ニューヨークの国際連合本部の広場に「イザヤの壁」というモニュメントとがあり、2章4節の「彼らはその剣を鋤(すき)に、その槍(やり)を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない」という聖句が大きく刻まれています。まさにイザヤ書は世界平和を覚える際の鍵の書です。 “イザヤ1~4章「さあ、私たちも主 (ヤハウェ) の光のうちを歩もう」 ” の続きを読む
マタイ24章42〜51節「忠実で賢いしもべ」と「悪いしもべ」
今日の詩篇交読文は、「彼らはわたしの安息に入ることはない」(95:11) という神のさばきで終わっていますが、これはヘブル人への手紙で繰り返し引用される詩篇です。ただそこでは同時に、「今日 もし御声を聞くなら あなたがたの心を頑(かたく)なにしてはならない」ということばも繰り返されています。 “マタイ24章42〜51節「忠実で賢いしもべ」と「悪いしもべ」 ” の続きを読む
箴言31章「麗しさは偽り、美しさは空しい」
「人はうわべを見るが、主 (ヤハウェ) は心を見る」(Ⅰサムエル16:7) と記されますが、この世界の指導者たちにとって「うわべ」を整えることは大変重要です。「人はうわべを見る」という冷徹な事実を軽視すると、人々の尊敬を得ることはできません。 “箴言31章「麗しさは偽り、美しさは空しい」” の続きを読む
マルコ1章14〜20節「弟子となる。弟子とされる。」(寺村幸雄神学生)
2022年8月28日(音声のみ)
マタイ24章36〜44節「人の子の到来はさばきと救いのとき」
福音自由の信仰箇条の11条では、「主イエス・キリストご自身による……再臨」を「祝福に満ちた望み」(テトス2:13) と定義し、「信者の個人的生活と信仰に重大な意義を持つ」と解説しています。 “マタイ24章36〜44節「人の子の到来はさばきと救いのとき」” の続きを読む
箴言30章「知るべきことを知らず、欲望と怒りを制御できない危なさ」
77年前の米国による二つの原爆の投下は、決して許すことのできない暴挙ですが、そのころソ連のスターリンは北海道占領計画を立てていたということが明らかにされています。「原爆がソ連の侵攻を阻んだ……」と言われると、本当に複雑なやるせない気持ちになります。 “箴言30章「知るべきことを知らず、欲望と怒りを制御できない危なさ」” の続きを読む
マタイ24章23〜35節「人の子の栄光の現れ」
残念ながら多くの方々は旧約聖書のイスラエルのという国の大枠の物語を理解しないまま、「イエスが救い主である」と理解しようとしますが、それでは「救い」の意味は理解できません。そこでは、個人というよりも社会全体の「救い」が課題になっています。 “マタイ24章23〜35節「人の子の栄光の現れ」” の続きを読む
箴言29章「幻とみおしえ(律法)が与えられる幸い」
箴言のことばはクリスチャンとして生きる際の「常識」のような規範を教えてくれます。ただ、簡潔さを大切にする詩文なので、私たちの感性の現実に合わない、誤解も生まれやすい表現があります。しかし、神の民としての「王道」を示すという意味で、いつも味わうべきことばと言えましょう。 “箴言29章「幻とみおしえ(律法)が与えられる幸い」” の続きを読む
マタイ24章9〜22節「愛が冷える中での愛の種蒔き」
イエスは世の終わりについての預言を語りますが、それは当時の政治状況を背景にしています。たとえば紀元37年にローマ帝国第三代皇帝としてガイオス・カリグラが即位しますが、彼は自分が神として称えられることを望み、ついにはエルサレム神殿の中に自分の像を建てさせようと、ペテローニオスを将軍とする軍隊を派遣します。 “マタイ24章9〜22節「愛が冷える中での愛の種蒔き」” の続きを読む
民数記16章1〜11節「自分の立場に不満を覚える時」
2022年7月17日 早坂恭先生(東村山福音自由教会牧師)