2008年11月30日 “伝道者3章16節〜5章7節「神のかたちとして生きる」” の続きを読む
ルカ19章28〜48節「勝利への道」
2008年11月23日
福音自由の交わりでは政治見解を超えた一致を大切にしますから、これは政治の話ではありませんが、黒人を自称するオバマ氏がアメリカの大統領に選ばれたということは、マルティン・ルーサー・キング牧師が1963年8月28日のワシントン市のリンカーン記念堂において、「I have a dream」という有名な演説を行った、その「夢」の実現として見ることができるのではないでしょうか。 “ルカ19章28〜48節「勝利への道」” の続きを読む
エレミヤ14章1節〜17章18節「主に信頼する者への祝福と、主を捨てる者へののろい」
幸福は、「健康、良き配偶者、悔いのない生涯の仕事、確固たる人生観を持つこと」にあるとスイスの哲学者 が言っています。しかし、この四つを全て手に入れることができるのは、非常にまれではないでしょうか。 “エレミヤ14章1節〜17章18節「主に信頼する者への祝福と、主を捨てる者へののろい」” の続きを読む
伝道者1章1節〜2章11節「今、ここで味わうことができる平安」
2008年10月26日 “伝道者1章1節〜2章11節「今、ここで味わうことができる平安」” の続きを読む
エレミヤ10章〜13章「あなたがたの神、主 (ヤハウェ) に、栄光を帰せよ」
私たちは神を楽しみ喜ぶことができます。しかし、神を自分の目的達成の手段にすることは許されません。そこに偶像礼拝が始まるからです。私たちはこの世のものを「使用する」ことが許されていますが、その延長で、無意識にせよ、神を「使用する」ような発想になってはいないでしょうか。「楽しむ」ことと「使用する」ことの区別が大切です。ウエストミンスター大教理問答の最初では、「人間のおもな、最高の目的は何であるか」という問いに、「人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである」と答えるように教えられています。 “エレミヤ10章〜13章「あなたがたの神、主 (ヤハウェ) に、栄光を帰せよ」” の続きを読む
ルカ19章1〜27節「持っている者は、さらに与えられ……」
2008年10月12日
あなたは、教会で自分の信仰に劣等感を感じたことがないでしょうか。私は、「あの高額の所得を惜しみもせずに……」などと言われたことがありますが、実際には、神学校に入ったとき、感動的な献身の証しを聞きながら、「こんな不信仰な者が牧師になろうとして良いのか……」と深く悩んでいました。 “ルカ19章1〜27節「持っている者は、さらに与えられ……」” の続きを読む
箴言10章〜11章「主の祝福の中を大胆に生きる」
2008年9月24日
先週はエレミヤ書から、現実から遊離した理想や根拠のない楽観主義の危険を話しました。ただ、それが人生を悲観的に見ることにつながっては本末転倒です。今から百年ほど前のボーア戦争のとき、南アフリカのひとりの兵士が、「落胆させる罪」という罪名で起訴されたことがあるそうです。彼はある小さな町がイギリスの攻撃を受けていたとき、町を守る兵士たちの間に、あらゆる否定的な情報や不平不満を吹聴しました。彼はイギリス軍の強さばかりを一面的に語り、町が陥落するしかない理由をまくしたてて歩き、そのことばは、銃よりも強い武器となり、町を防衛する兵士たちの戦意を挫いてしまいました。否定的な言葉と落胆は、人を滅ぼす武器になります。しかし、肯定的な言葉と希望は、人を生かす武器になります(Durano Japan リビングライフ 9月号 p101、ただし事実関係の詳細は不明)。聖書の箴言には、真理を簡潔に言い表す言葉に満ちています。ただ、一見、脈絡のないと思われる表現が並び、互いに相矛盾すると思われる言葉もありますので、聖書全体から理解する必要があります。 “箴言10章〜11章「主の祝福の中を大胆に生きる」” の続きを読む
エレミヤ7章〜9章「悟りを得て主 (ヤハウェ) を知るとは?」
19世紀ドイツの哲学者 は、「人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続に他ならない……幸福な人生などというものは不可能である。 “エレミヤ7章〜9章「悟りを得て主 (ヤハウェ) を知るとは?」” の続きを読む
ルカ18章31〜43節「主の道の真ん中を歩む」
2008年9月14日
今から二百年近く前の米国でファニーという女の子が生まれましたが、ある感染症にかかったときの自称医者の誤った治療によって失明しました。母親はお金を貯めて五年後に有名な医者を尋ねますが、「かわいそうな女の子だね」とだけ言われ、すべての希望が失われました。 “ルカ18章31〜43節「主の道の真ん中を歩む」” の続きを読む