私たちはみな小さい頃から、「この地で成功する」ようにと様々な訓練を受けています。そして、キリスト教会でも「弟子訓練」の大切さが説かれてきました。 “マタイ28章16〜20節他「イエスに倣い神のかたちで生かされ、祝福を分かち合う」” の続きを読む
ガラテヤ6章11〜16節「新しい創造をここで喜び、その完成を待ち望む」
英国の上流階級に生まれたフローレンス・ナイチンゲールは16歳の1837年2月7日に夏の別荘の庭で、神の召しを受けたことを、「God spoke to me and called me into His service」と日記に記しています。 “ガラテヤ6章11〜16節「新しい創造をここで喜び、その完成を待ち望む」” の続きを読む
Ⅰペテロ2章22〜25節、エペソ2章19〜22節「キリストの愛にやすらぎ、いやされ、成長する」
昨年の紅白歌合戦を見ていて、不思議に心に残った歌がありました。西野カナさんの「トリセツ」です。 “Ⅰペテロ2章22〜25節、エペソ2章19〜22節「キリストの愛にやすらぎ、いやされ、成長する」” の続きを読む
ローマ8章12〜30節「神の平和 (シャローム) をこの地で憧れ」
2016年1月1日
新年は希望を新たにするときです。しかし、主にある希望は、世界の痛みや悲しみに目を塞ぐことではなく、ともに「うめく」ことから生まれるものです。 “ローマ8章12〜30節「神の平和 (シャローム) をこの地で憧れ」” の続きを読む
ハバクク「神の真実に応答する者は生きる」
2015年12月27日
ハバクク書は多くの人に縁遠い箇所かもしれません。世界的なピアニストのイングリッド・フジ子ヘミングは無名だったとき聖路加病院でボランティアとして患者さんたちの前でピアノを演奏していました。その頃、ある教会で、預言者ハバククのみことばの小冊子をもらいます。その2章3節に、「たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない」と記されていました。 “ハバクク「神の真実に応答する者は生きる」” の続きを読む
ピリピ2章1〜11節「神のかたちとしての生き方」
福音宣教が、「私は惨めな人間でした。そのとき、私は主イエスを見出しました」というパターンに偏りすぎてはいないかと批判されることがあります。確かに、惨めさを知れば知るほど、イエス・キリストの赦しが分かるという面があります。それで、自分の過去の傷や失敗を思い起こすことで、救いのすばらしさを理解しようとするのかもしれません。 “ピリピ2章1〜11節「神のかたちとしての生き方」” の続きを読む
エレミヤ29章〜31章「人の思いを超えた主の救いのご計画」
ユダヤ人は歴史上、何度も想像を絶する苦難に会ってきました。神がご自身を知らせるために選ばれた民が、なぜ・・・とも思います。しかし、苦難はすべて神の御手の中で起こったことで、それを通して新しい世界が開けてきたという現実も確かにあります。 “エレミヤ29章〜31章「人の思いを超えた主の救いのご計画」” の続きを読む
イザヤ7章〜9章7節「神が、私たちとともにおられる」
第二次大戦中のオランダで、コーリー・テン・ブーンは家族と協力してユダヤ人の隠れ家を提供しましたが、同胞に密告されて強制収容所に送られました。彼女は最初、独房に入れられ、地獄の恐怖を味わいました。拷問を受ける恐怖に圧倒され、彼女はそこで、「主よ。こんなことに耐えられるほど私は強くありません。私には信仰がありません」と叫びました。 “イザヤ7章〜9章7節「神が、私たちとともにおられる」” の続きを読む
ミカ4章〜6章「平和 (シャローム) をもたらす救い主」
人間の歴史は、それぞれの国が自分たちの理想とする平和を実現しようと争いを繰り返してきているのではなでしょうか。平和を求めるがゆえに争うという皮肉があります。大切なのは自分たちに都合の良い平和ではなく、創造主ご自身にとっての平和(シャローム)に憧れ、そのために生きることです。 “ミカ4章〜6章「平和 (シャローム) をもたらす救い主」” の続きを読む
レビ26章〜27章「もう、おびえなくてもよい」
2015年11月22日
ある方が、イエスを知る前の自分を「いつも何かにおびえていた……」と言っておられました。しかし、今は、自分の将来を心配する代わりに、人のため、教会のため世界のために、「悩み苦しむ余裕」が生まれています。そこに着実に愛の交わりが広がっています。 “レビ26章〜27章「もう、おびえなくてもよい」” の続きを読む