多くの宗教は「地獄と極楽」という死後のさばきから信心の大切さを説いて来ました。それがキリスト教世界では、「多くの人々は自分の罪によって、地獄行きが決まっている。しかし、イエス様を信じる者は天国に行かせてもらえる」という形で語られました。 “マタイ21章23〜32節「取税人や遊女が先に神の国に入る」” の続きを読む
ネヘミヤ5章1節〜7章4節「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」
武田信玄が国をまとめた理念をもとにした民謡で、「人は石垣、人は城、情けは味方、仇(恨み)は敵」と歌われます。信玄は強固な城を築くよりも家臣たちとの心の繋がりこそが最大の防御になると信じました。なお徳川家康は信玄に敗北することを通してそれらの原則を学び、それが徳川幕府の長期政権へと結びつきます。 “ネヘミヤ5章1節〜7章4節「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」” の続きを読む
マタイ21章17〜22節「神のさばきから生まれる平和」
イエスはエルサレム神殿を指して「あらゆる民の祈りの家」と呼ばれましたが、それと同時に、神殿の崩壊を告げました。それから40年もたたない紀元70年に、地上のエルサレム神殿は廃墟とされ、今に至っています。そして「あらゆる民の祈りの家」としての教会が全世界に広がっています。 “マタイ21章17〜22節「神のさばきから生まれる平和」” の続きを読む
ネヘミヤ3、4章「一気呵成に進められた城壁再建」
聖書では、安息日の教えから始まって季節ごとの様々な祭りなど、休むことが神の前での義務とされている日々が驚くほど多くあります。長い人生を短距離走のように走り抜けようとすると、自分の身にも周りにも様々な害を及ぼします。 “ネヘミヤ3、4章「一気呵成に進められた城壁再建」” の続きを読む
マタイ21章12〜17節「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」
主が私たちの教会に与えられた ヴィジョン は週報の右上に記されています。ただ、教会形成の上でもっと分かり易い指針があった方が良いという意見もあります。その参考になるのが今回の箇所です。 “マタイ21章12〜17節「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」” の続きを読む
ネヘミヤ1、2章「神の恵みの御手が働くとき」
私たちの人生は、なかなか思い通りには進みません。そのような中で、多くの信仰者は、伝道者の書の3章に、「すべてには季節があり、天の下のすべての営みには時がある……崩すのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、笑うのに時がある……求めるのに時があり、失うのに時がある……黙るのに時があり、話すのに時がある……私は見た……神がすべてをご自身の時に美しくしておられるのを(新改訳「神のなさることはすべて時にかなって美しい」)と記されていることに慰めを見出しています。 “ネヘミヤ1、2章「神の恵みの御手が働くとき」” の続きを読む
詩篇145篇「神のご支配を感謝しつつ生きる」
幼稚科の暗唱聖句にこの詩篇の17–19節、「主 (ヤハウェ) はご自分のすべての道において正しく そのすべてのみわざにおいて恵み深い方。 主を呼び求める者すべて まことをもって主を呼び求める者すべてに 主 (ヤハウェ) は近くあられます。また 主を恐れる者の願いをかなえ 彼らの叫びを聞いて 救われます」を選びました。 “詩篇145篇「神のご支配を感謝しつつ生きる」” の続きを読む
詩篇91篇「疫病の恐怖の中であなたを用いる神」
詩篇91篇の大きなテーマの一つは「疫病」からの救いですが、これは多くの英語訳では Pestilence と記され、歴史上の最も恐れられた感染症の「ペスト」を指しています。 “詩篇91篇「疫病の恐怖の中であなたを用いる神」” の続きを読む
マタイによる福音書1章「ダビデの子としての救い主の誕生」
新約聖書の最初が一見、無味乾燥にも思えるイスラエルの系図から始まっています。しかしそれは主 (ヤハウェ) がイスラエル王国のダビデ王に、「あなたの家とあなたの王国は。あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(Ⅱサムエル7:16) と約束されたことの成就を意味します。 “マタイによる福音書1章「ダビデの子としての救い主の誕生」” の続きを読む
ヨハネ1章14節「この方を受け入れた人々に与えられた特権」
ナチスドイツの虐殺収容所アウシュビッツを生き残ったユダヤ教のラビに、ある人が、「あなたはあれほどの残虐を見過ごしておられる神を、まだ信じられるのですか?」と聞いたそうです。するとそのラビは、悲しそうな顔をしながら、静かに一言、「あれほどの悲惨がこの世界にあるのに、あなたは神を信じずに、どうして生きていられるのですか?」と反対に問われたとのことです。 “ヨハネ1章14節「この方を受け入れた人々に与えられた特権」” の続きを読む