ピリピ2章1〜11節「神のかたちとしての生き方」

2015年12月20日

福音宣教が、「私は惨めな人間でした。そのとき、私は主イエスを見出しました」というパターンに偏りすぎてはいないかと批判されることがあります。確かに、惨めさを知れば知るほど、イエス・キリストの赦しが分かるという面があります。それで、自分の過去の傷や失敗を思い起こすことで、救いのすばらしさを理解しようとするのかもしれません。 “ピリピ2章1〜11節「神のかたちとしての生き方」” の続きを読む

エレミヤ29章〜31章「人の思いを超えた主の救いのご計画」

2015年12月13日

ユダヤ人は歴史上、何度も想像を絶する苦難に会ってきました。神がご自身を知らせるために選ばれた民が、なぜ・・・とも思います。しかし、苦難はすべて神の御手の中で起こったことで、それを通して新しい世界が開けてきたという現実も確かにあります。 “エレミヤ29章〜31章「人の思いを超えた主の救いのご計画」” の続きを読む

イザヤ7章〜9章7節「神が、私たちとともにおられる」

2015年12月6日

第二次大戦中のオランダで、コーリー・テン・ブーンは家族と協力してユダヤ人の隠れ家を提供しましたが、同胞に密告されて強制収容所に送られました。彼女は最初、独房に入れられ、地獄の恐怖を味わいました。拷問を受ける恐怖に圧倒され、彼女はそこで、「主よ。こんなことに耐えられるほど私は強くありません。私には信仰がありません」と叫びました。 “イザヤ7章〜9章7節「神が、私たちとともにおられる」” の続きを読む

ミカ4章〜6章「平和 (シャローム) をもたらす救い主」

2015年11月29日

人間の歴史は、それぞれの国が自分たちの理想とする平和を実現しようと争いを繰り返してきているのではなでしょうか。平和を求めるがゆえに争うという皮肉があります。大切なのは自分たちに都合の良い平和ではなく、創造主ご自身にとっての平和(シャローム)に憧れ、そのために生きることです。 “ミカ4章〜6章「平和 (シャローム) をもたらす救い主」” の続きを読む

レビ26章〜27章「もう、おびえなくてもよい」

2015年11月22日

ある方が、イエスを知る前の自分を「いつも何かにおびえていた……」と言っておられました。しかし、今は、自分の将来を心配する代わりに、人のため、教会のため世界のために、「悩み苦しむ余裕」が生まれています。そこに着実に愛の交わりが広がっています。 “レビ26章〜27章「もう、おびえなくてもよい」” の続きを読む

レビ24章〜25章「やり直しのきく人生」

2015年11月15日

残念ながら、日本は、失敗者に厳しい社会であると言われます。そのような中である方が、キリスト教会で礼拝する恵みを、「どの顔して出てこられるのかと言われる心配もなく、昨日までのことが無かったかのように、神の前に出ることができる」と表現しました。 “レビ24章〜25章「やり直しのきく人生」” の続きを読む

ヨハネ11章28〜46節「死に勝利した者として、死に向かう」

2015年11月8日

世界中では4秒に一人が餓死、1秒に1.8人、一年間に5,500万人が死んでいると言われます。そのような中で、たった一人のラザロの死とよみがえりには何の意味があるのでしょう。 “ヨハネ11章28〜46節「死に勝利した者として、死に向かう」” の続きを読む

ヨハネ11章1〜27節「わたしは、よみがえりです。いのちです」

2015年11月1日

2015年10月21日は、30年前に公開された映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の日として話題になりました。映画の中では、過去を変えてその未来に戻り、変えられた現代を喜ぶという話しですが、この発想と違ったback to the futureがあるように思います。それは、「新しい天と新しい地」が、すでに実現したかのように、つまり、未来の視点から現代を見直すということです。 “ヨハネ11章1〜27節「わたしは、よみがえりです。いのちです」” の続きを読む

レビ21章〜23章「人間の奴隷とならないために」

2015年10月18日

この世では、「時は金なり」と言われます。そして、自分の働きの結果ばかり気にすると、「休み」は最小限にすべきと思われます。しかし、このことばで有名になった米国独立の父と呼ばれるベンジャミン・フランクリンは、何よりも、規則正しい生活を大切にした人であり、際限なく働くことを勧めたわけではありません。 “レビ21章〜23章「人間の奴隷とならないために」” の続きを読む