Ⅱ列王記20章〜23章「主の激しい怒りとイエスにある救い」

2018年11月25日

この世で言われる「悔い改め」とは、自分の罪を反省して、心を入れ替え、行いを改めることです。しかし、人間的な道徳教育で人の心を変えられるぐらいなら、神の御子が十字架にかかる必要などなかったのではないでしょうか。 “Ⅱ列王記20章〜23章「主の激しい怒りとイエスにある救い」” の続きを読む

Ⅱ列王記17章〜19章「逃げでも蛮勇でもない、祈りによる勝利」

2018年11月18日

恐ろしい相手に直面した時、すぐ「逃げ」の姿勢に入る人と、自分の恐怖感情を押し殺しながら「蛮勇」を奮おうとする人がいます。しかし、「恐れ」は神が与えてくださった大切な感覚です。心に沸き起こる様々な感情を優しく受け止めながら、それを神に打ち明けることこそ信仰者の態度ではないでしょうか。 “Ⅱ列王記17章〜19章「逃げでも蛮勇でもない、祈りによる勝利」” の続きを読む

ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」

2018年11月11日

私たちの教会のヴィジョンは、「新しい創造をここで喜び、シャロームを待ち望む」とされています。そして英語のロゴマークが「New Creation : hope for the Shalom」と記されています。Creationの真ん中のが♰と、十字架を示唆しますが、イエスの十字架と復活によって「新しい創造」がすでに始まっています。 “ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」” の続きを読む

ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」

2018年11月4日

「『死』とは何か」という380ページを超える本が売れています。それも原書を半分近くに縮刷したもので、その前半では「魂」の存在が形而上学的に否定されているようです。しかし聖書は、「魂が肉体の束縛から解放されて天国で憩う……」との希望を語っているのでしょうか?それどころかヘブル書では、肉体を持つ人間が、霊的な存在である御使いたちに優っている面があるということが強調されます。 “ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」” の続きを読む

Ⅱ列王記14章〜16章「神の子としての謙遜と誇りに生きる」

2018年10月28日

多くの人は、成功すると傲慢になり、失敗すると卑屈になります。傲慢から人を人とも思わない傍若無人が、卑屈から被害者意識にとらわれた自己憐憫が生まれます。どちらも愛の交わりを壊すものです。傲慢な人の前では息がつまります。そればかりか、危なくて仕事を任せることはできません。しかし、一方で、誇りを忘れた卑屈な人間はどこかで人を裏切るような気がします。 “Ⅱ列王記14章〜16章「神の子としての謙遜と誇りに生きる」” の続きを読む

Ⅰテモテ1章18節〜2章7節「すべての人の救いを望む神」

2018年10月21日

福音自由教会の信仰告白には、極めて保守的で排他的に見える部分と、非常に幅の広い自由なところがあります。聖書を誤りのない神のことばと信じることは、この世の価値観と衝突することがありますが、私たちは安易な妥協はしません。 “Ⅰテモテ1章18節〜2章7節「すべての人の救いを望む神」” の続きを読む

Ⅱ列王記11章〜13章「主(ヤハウェ)の真実に信頼せよ」

2018年10月14日

今、ディボーション誌Mannaで詩篇の解説を書き続けています。ちょうど115篇まで書いてきてそれに感動しています。

「主(ヤハウェ)に信頼せよ」(115:9)ということばは、「主(ヤハウェ)に期待せよ」と訳すこともできます。詩篇全体を通して、神が私たちの歩みを真実に導いていてくださることが歌われています。 “Ⅱ列王記11章〜13章「主(ヤハウェ)の真実に信頼せよ」” の続きを読む

ヘブル2章1〜9節「こんなにすばらしい救いーAmazing Grace」

2018年10月7日

「奴隷商人から神の僕に」という物語が「百万人の福音」に連載され、91歳の母がそれを楽しみに読んでいます。「母が読んでいるのに、僕が読まないわけには……」と21回目になってから遡って読みだしました。私たちはだれも、自分の信仰心によって神を求めたのではなく、神が私たちを求めてくれた結果、霊の目が開かれて行きます。 “ヘブル2章1〜9節「こんなにすばらしい救いーAmazing Grace」” の続きを読む

ヘブル1章「王なる支配者としての御子」

2018年9月30日

あなたは、イエスの十字架をどのように描くでしょう?普通に考えるなら、イエスほど哀れな犠牲者はいません。何の罪を犯さなかった愛に満ちた人が、無実の罪で、当時もっとも忌まわしい十字架刑に処せられたというのですから……イエスはまさに悲劇の主人公です。 “ヘブル1章「王なる支配者としての御子」” の続きを読む

Ⅱ列王記6章24節〜10章36節「これは、主(ヤハウェ)が語られたことばのとおりだ」

2018年9月23日

旧約で不思議なのは、神がこの世の権力闘争を裏から操り、権力者をさばくために別の権力者を立てるかのように説明されていることです。それら一つひとつに、「(ヤハウェ)が語られたことばのとおり」とまとめることができます。 “Ⅱ列王記6章24節〜10章36節「これは、主(ヤハウェ)が語られたことばのとおりだ」” の続きを読む