キリスト教会では、時に、神のさばきを語り、罪の自覚を強く促した上で、十字架による赦しの喜びを告げようとしますが、それは人を委縮させる方向に働く場合があります。しかも、恐怖心によって人を支配するのは、人を奴隷状態に留めることに他なりません。 “ネヘミヤ9、10章「神の真実を思い起こす」” の続きを読む
ヨハネ3章12〜21節「神が愛された世を照らす光とされて」(寺村幸雄神学生)
2022年3月13日(音声のみ)
マタイ21章33〜46節「捨てられた要(かなめ)の石の上に建てられる」
すべての国は、内側から滅びると言われます。日本が第二次大戦を始めた無謀さも確かに問題なのですが、誰も目にも敗北が明らかになりながら、戦争を終結させる指導力が日本の政治になかったということが、東京大空襲ばかりか二度の原爆投下を招いた原因とも言えましょう。 “マタイ21章33〜46節「捨てられた要(かなめ)の石の上に建てられる」” の続きを読む
ネヘミヤ7、8章「主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力です」
1929年の世界大恐慌の直後に米国の大統領に選ばれたフランクリン・ルーズベルトは、その就任演説で、「私たちが唯一恐れるべきは、恐れそれ自体である。それは名づけようもない、不合理な、正当化できない恐れであり、それが前に進むために必要な努力を麻痺させてしまう」と語りました。 “ネヘミヤ7、8章「主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力です」” の続きを読む
マタイ21章23〜32節「取税人や遊女が先に神の国に入る」
多くの宗教は「地獄と極楽」という死後のさばきから信心の大切さを説いて来ました。それがキリスト教世界では、「多くの人々は自分の罪によって、地獄行きが決まっている。しかし、イエス様を信じる者は天国に行かせてもらえる」という形で語られました。 “マタイ21章23〜32節「取税人や遊女が先に神の国に入る」” の続きを読む
ネヘミヤ5章1節〜7章4節「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」
武田信玄が国をまとめた理念をもとにした民謡で、「人は石垣、人は城、情けは味方、仇(恨み)は敵」と歌われます。信玄は強固な城を築くよりも家臣たちとの心の繋がりこそが最大の防御になると信じました。なお徳川家康は信玄に敗北することを通してそれらの原則を学び、それが徳川幕府の長期政権へと結びつきます。 “ネヘミヤ5章1節〜7章4節「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」” の続きを読む
マタイ21章17〜22節「神のさばきから生まれる平和」
イエスはエルサレム神殿を指して「あらゆる民の祈りの家」と呼ばれましたが、それと同時に、神殿の崩壊を告げました。それから40年もたたない紀元70年に、地上のエルサレム神殿は廃墟とされ、今に至っています。そして「あらゆる民の祈りの家」としての教会が全世界に広がっています。 “マタイ21章17〜22節「神のさばきから生まれる平和」” の続きを読む
ネヘミヤ3、4章「一気呵成に進められた城壁再建」
聖書では、安息日の教えから始まって季節ごとの様々な祭りなど、休むことが神の前での義務とされている日々が驚くほど多くあります。長い人生を短距離走のように走り抜けようとすると、自分の身にも周りにも様々な害を及ぼします。 “ネヘミヤ3、4章「一気呵成に進められた城壁再建」” の続きを読む
マタイ21章12〜17節「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」
主が私たちの教会に与えられた ヴィジョン は週報の右上に記されています。ただ、教会形成の上でもっと分かり易い指針があった方が良いという意見もあります。その参考になるのが今回の箇所です。 “マタイ21章12〜17節「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」” の続きを読む
ネヘミヤ1、2章「神の恵みの御手が働くとき」
私たちの人生は、なかなか思い通りには進みません。そのような中で、多くの信仰者は、伝道者の書の3章に、「すべてには季節があり、天の下のすべての営みには時がある……崩すのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、笑うのに時がある……求めるのに時があり、失うのに時がある……黙るのに時があり、話すのに時がある……私は見た……神がすべてをご自身の時に美しくしておられるのを(新改訳「神のなさることはすべて時にかなって美しい」)と記されていることに慰めを見出しています。 “ネヘミヤ1、2章「神の恵みの御手が働くとき」” の続きを読む