「心が傷つく」とは自分が無価値な者と見られること、つまり「恥」の意識から生まれます。ただ、ときにそれはキリストにあるアイデンティティーが確立していない結果と見られ、信仰の未熟さの現われとして「傷ついてしまう」と評価されることがあります。しかし、それこそ人の感性に対する暴力かもしれません。 “詩篇71篇「神の義の現われとしての救い」” の続きを読む
マタイ18章10〜20節「目の前の一人にどのように向き合うのか」
私たちは日々、新型コロナの感染者数の記録更新とオリンピックのメダリストの物語の両方に一喜一憂しています。どれほどオリンピック開催に反対していた人でも、メダルを獲得した人の物語に感動し、喜ぶことができます。それは「神のかたち」に創造された人間の心の目が、統計数字よりも一人ひとりの人生に目が向かうものだからです。 “マタイ18章10〜20節「目の前の一人にどのように向き合うのか」” の続きを読む
詩篇40篇「巻物の書に私のことが書いてあります」
イエスの救いの物語が旧約聖書の中に記されていますが、それは同時に、私たちのこの地での働きの可能性が記されていることでもあります。キリスト者に与えられた「罪の赦し」は驚くべき恵みではありますが、神に仕える生き方の出発点に過ぎません。 “詩篇40篇「巻物の書に私のことが書いてあります」” の続きを読む
詩篇46篇、エレミヤ29章10〜14節「わたしはあなたがたの繁栄を回復する」
「困難(試練)の中で教えられること—3.11から10年、コロナ禍の中で」というテーマで考えさせられていることがあります。
多くの信仰者は、このようなわざわいの中に神からのメッセージを汲み取ろうとします。それは人間の傲慢さに対する創造主からの最後の審判の前触れとしての罰であるとか、人間が神のあわれみなしには一瞬たりとも生きていられないことを教えるための神の招きであるとか、今、人々が不安を味わっているときこそ福音宣教のチャンスであるとか、これらすべては間違っていないと思います。 “詩篇46篇、エレミヤ29章10〜14節「わたしはあなたがたの繁栄を回復する」” の続きを読む
創世記41章41〜52節「今ここに生きる」(下村明矢先生)
2021年7月11日
マタイ17章22節~18章9節「人をつまずかせる者とは?」
しばしば信仰者は、「この社会で尊敬されることが、証しになる」と誤解します。そして、反対に、人々から軽蔑されると、「人をつまずかせてしまった」と、さらに自分を責めてしまい、「私のような者がクリスチャンであるとわかると、みんなのつまずきとなる」とまで思う人がいます。 “マタイ17章22節~18章9節「人をつまずかせる者とは?」” の続きを読む
ヨブ記全体の振り返り「再創造への産みの苦しみ」
ある牧師会で、ヨブと三人の友人たちのやり取りの核心部分を紹介し、「先生方は、苦しんでいる人に向かって、ヨブの友人たちと同じことを言ったことがありませんか?」とお聞きしました。すると、ほぼすべての牧師が、「思い当たることがあり、反省しています」と言ってくださいました。 “ヨブ記全体の振り返り「再創造への産みの苦しみ」” の続きを読む
マタイ17章14〜21節「山をも動かす信仰とは?」
人は誰しも毎日を楽しく、気力にあふれて目の前の課題に取り組みながら、「生きていて良かった!」という感動を味わいたいと思っています。書店ではそのための様々な方法 (How to) を書いた本が平積みにされていますが、すべてがそれで解決できるなら、神を求める必要などなくなってしまうことでしょう。 “マタイ17章14〜21節「山をも動かす信仰とは?」” の続きを読む
ヨブ記40章15節〜42章「あなたにはすべてが可能なことを私は知りました」
私たちはヨブが不当な苦しみに会った理由を最初に知らされています。それは、主 (ヤハウェ) がサタンに、「彼(ヨブ)のように誠実(完全)で、まっすぐで、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない」(1:8) と言われたことに、サタンが「ヨブは理由もなく神を恐れているでしょうか」(1:9) と答えたことに始まります。サタンは、神がヨブに特別な恵みを施しているからこそ、「神を恐れている」に過ぎないと言ったのです。 “ヨブ記40章15節〜42章「あなたにはすべてが可能なことを私は知りました」” の続きを読む
マタイ17章1〜13節「イエスを変容させた光の中を歩む」
人はこの地の歩みの中で必然的に自分の醜さを示されます。しかし、「あなたの光のうちに 私たちは光を見る」(詩篇36:9) と記されるように、私たちの罪を照らし出す光のうちに、私たちを変容させるキリストの光を見ることができます。 “マタイ17章1〜13節「イエスを変容させた光の中を歩む」” の続きを読む