちもイエスに倣って、負いたくない十字架を背負うことで、祝福の基とされて行くのです。

1.「彼らはイエスを嘲弄したあげく……」

ピラトは群集の声に圧倒される形で、バラバを釈放しました。そしてその後の事がごく簡単に、「イエスをむち打って後、十字架につけるように引き渡した」と記されます。

「むち打ち」自体が、人を死に追いやるほど、おぞましく酷い刑でしたが、ここでは、肉体的な痛みを思い起こさせる表現を隠すように配慮しつつ描かれています。

他方で驚くほど詳しく描かれているのが、イエスがあざけりを受ける様子です。総督の「兵士たち」はイエスに王族の着物の色の「紫の衣を着せ」、月桂樹の冠の代わりに「いばらの冠を編んでかぶせ」ました。そして、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んで嘲り、王酌に似せた「葦の棒でイエスをたた」きました。

19節は、たたき続け、つばきをかけ続け、ひざまずいて拝み続けた」と、未完了の動詞形で、嘲りの執拗さが強調されています。

20節では敢えて、「彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した」と記されます。

本来なら兵士たちは、さっさとイエスを死刑上に連行すればよかったはずなのですが、「イエスを嘲弄したあげく」ではないと、彼らの気持ちが納まらない事情がありました。

ローマの兵隊たちはユダヤ人のテロ攻撃を恐れて、被害も受けていましたから、イエスをテロリストの王に見たてて日頃の憎しみをぶつけたのだと思われます。人は、怒りをぶつける相手を求めています。

イエスは誰よりも、武力闘争の愚かさを訴えておられたのに、今は、テロリストのリーダーであるかのように嘲りを受けています。これほど理不尽なことがありましょうか。

今回のNHK大河ドラマの「八重の桜」では会津藩家老の西郷頼母が詳しく描かれます。彼は会津が戦争に巻き込まれるのを避けようと、何度も領主松平容保に死を賭して忠言しました。しかし、後に家族のほぼ全員が自決せざるを得ない状況に追い込まれました。

私たちもときに、同じような理不尽な状況に追い込まれることがあるかもしれません。また、あらぬ誤解を受け、あざけりをうけることがあるかもしれません。人はだれしも、自分の尊厳を奪われることは、何よりも辛いことです。

しかし、私たちはその痛みの中で、イエスに出会うことができます。イエスはあなたのために「つばきをかけられ」続けたのですから……。

イエスはイザヤが預言した「主 (ヤハウェ) のしもべ」の姿を生きておられました。イエスはそこでイザヤ50章5、6節の預言を思い浮かべておられたことでしょう。

そこには、「主ヤハウェは、私の耳を開かれた。それでこの私は、逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者にこの背中をまかせ、ひげを抜く者にこの頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、この顔を隠さなかった」と記されています。

イエスは途方もない嘲りを受けながら、それを正面から受け止めておられました。それは同時に、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」という天からの声を聞いていたからです。私たちも、誤解や中傷を受けたとしても、天からの声を聞くことで耐えられるのです。

それにしても、イエスはたった五日前に、「ダビデの子」つまり、ユダヤ人の王、預言された救い主として、群衆の歓呼の中、ろばに乗ってエルサレムに入城しました。また、イエスは威厳に満ちて、神殿の中から商売人を追い出しました。祭司長たちも黙って見ているしかありませんでした。

イエスの立場は数日のうちに天国から地獄状態へと落とされたのです。その方に従う私たちが、誤解され、あざけられるのは何の不思議でもありません。

使徒ペテロは後に、「もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」(Ⅰペテロ4:14) と言いました。

そしてイエスは自分がかけられる十字架を背負わされてゴルゴタと呼ばれる死刑場に連れて行かれますが、徹夜の裁判と鞭打ちを受けて衰弱しきっていました。そこで、「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた」と記されます (21節)。

「アレキサンデルとルポス」とわざわざ記されているところを見ると、彼らは初代教会で有名な弟子になっていたのだと思われます。少なくともパウロはローマ人への手紙の終わりに挨拶で、「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく」(16:13) という記述があります。

つまり、田舎から出てきてたまたまここを通りかかったクレネ人シモンは、十字架刑の木を背負わされる羽目になったのですが、それによって彼はイエスの十字架刑の最も身近な目撃者となり、彼の妻はパウロが自分の母と呼ぶような存在にもなったということかと思われます。

シモンは、このときローマ兵を恨んだでしょうが、そこから不思議な道が開かれました。

イエスは弟子たちに、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコ8:34) と言われましたが、シモンの場合は自分のではなくイエスの十字架を負わされて御跡について行きました。

「十字架を負う」とは、犯罪人として辱めを受けることを意味しますが、それがシモンにとっては後に最高の栄誉と感じられるようになり、彼の子たちが初代教会のリーダーとして育ってゆきました。

2.「道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって……」

不思議に、イエスが「ゴルゴタ」に着いたとき、兵士たちは、「没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしました」(15:23) が、それは痛みを和らげる麻酔薬のようなものです。ところが「イエスはお飲みにならなかった」というのです。ここに、肉体的な痛みを正面から受け止めようとしたイエスの雄々しさと見られます。

そして、「それから彼らはイエスを十字架につけた」と描かれますが、大きな釘が打ち込まれたような描写は省かれています。

その一方で、「だれが何を取るかをくじ引きで決めた上で、イエスの着物を分けた」(15:24) と敢えて描かれます。これは、イエスの存在が徹底的に無視されていることの象徴です。

イエスはこのときダビデの子として、千年前に記された詩篇22篇を思い起こされたことでしょう。その14-18節では次のように描かれています。

「私は水のように捨て流され、骨々はみなはずれ、心は、身体の中で、ろうのように溶け、力は焼き物のかけらのように渇ききり、舌は上あごにくっつきました。

あなたは私を、死のちりの上に置いておられます。犬どもが包囲し、悪者どもの群れが取り巻き、私の両手と両足を突き刺しました。

私は自分の骨をみな、数えることができるほどです。彼らは私をながめ、ただ見ています。私の上着を互いに分け合い、この衣のために、くじを引きます」

ダビデはそこで自分の置かれている悲惨な状況を詩的に表現したのでしょうが、イエスの十字架に関しての簡潔な描写はこれをまさに文字通りに実現することになりました。イエスは十字架で両手と両足に釘が刺され、肋骨が数えられるほどに身体が引き延ばされ、骨々がみなはずれたようになり、ぶどう酒をお飲みにならなかったことで渇きに苦しみ、そしてさらしものにされています。

そのような苦しみの中で、目の前の人はイエスご自身よりもイエスの着物の方に関心を持っています。イエスは自分の苦しみを通して、詩篇の苦難の祈りをまさにご自分のものとして行かれました。

それは、すべての見捨てられた者の仲間となるという意味があります。

また、イエスが十字架にかけられたのは午前9時でしたが、その罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてありました。それはイエスを、ローマ帝国に反旗を翻した独立運動の指導者として十字架にかけるという意味ですが、それは誤解に満ちた嘲りでありながら、同時に、神の救いのご計画の中での真実を現しています。

そこには、イエスが文字通り、イスラエルの民の王として、彼らのすべての罪を負い、「祭司の王国、聖なる国民」(出エジ19:6) としての彼らの歴史を完成に導くという意味がありました。

イスラエルは神の愛と真実を世界中に証しするために選ばれましたが、イエスは今、イスラエルの王としてその使命を全うしてくださったのです。イエスの十字架と復活以降、神の救いが異邦人にも明確に及ぶようになったのは、イスラエルの歴史がイエスによって完成したからです。

一方、「彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた」(27節) と描かれますが、これは、イエスを強盗の頭として見世物にしたという意味が込められていたと思われます。

ただ、一部の写本には28節として新改訳の脚注にあるように、「こうして、『この人は罪人とともに数えられた』とある聖書が実現したのである」と記載されていました。これは最も古い写本の中にはない記事で、後の人がルカ22章37節のことばを書き込んだと多くの学者は認めています。

どちらにしても、これはイザヤ53章12節に「主 (ヤハウェ) のしもべ」が勝利に導かれる理由が、「それは、彼がそのいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたから。だが、彼こそが多くの人の罪を負った。そして、そむいた人たちのためにとりなしをする」と描かれていた預言の成就と見られていました。それこそが、イエスが犯罪人の仲間とされたことの意味でした。

そこで「道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって」、「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ」と言いました (15:29、30)。

これは、イエスが神殿の崩壊を告げたことへの皮肉ですが、イエスは本当に、ご自分の十字架と復活で、神殿を完成してくださいました。もう私たちは目に見える神殿なしに、イエスにすがるだけで神からの罪の赦しを受け、また、神に向かって祈ることができます。

そこで宗教指導者たちは、「他人を救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれはそれを見たら信じるから」とイエスをののしりました (15:31)。

しかも、ここではルカに記された強盗の悔い改めの代わりに、「イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった」(15:32) と描かれ、イエスはすべての人の心の底にある怒りをその身に受けたという点が強調されます。

ところで、この場面も詩篇22篇6-8節にそのまま、

この私は、ただ、虫けら。人間と見られていません。
人のそしり、民の軽蔑の的(まと)です。
見る者はみな、私をあざけり、口をとがらせ、頭をふります。
「主 (ヤハウェ) にまかせ、助けてもらえ。救ってもらえ。
お気に入りなのだから」

と描かれています。

これもダビデ自身が受けたあざけりを詩的に描いたものでしょうが、ダビデの子のイエスがそれを文字通り体験してくださいました。

多くの人々は、自分が人間扱いされず、徹底的なあざけりを受けることを恐れています。また、神を信じることを恐れる理由に、その信仰が嘲りの対象とされることがあります。これこそ私たちが心の底で恐れていることとも言えましょうが、それは既にダビデの詩篇に記されていることであり、救い主ご自身がその苦しみを私たちに先立って味わってくださいました。

イエスは本来、十字架から降りようと思ったら降りることもできました。それ以前に、十字架刑を避けることだってできました。

イエスが十字架に留まってくださったのは、まさにこの詩篇の苦しみを引き受けるためだったのです。

3.「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

しかも、「十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた」(15:33) とありますが、これは超自然的なことで、日食などではありません。過越しの祭りは、満月の日に祝われ、日食は新月に起こる自然現象です。これは、神の愛が、イエスが負われた罪によって遮断されたという意味にも理解されます。イエスはこのとき、まさに、神と人の両者からのろわれた者となり、絶対的な孤独を味わわれたのです。

ただし、神のさばきの日に、「太陽が暗くなる」と表現されることは、多くの預言書に記されていました。そして、イエスご自身もかつて、「その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち」(マルコ13:24)と言っておられました。

つまり、これは何よりも、預言が成就したという積極的な意味があるのです。

主はその直後、「そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです」(同13:26) と言われました。これはダニエル7章13節の引用であり、イエスはこのことばをもう一度、ユダヤの最高議会でご自身に当てはめて引用されたことで、神への冒涜罪による死刑判決を受けました。

そして、イエスの栄光は三日目の復活によって明らかになりました。つまり、「太陽が暗くなる」ことは、神のさばきのしるしであるとともに、新しい時代の始まりのしるしでもあるのです。

ただ、イエスはこのとき太陽が暗くなる中で、神からのろわれた者となれた絶望感を味わっておられたことは確かです。

イエスは、この苦しみのことを、ゲッセマネの園の祈りで、「どうぞ、この杯を取りのけてください」と祈っておられました。それはイザヤ51章17節に記されたように、「主 (ヤハウェ) の手から、憤りの杯を飲み、よろめかす大盃を飲み干した」と預言されたことをご自分で実現したこと、つまり、神の怒りの杯を飲み干した瞬間でした。

ただ、それは悲劇であるとともに、イエスが王座に着かれた瞬間でもありました。イエスはかつてヤコブとヨハネが、「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください」と、抜け駆けして訴えたときに、イエスは彼らに、「あなたがたは自分が何も求めているか、わかっていないのです」と言いながら、「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしが受けるべきバプテスマを受けはします」と言われました。それは彼らがキリストと同じように苦しむことを意味しました。

ただそのときイエスは同時に、「しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々がいるのです」と言われました。それは、不思議にも、イエスが十字架にかかられたとき、その右と左に強盗がかけられたことを指しています。

つまり、イエスの十字架は、神ののろわれた者としてのシンボルであるとともに、栄光の王座でもあったのです。ですから、この太陽が暗くなったことも、ひとことで説明できることではなく、神ののろいと同時に、イエスの栄光の現れとみることができます。

そして、イエスは孤独の極みの中で、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか……」と叫ばれました。その響きを伝えるために、マルコはイエスが当時用いていたアラム語のままの発音「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」を残しています。

これは詩篇22篇1節の祈りそのものです。そのことばは、

私の神、私の神よ。なぜ、私をお見捨てになったのでしょう。
私の救いと うめきのことばから、なぜ、遠く離れておられるのでしょう。
私の神よ。昼、叫んでいるのに、答えてくださらず、
夜も、私には、静寂がありません

と訳すことができます。

そしてその後に、先に引用されたような人々から見捨てられ、人間扱いをされない孤独の痛みと死の苦しみが生々しく描かれた上で、19節~21節では次のように、絶体絶命の叫びが、

あなたは、主 (ヤハウエ) よ。遠く離れないでください。
私の力よ、助けに急いでください。救い出してください。
このたましいを 剣から、ただひとつのいのちを 犬の手から。救ってください。
獅子の口から、野牛の角から

と記されます。

つまり、詩篇の文脈から理解する限り、イエスは、この期に及んで「どうして」と訴えたというよりも、全世界の罪を負って、のろわれた者となりながら、その絶望的な状況の中でなおあきらめることなく、神の救いを訴え続けていたと解釈できます。

イエスはここで罪人の代表者であるばかりか、すべての見捨てられた気持ちを味わっている者の代表者となって叫ばれたのです。

そして、詩篇22編では、沈黙しておられる神への訴えは、「あなたは私に答えて下さいます」(22:21) という告白につながります。

イエスの叫びは、どん底でなお神に呼び求める信仰の現われだったのであり、イエスの復活こそ、それに対する神の答えでした。

不思議にもこの詩篇には、救い主がユダヤ人の王であるばかりか、すべての人間の王、代表者として、神の救いを求めて叫び、それが聞き入れられると描かれています。

イエスの十字架に関する描写は不思議です。肉体的な苦しみの描写が最低限に抑えられながら、イエスが受けたあざけりやののしりに焦点が合わされています。なぜなら、それこそが詩篇に描かれら人間の苦しみの根本だからです。

私たちは人生のどこかで、詩篇22篇に描かれているような絶望感を味わうことがあるかもしれません。しかし、それこそ、イエスが味わってくださった悲しみです。

私たちがこの地で味わう痛み悲しみ苦しみで、イエスが体験されなかったものは何もありません。私たちは苦しみのただ中で、イエスに出会い、人間の罪から生まれた「のろい」の連鎖を、祝福の連鎖へと変えることができます。十字架にある逆転を心に刻んで生きて行きましょう。