エレミヤ17章19節〜20章18節「陶器師の御手の中で」

2009年1月4日

人間の苦悩の源泉は、「災害と退屈」であると言われます(ショーペンハウアー「孤独と人生」P43)。「災害」は創造主なる神が支配しておられますが、「退屈」は私たち自身が向き合うべき問題です。イスラエルの民は約束の地に入って生活が安定したとたん、カナンの刺激的な宗教に走りました。そして、最終的に神の怒りを買って、国が滅びます。それがエレミヤ書のテーマです。それは現代の私たちの課題でもあります。退屈(倦怠感)から逃げ出そうとして、やってはならない刺激的な誘惑に手を出し、自分で苦しみを招いてしまうということがないでしょうか。 “エレミヤ17章19節〜20章18節「陶器師の御手の中で」” の続きを読む

ルカ2章21〜52節「待ち望むということ」

2008年12月28日

僕が17歳のとき、宇多田ヒカルの母、藤圭子が歌って大ヒットした曲があります。それは、「十五、十六、十七と、あたしの人生暗かった。過去はどんなに暗くても、夢は夜ひらく」という危ない内容です。夢は、日の光のもとで開かさなければなりません。もし、クリスチャンの「新生の証し」が、自分の過去を必要以上に暗く描きながら、自分ではない自分になろうとするものであるなら、同じように危ない生き方になることでしょう“ルカ2章21〜52節「待ち望むということ」” の続きを読む

ルカ1章57〜2章14節「人々の期待を超えた救い」

2008年12月21日

経済が予測不能な動きを見せています。たとえば原油先物取引価格ですが、一昨年末には50ドルだったものが今年の7月初めには147ドルの値を付け、その後半年間で四分の一の値に暴落し、先週はついに36ドル以下になっています。情報が瞬時に世界中で共有される時代になって集団心理的な動きが世界規模で加速されているのかも知れません。 “ルカ1章57〜2章14節「人々の期待を超えた救い」” の続きを読む

ルカ1章26〜56節「悲惨の中に見られる神の国」

2008年12月14日

私たちはクリスマスのたびごとに、「人々は苦しみの中で長い間、救い主を待ち続けていた。そして、イエスはこの世界を救う方として二千年前にベツレヘムにお生まれになった。」と語り合います。しかし、一体何が変わったのでしょう?世界は今も貧困と争いが続いています。サタンは「キリストは、暦の数え方以外の何も変えなかった」とささやき続けてはいないでしょうか。 “ルカ1章26〜56節「悲惨の中に見られる神の国」” の続きを読む

ルカ19章28〜48節「勝利への道」

2008年11月23日

福音自由の交わりでは政治見解を超えた一致を大切にしますから、これは政治の話ではありませんが、黒人を自称するオバマ氏がアメリカの大統領に選ばれたということは、マルティン・ルーサー・キング牧師が1963年8月28日のワシントン市のリンカーン記念堂において、「I have a dream」という有名な演説を行った、その「夢」の実現として見ることができるのではないでしょうか。 “ルカ19章28〜48節「勝利への道」” の続きを読む

エレミヤ14章1節〜17章18節「主に信頼する者への祝福と、主を捨てる者へののろい」

2008年11月2日

幸福は、「健康、良き配偶者、悔いのない生涯の仕事、確固たる人生観を持つこと」にあるとスイスの哲学者 が言っています。しかし、この四つを全て手に入れることができるのは、非常にまれではないでしょうか。 “エレミヤ14章1節〜17章18節「主に信頼する者への祝福と、主を捨てる者へののろい」” の続きを読む

エレミヤ10章〜13章「あなたがたの神、主 (ヤハウェ) に、栄光を帰せよ」

2008年10月16日

私たちは神を楽しみ喜ぶことができます。しかし、神を自分の目的達成の手段にすることは許されません。そこに偶像礼拝が始まるからです。私たちはこの世のものを「使用する」ことが許されていますが、その延長で、無意識にせよ、神を「使用する」ような発想になってはいないでしょうか。「楽しむ」ことと「使用する」ことの区別が大切です。ウエストミンスター大教理問答の最初では、「人間のおもな、最高の目的は何であるか」という問いに、「人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである」と答えるように教えられています。 “エレミヤ10章〜13章「あなたがたの神、主 (ヤハウェ) に、栄光を帰せよ」” の続きを読む