ヨハネ21章1〜14節「新しい時代に生きる者として」

2017年9月24日

イエスの復活によって世界は新しい時代に入っています。「新しい創造(New Creation)](ガラテヤ6:15)はすでに始まっています。しかし、多くのキリスト者は、古い生き方に縛られ、新しい時代の生き方に適応しきれていないのかもしれません。 “ヨハネ21章1〜14節「新しい時代に生きる者として」” の続きを読む

Ⅱコリント3章1〜18節「キリストの手紙として」

2017年9月17日

ヘンリ・ナウエンは自己嫌悪の危険性について次のように語っています。「人生の最大の罠は、成功でも、名声でも、権力でもなく、自分を嫌悪することです。成功や名声や権力は、実際、大きな誘惑をもたらします。しかし、それらに人が魅了されるのは、自己を嫌悪するという、もっと大きな誘惑から出ていることが多いのです。 “Ⅱコリント3章1〜18節「キリストの手紙として」” の続きを読む

Ⅰサムエル13章〜15章「人の顔色を気にしたサウルの悲劇」

2017年9月10日

日本では「その場の空気を読む」ことが、社会での成功の秘訣とも言われます。しかし、空気は一夜にして変わります。大戦前に鬼畜米英と言っていた世論は、米国への感謝へと変わりました。 “Ⅰサムエル13章〜15章「人の顔色を気にしたサウルの悲劇」” の続きを読む

Ⅰサムエル8章〜12章「主(ヤハウェ)こそが王である」

2017年9月3日

核兵器の拡散に対して私たちは誰もが反対することでしょう。しかし、米国やロシアや中国に保有が認められて、他の国がそれに対抗しようとすると、それは一方的な悪であるかのように非難されるというのも不合理とも言えましょう。ただ、そこで問われているのは、すでに核兵器という悪が存在している中で、どのようにそれを制御し得るかという知恵です。そこで問われるのは、今ここでの判断と共に、永遠の平和を求めるという動機です。 “Ⅰサムエル8章〜12章「主(ヤハウェ)こそが王である」” の続きを読む

Ⅰサムエル4章〜7章「礼拝の場を壊して礼拝を建て上げる神」

2017年8月20日

どの宗教にも荘厳な儀式がつきものです。ただ、そこで語られている言葉が普通の人には理解できないということが不思議です。

たとえば、仏教の最も有名な経典の般若心経では、「色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是」と唱和されます。そこでは、形あるもの全ては実体がなく、実体がないものが形を持っており、それは人の感覚、想像、行動、認識の全てに当てはまることであり、そのように移ろい行くものへの囚われから心が自由にされるなら、毎日を平安のうちに暮らすことができるという、生活の知恵のことばです。 “Ⅰサムエル4章〜7章「礼拝の場を壊して礼拝を建て上げる神」” の続きを読む

ヨハネ20章19〜31節「信じない者を信じる者に変えて遣わしてくださるイエス」

2017年8月13日

昔、こんな話を聞きました。映画「ベンハー」の小説の原作者は、キリストの復活を否定する文書を書こうとして当時の状況を徹底的に調べた結果、反対に、キリストの復活を証拠立てる様々な事実に圧倒されて、キリストの物語を書くようになった……と。 “ヨハネ20章19〜31節「信じない者を信じる者に変えて遣わしてくださるイエス」” の続きを読む

Ⅰサムエル1章〜3章「悩みから生まれた驚くべき救い」

2017年8月6日

多くの人は、自分の心の平安(シャローム)を求めて、信仰に入ると言われます。それは、自分の回りに何が起きても、動じないように自分の心を制することができる方法とも言えましょう。 “Ⅰサムエル1章〜3章「悩みから生まれた驚くべき救い」” の続きを読む

ルツ「のろわれた民の娘から祝福された王家の母へ」

2017年7月23日

多くの人は、何かの「渇き」に駆り立てられているかのように生きています。すべての人の心の底にある「渇き」とは何でしょう。

それを箴言19章22節は、「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」と述べています。「変わらぬ愛」とは、ヘブル語のヘセドで、「誠実」とか「真実」とも訳すことができます。 “ルツ「のろわれた民の娘から祝福された王家の母へ」” の続きを読む

ヨハネ20章1〜18節「イエスのために泣き続けたマリヤへの祝福」

2017年7月16日

現代はポスト・モダンの時代と言われ、合理性重視の陰で人の心情が軽んじられてきたことへの反省が起きています。17世紀のパスカルは、「心情は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている」(パンセ277)との名言を吐きました。 “ヨハネ20章1〜18節「イエスのために泣き続けたマリヤへの祝福」” の続きを読む

ヨハネ19章31〜42節「十字架から湧き出るいのちの泉」

2017年7月9日

私たちはみな人知れず傷つけられ、その傷跡から別の人を傷つける言動が生まれます。この世界を暗くしているのは、この罪の連鎖です。

しかし、イエスが十字架で、どのように血を流され、その傷跡から何が生まれたのか、を思い巡らすことを通して、そこに解決の鍵を見出すことができます。 “ヨハネ19章31〜42節「十字架から湧き出るいのちの泉」” の続きを読む