Ⅰサムエル8章〜12章「主(ヤハウェ)こそが王である」

2017年9月3日

核兵器の拡散に対して私たちは誰もが反対することでしょう。しかし、米国やロシアや中国に保有が認められて、他の国がそれに対抗しようとすると、それは一方的な悪であるかのように非難されるというのも不合理とも言えましょう。ただ、そこで問われているのは、すでに核兵器という悪が存在している中で、どのようにそれを制御し得るかという知恵です。そこで問われるのは、今ここでの判断と共に、永遠の平和を求めるという動機です。

すでに目の前に根本的な悪が存在している時に、それへの対応はどちらを選んでも別の問題を生み出します。敢えて言うと、どちらかが絶対正しいと主張することが新たな問題を生み出します。歴史上の独裁者はみな、自分こそ良い国を作ると自負していました。しかし、それが故に、他の意見を権力で押しつぶし、より恐ろしい悪を生み出してきたのです。

目の前の選択以前に、私たちの心の動機が問われています。神は全地の真の支配者であられ、あなたの誠実な行いを神は決して無駄にはされません。政治的判断以前に、目の前の問題に私たちがどう向き合うかが問われています。

イスラエルが主に従い続けていたなら、約束の地に入ってすぐ平和と繁栄を享受できたはずでしたが、彼らはそれに失敗し、目の前には異民族の脅威と貧困ばかりです。彼らは、場当たり的な解決をはかることしか頭になくなり、自分たちがどこから落ちたかを振り返る余裕がなくなっていました。

実は、私たちのすべての問題は、「自分を神とし、王とする」という、神を忘れた生き方から始まっているのです。

1.「ほかのすべての国民と同じように、私たちをさばく王を立ててください。」

「サムエルの生きている間、主 (ヤハウェ) の手がペリシテ人を防いで」(7:13) いましたが、「年老いたとき」(8:1)、後継者のことが心配になりました。彼はふたりの息子を「さばきつかさ」としました。それは申命記17:8-13に記されていた中央裁判所のような機能です。

申命記12章では、約束の地での礼拝の場は、契約の箱が置かれた唯一の中央聖所に限るべきと記され、本来はそれと合わさって神の民の一致が守られるはずでした。しかし、祭司エリの家が主に裁かれ、聖所が破壊されて以来、主はサムエルを通して、まず主のみことばを聴くという原点に立ち返らせ、中央での幕屋礼拝が停止されていました。

ところが、サムエルの息子たちは「わいろを取り、さばきを曲げて」(8:3) いたというのです。つまり、イスラエルは既にあるべき姿から外れている中でどのように神の民としての一致を保つことができるかが問われています。サムエルは、祭司エリが自分の息子たちを厳しく躾けることに失敗して、その家が神のさばきを受けたことを目の当たりに見ていたはずなのに、同じ問題を抱えてしまいました。

それでもエリの時代には神の幕屋での礼拝が機能していましたが、契約の箱を中心とした礼拝が中断した今、民の一致は、サムエルという一人の人にかかっていました。まさに後継者問題が最大の課題となったのです。

ただそこで民の長老たちは、原点に立ち返って、主にすがり、主に解決を求める代わりに、対症療法的に、「ほかのすべての国民と同じように、私たちをさばく王を立ててください」(8:5) と願います。「そのことばはサムエルの気に入らなかった」のですが、「そこでサムエルは主に祈った」と記されます (8:6)。

それに対し、主は意外にも彼に、「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ」と命じつつ、「この民は、あなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのだ」(8:7) と言います。この後半は、「わたしが彼らの王であるということを退けたのだ」と訳すことができます。それは、「主 (ヤハウェ) は王である」(詩篇99:1) というイスラエルの神制政治の根本に反することとも思われます。

目に見える地上の王の権力は、外敵から国民を守り、土地の所有権を保証するということによって成り立ちますが、それをしておられたのは、真の王である主 (ヤハウェ) ご自身であられたという事実を彼らは否定したのです。

ところで、士師記には「その頃イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」(17:6,21:25) と、王の必要も示唆されていました。確かにモーセの教えが守られていたら、神の民の一致が守られて、周辺の偶像礼拝の民を恐れる必要がなかったはずでしたが、彼らは今、敵に囲まれ、戦いを導く地上的な王を必要とする事態にまで落ちていました。

しかも、主は、それを予測した上で、申命記17:14-20で、王制に関する教えを述べています。つまり、イスラエルの王制は、本来の主のみこころから外れたものであるとともに、主ご自身が、民のかたくなさのゆえに容認せざるを得ない可能性と見ておられたことでもあるのです。

しかも、エゼキエル48章では、終わりの日のイスラエルの十二部族への土地の分配が預言されますが、その中央の神殿の敷地の両脇には、「君主の所有地」が指定されています(21、22節)。ただ、君主への土地の分配は主ご自身によって定められ、王は神殿の内庭に入ることさえ禁じられ、王権は主 (ヤハウェ) のご支配に徹底的に服従するようにと定められていました。

その意味で、主のご支配のもとでの制限された王制は、主のみこころのうちにありました。聖書からすると、民主主義か王制という問いかけよりも、「主 (ヤハウェ) こそが、この地の真の王である」という現実を認めているかどうかが、私たちに問われていると言えましょう。

主のみこころは、この地上の白黒の判断を越えたところにあります。私たちも日々の生活の中で二者択一的な判断が求められることがありますが、多くの場合、最悪の事態が既に起こっている中で、目に見える理想をこの地に実現しようと焦る前に、私たちの中で、どなたが王とされているかが問われています。

敢えて言うならば、北朝鮮に対する対応を巡って熱く議論する以前に、「あなたは主 (ヤハウェ) を全身全霊で愛しているか」という一点が問われます。

ここで主はサムエルに、「今、彼らの声を聞け。ただし、彼らに厳しく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ」(8:9) と語ります。11節と同様に「王の権利」と訳された言葉は、「王の支配(さばき)」と訳すべきでしょう。これは神が王に認めた権威ではなく、彼らが願った「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王」の「さばき(支配)」の厳しい現実を知らせるものでした。

その支配とは、王が自分の支配権を確立するために民衆の中から兵を徴集するばかりか、王家の耕地を耕させ、武器を作らせ、娘たちを王家の奴隷のように使い、神が分け与えた土地を取り上げ、自分に従う家来に分け与えるというものです。

どこにおいても、王権は土地の所有権の保証と、王のために戦うという軍務が一体となっていましたが、同じ原理が神の民にも起こるというのです。民はその警告を聞いてもなお、「ほかのすべての国民のように……王が私たちをさばき、王が……先に立って出陣し……戦ってくれる」ことを願いました (8:20)。

しかし、それはイスラエルに恵みとして与えられた「神の国」の原則を根本から揺るがすことになります。その国は、すべての民が主の前に平等になる愛の共同体のはずでした。

たとえば、主は七年毎に同胞の負債を免除し、奴隷になっていた同胞を自由人とするように命じられていました (申命記15:1、12)。そればかりか、その七年の七倍の五十年毎のヨベル年には、「国中のすべての住民に解放を宣言し」、この借金の免除と奴隷解放を徹底することに加えて、原初の割り当て地に戻させました (レビ25:10)。

これは自由な経済活動を保証しながら、そこから生まれる貧富の格差を定期的に是正し、階級の固定化を避けるという驚くべき知恵です。それは、しばしば相反する自由と平等の間に折り合いをつけるという神の知恵でした。

今も、経済活動の自由と、貧富の格差拡大や社会階級の固定化は大きな課題です。しかし、それに対する解決策が三千数百年前に神から提示されていたにも関わらず、イスラエルはその恵みの教えを捨て、この世のすべての王国と同じ政治形態を望んでしまったのです。

あなたも主が与えてくださる最高のものを待つことができないで、目の前の問題を急いで取り除くことばかりに熱くなってはいないでしょうか?しかし、急速な力による解決は、より大きな悪を招き入れる危険に満ちているのです。

2.弱小民族ベニヤミンの中のまだ小さな家からサウルを王に立てる

主は、民の願いを聞き入れ、サムエルを用いて王を立てます。ただし、この選択は誰の目にも意外なもので、主は、一度は絶滅しかかった弱小部族のベニヤミン(士師19-21章) から、無名の若者であるサウルを選びます。

それにしても9章2節のサウルの描写は印象的で、「彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民の誰よりも、肩から上だけ高かった」と描かれています。「美しい」と訳されていることばは、ごく一般的な「良い」を意味する言葉で、単純に「いい男」、英語ではハンサムと訳されることばです。この見かけの良さが、彼自身の魅力と同時に落とし穴となります。

サウルはあるとき父の命令で、いなくなった「雌ろば」を捜しに出かけます。捜しあぐねた彼はしもべの勧めで、「神の人」(9:6) また「予見者」(9:9) と呼ばれるサムエルを訪ねることにします。「予見者」とは「見る者」とも訳され、サウルが預言者に雌ロバの居場所を言い当ててもらうことしか期待していなかったことを表わします (9:8、10)。

一方、主はサムエルにサウルの来訪がご自身の導きであることを告げ、「彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ」と命じます (9:15、16)。サムエルは彼に出会うと、すぐに彼の事情を言い当てるばかりか、彼を最高の賓客としてもてなすと告げます。

この時点ではサウルが王に任じられることは彼自身に隠されたままですが、彼は自分がそのような特別待遇を受ける理由が分からないと答えます (9:21)。ただ同時にサウルは、サムエルの導きに身を任せて行動し、自分のしもべを先に行かせたうえで、ふたりだけになって、「神のことばをお聞かせします」(8:27) というサムエルに従います。

そして、サムエルは、何の働きも見せていないサウルに油を注ぎ、王としてひそかに任職しました (10:1)。そしてサムエルは、主がすべてを支配しておられることを、その日にサウルが出会う三組の人のことをあらかじめ語ることで納得させます。

一組目のふたりは、雌ろばがすでに見つかっていることを彼に告げます(9:2)。

二組目の三人は、神へのささげ物を手にベテルに向かっていましたが、神のために用意した三つのパンのうちの二つをサウルに差し出し、彼を神に選ばれた人として扱うというのです。

そして三組目は預言者の一団との出会いで、その時に起こることをサムエルは、「(ウェ) の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです」(10:6、7) と告げます。

ただ同時に、サウルにギルガルで七日間サムエルの到着を待つようにも命じます (10:8)。つまり、彼は何をやっても良いのですが、祭司としてのサムエルの働きだけは侵してはならなかったのです。

続けて、「神はサウルの心を変えて新しくされた」(10:9) とあるように、それがことごとく成就します。そして、周囲の人々は、サウルに起こった変化を見て、「サウルもまた、預言者のひとりなのか」というようになります (10:12)。これは、人々がサウルを違った目で見始めるきっかけになりました。

その上で、サムエルは、「民を主 (ヤハウェ) のもとに呼び集め」(10:17)、くじを通して、主がサウルを王として選ばれたことを示します。ただ、このとき、サウルは、誰よりも背が高いにも関わらず、「荷物の間に隠れていた」(10:22) と描かれるように恥ずかしがり屋でした。このシャイな性格というのは、常に他人の目を気にするということでもあり、そこに彼の弱さが示唆されます。

ただ、人々はサムエルを信頼していたので、「民はみな、喜び叫んで」、「王さま、ばんざい」と言いました (10:24)。つまり、サムエルの権威がサウルを王としたのです。

サウルが新しくされ、また人々に前に王として紹介されたのは、油注がれた後でした。つまり、主の一方的な選びこそがすべてに先立っているのです。同じように、私たちの上に起こる変化も、自分の力である以前に、主の選びの結果だと言えないでしょうか。

サウルは誰よりも美男子で、背が高かったとしても、それは選びの根拠ではありませんでした。主は敢えてこの世の無力な者を選びながら、王を立て、また退けるのはご自身であることを明確に示されたのです。

しかも、主は、預言者サムエルを用いてサウルを王として民に示すことによって、イスラエルの王政をこの世のものと区別されました。主は本来のご自身のみこころに反して王を立てながら、なお、イスラエルをさらなる堕落から守ろうとしておられます。

3.サウルの王権の確立と、主がサムエルを通して与えた警告

サムエルはそこで、「民に王の責任を告げ、それを文書にして主 (ヤハウェ) の前に納め」ます (10:25)。その内容は先の申命記17章と同じだと思われ、その中心は、立てられた王が、「彼の神、主 (ヤハウェ) を恐れ」、主の御教えに従い、「王の心が自分の同胞の上に高ぶることがない」という戒めでした (19、20節)。

なおその際、「神に心を動かされた勇者は、彼について行った」と記される一方で、「よこしまな者たちは」、「この者がどうしてわれわれを救えよう」と言って、サウルを軽蔑したと描かれます (10:26、27)。

彼の王権を認めないのは、弱小部族となっているベニヤミンへの軽蔑でしょうが、そこに神の選びへの不信があります。彼らは自分たちの先頭に立って戦う王を求めていたのですが、その基準は人間的でした。

10章の終わりの死海写本には、「さて、アモン人の王ナハシュはガドとルベンを残酷に圧迫して、それぞれの右目をえぐり取って、イスラエルからの救援を寄せ付けなかった……しかし、七千人の男たちがアモン人の手から逃れて、ヤベシュ・ギルアデに入っていた」という説明が追加されており、この文脈を分かり易く解説します。

そしてそれに続いて11章の最初の文章が登場し、「その後、アモン人ナハッシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた」と記されます。この町は、ガリラヤ湖の南30㎞余りのヨルダン川東岸のイスラエルの中心都市で、士師記21章ではベニヤミン攻撃作戦に参加せずに四百人の処女を奪い取られてベニヤミンの戦士に与えられたという、ベニヤミン族と縁の深い町です。

ヤベシュの住民はアモン人の王との和解を望みますが、彼はその住民の右の目をえぐり取ることを条件とします。その知らせを聞いたサウルの根拠地ギブアの住民は「声をあげて泣いた」のでした (11:4)。

ところが、サウルがことの次第を聞くと、「神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった」(11:6) というのです。そして、彼がサムエルの名をも用いて、民を戦いに招集した時、「主への恐れがこの民に下ったので、彼らはひとりの人のように(一致して)出てきました」 (11:7)。

つまり、主ご自身がサウルのもとに民を一致させることによって、戦いに勝ったのです。戦いの様子は11節で「サウルは民を三組に分け……陣営に突入し……アモン人を打った」としか記されていません。それはサウルの功績というよりも、主が与えてくださった勝利だったからです。

ただ、これによって彼が名実ともに全イスラエルの王として認められることになり、ここに「王権を創設する宣言」(11:14) がサムエルによってなされます。そしてこの時、「サウルとイスラエルのすべての者が、そこで大いに喜んだ」(11:15) のでした。

彼らは、自分たちの上に王が立てられたことによって国がまとまり、周辺の国に勝利できるようになったと思ったことでしょう。しかし、そこに落とし穴があります。これはサムエルに代わってサウルが民の上に力を発揮して行く境目になります。

それでサムエルは最後に12章において、自分に与えられた権威を自分のために用いたことがあったかを問いかけます。それは自己弁護のためではなく、イスラエルの王のあるべき姿を改めて示すためでした (12:2-5)。その上で、イスラエルの歴史を振り返りながら主を恐れることを教えました (12:6-11)。

そして、今、イスラエルは周辺の国々と同じ政治制度を持つようになりましたが、それで彼らは、「あなたがたの神、(ヤハウェ) があなたがたの王である」(12:12) という現実を忘れる可能性があります。それでサムエルは、「今は、小麦の刈り入れ時ではないか」と、この時が現在の五月から六月の乾季であることを思い起こさせながら、「だが私が主 (ヤハウェ) に呼び求めると、主は雷と雨とを下される」と言います。

そして、それがその通り実現すると、「民はみな、主 (ヤハウェ) とサムエルを非常に恐れた」(12:18) というのです。このときになって彼らは、「あらゆる罪の上に、王を求めるという悪を加えた」(12:19) と自分たちの非を認めました。彼らはこの世の王制との違いを理解できたのだと思われます。

それでサムエルは、新しく始まった王政のもとで、神の民としての生きる道を教えます。その基本は、それまでのモーセの教えとまったく同じでした。彼らは、他国の王政と違い、目に見える王を支配しておられる主 (ヤウェ) をこそ、第一に恐れるべきでした。

それでサムエルは最後に、「ただ主 (ヤハウェ) を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる」(12:24、25) と警告します。彼はこの後も影響力を残しますが、民全体に向かって語るのはこれが最後でした。

イスラエルに王が立てられたというのは、神の幕屋を中心とした礼拝に祭司職による悪が入り込んだことの流れの中で起きたことです。サムエルの後継者が育っていたとしたら、人々は王を求めようとは言い出さなかったはずです。ひとつの問題が別の問題を生み出しました。

そのとき神は、聖書的な王制を求めさせるという別の道を示されました。そこには、王制の是非を越えた神の導きがありました。ですから私たちも、地上の目に見える現実を越えて、主 (ヤハウェ) のご支配の現実を覚える必要があります。

今、キリストご自身が、「王たちの王、主たちの主」として世界を治めておられます。そこで問われているのは、右か左かの選択以前に、「あなたの王、あなたの主はどなたなのか?」ということです。主を愛する者には、回り道をしているようなことがあっても、全てのことが無駄にならず、益に変えていただけるからです。