Ⅰサムエル13章〜15章「人の顔色を気にしたサウルの悲劇」

2017年9月10日

日本では「その場の空気を読む」ことが、社会での成功の秘訣とも言われます。しかし、空気は一夜にして変わります。大戦前に鬼畜米英と言っていた世論は、米国への感謝へと変わりました。

2009年の鳩山政権下で、温室効果ガス25%削減を国際公約し、大型原発20基新設を試算していました。話題の巨大重電企業が米国の原発会社を買収したのは、それに至る空気の中で起きたことですが、皆がそれを忘れ、経営者の愚かさが非難されています。しかし、温暖化対策一辺倒の空気は、原発事故で一夜にして変わり、原発が一時全面停止されました。一方、ドイツでは、日本の事故のはるか前から長い年月をかけて原発を無くする方向に既に舵を切っていました。日本の政策の変わりやすさを見る時、どこに原則があるのかと不思議に思えます。

僕が米国留学中に信仰に導かれた理由の一つに、人の目を意識しながら生きることへの嫌悪と苦しみがありました。ただ、帰国して日本の教会に通い出すと、「空気を読めない帰国者」として浮いていたと妻に後で言われました。今、牧師となりながらも、いつも人々の気持ちを受け止め、場の空気を読むことと、主の眼差しのみを意識して従うこととの狭間で心が揺れています。

1.サウルは不安のあまり祭司の権威を犯してしまった

「サウルは三十歳で王となり、十二年間……王であった」(13:1)とは、脚注のように原文が定かではありません。ギリシャ語七十人訳にはこの節自体が存在しません。

王としての支配の期間は、「二年」と原文にありますが、その前に何十年かが加えられると考える方が現実的です。ヨセフスのユダヤ古代誌の写本には、40年と20年の支配の両方があり、使徒の働き13章21節には「四十年」と記されています。

サウルは東の敵アモン人(ロトの子孫)との戦いに勝利し、王権の創設宣言が喜びのうちになされました(11:14,15)。そして、ここでペリシテ人との戦いが記されますが、初めて息子ヨナタンが登場し、彼に三分の一の軍隊を任せたという記述からすると、これはサウルが30歳の時ではあり得ないと思われます。

サウルが王としての油注ぎを受けたのは、父親の雌ろばを捜すような若者の時代でした。それからすると、このペリシテ人との戦いは、サウルが王になってかなりの年月が経過した後と考えるのが自然です。

ヨナタンはペリシテの守備隊長をベニヤミンの中心地ゲバで殺します(13:3)。そこは、10章5節で「ペリシテ人の守備隊のいる神のギブア」でサウルが預言者の一団と出会ったという記事とつながります。つまり、ペリシテ人がベニヤミンの領地の中に深く入り込み、要塞を築いて守備隊を配置していたというのです。

ヨナタンの攻撃は、「サムエルの生きている間、主(ヤハウェ)の手がペリシテ人を防いでいた」(7:13)という軍事的な均衡を破った?とも言えましょう。

そこで、「サウルは国中に角笛を吹き鳴らし……イスラエル人はみな……ギルガルのサウルのもとに集合します」(13:3,4)。このギルガルは、ゲバから20㎞~30㎞も東にあるヨルダン川沿いの低地で、イスラエル軍は退却して背水の陣を敷く形になっています。

ペリシテ人が「戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように多い民であった……彼らは上って来て……ミクマスに陣を敷いた」(10:5)とありますが、これはサムエルがかつて巡回していたベテルやミツパよりも5㎞以上も東に入り込んだ地で、ベニヤミンの中心部分に圧倒的なペリシテ人の前線が築かれたことを意味します。

彼らは鉄器を独占しており(13:19-22)、まだ青銅器時代のイスラエルには勝ち目が見えません。ですから、「イスラエルの人々は……圧迫されて……ほら穴や……地下室、水ための中に隠れた」ばかりか、ヨルダン川の東側に逃げた民もいました。そこで、サウルのもとにとどまった民も「震えながら彼に従っていた」と描かれます(10:6,7)。7章10、11節のサムエルの勝利が嘘のような事態に陥っています。

そのようなとき、「サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが……来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした」(13:8)というのです。この前提になるサムエルの命令が10章8節にあり、そこでは彼がいけにえをささげにギルガルに来るまでに七日間待つようにと命じられ、その上で作戦が授けられるかのように記されていましたが、それはずっと昔のことだったと思われます。

ただそこでもここでも、政治的な王であるサウルがサムエルの祭司としての働きを侵害してはならないことでは共通しています。とにかく、サムエルのもとではペリシテ人の攻撃を恐れる必要が無かったので、彼の到着の遅れは大きな不安となりました。それで、サウルは焦り、自分の手で主にいけにえをささげました。

「ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来」て、「あなたは、何ということをしたのか」と叱責します(13:10,11)。それに対しサウルは「民が私から離れ去って行こうとし……今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主(ヤハウェ)に嘆願していないと考え」と言い訳しました(13:11,12)。

それを聞いたサムエルは、「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主(ヤハウェ)が命じた命令を守らなかった。主(ヤハウェ)は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに今は、あなたの王国は立たない」(13:13,14)と、サウルの王権を主が取り上げて、別の王が立てられると通告しました。これはまさに、取り返しのきかない過ちであったというのです。

サウルの行為は、主が立てられた権威を侮ることでした。それは、主ご自身を退けるのと同じ意味を持っていました。しかし、彼の関心は、主ご自身を求めることよりも、人心が自分から離れるのを防ぐことにあったのです。サウルは、「(ヤハウェ)の手がペリシテ人を防いでいた」(7:13)という根本を忘れていました。

そして13章15節は、七十人訳によると、「こうしてサムエルは立って、ギルガルから去って行った。残っていた人々は、戦士たちと合流するためにサウルについて行き、ギルガルからベニヤミンのギブアへ上って行った。サウルが彼とともにいる民を数えると、おおよそ六百人であった」と訳すことができ、多くの学者はそれがもともとの記述であったと理解します。

つまり、サウルは、ペリシテ人の大軍の前に孤立しているヨナタンの軍に合流しようとしたのです。民が震えていたにも関わらず、はるか先の高地にあるギブアにまで上って行ったのは、ヨナタンの救援のためでした。しかし、驚くほど少ない人々しか従いませんでした。この記述は、戦いを主導しているのがサウルよりもヨナタンであることを示唆します。

サウルは、恐れに囚われ、民の心を掌握するために、主が立てた祭司の権威さえ犯してしまいます。一方、息子のヨナタンは、後の記述に明らかなように、ただ主(ヤハウェ)だけを見上げ、これを主の戦いと見て、恐れを超えた、大胆な行動をします。親子でありながら、その姿勢は何と対照的なことでしょう。

2.神に信頼したヨナタン、神の好意を得ようと墓穴を掘ったサウル

そのような中で息子のヨナタンは、「大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、(ヤハウェ)がお救いになるのに妨げになるものは何もない」(14:6)と言い、たった一人の道具持ちの若者を引き連れ、「ペリシテ人の先陣に身を現わし」ます(14:8、11)。

そこで、ペリシテ人が「おれたちのところに上って来い」と言えば、「(ヤハウェ)イスラエルの手に彼らを渡されたのだ」(14:10,12)と、主のみこころを判断しようとします。それは、先陣が薄い守りで、イスラエルを攻撃するために兵を裂く余裕がないという軍事的な判断です。同時に、傲慢な者ほど、主の前に弱い者はないという神学的な知恵だと思われます。

ヨナタンは無謀な戦いを挑んだのではなく、全能の万軍の主に信頼する一歩を踏み出そうとしています。

その結果、彼らが「最初に殺したのは約二十人」だけですが(14:14)、これによってペリシテの陣営に恐れが起こり、それは「神の恐れ」(14:15原文)となったというのです。そして16節の群衆の動揺とはペリシテの陣地の様子であり、サウルはそこで攻撃を加えるべきかどうか迷い、主のみこころを求めます。

18節に記された「神の箱を持って来なさい」とは、3節にあった「エポデを持って来なさい」の読み間違いであろうという見方が多数あります。七十人訳の複数の写本ではそのように記されていますし、19節でサウルが祭司に、「もう手をしまいなさい」と命じたことばは、契約の箱の扱いには相応しくないからです。

どちらにしてもサウルは、ペリシテ人の陣営の騒動を確認すると、主のみこころを求めることをそこで止め、「戦場」に向かいます(14:20)。すると、ペリシテ人は「剣をもって同士討ちをしており、非常な大恐慌が起こっていた」(14:20)のでした。

イスラエルは鉄の剣をもっていなかったのに、ペリシテ人が自分の剣で互いに殺しあってくれたというのです。その様子を見てペリシテ人に従っていたヘブル人もイスラエルの陣営に戻り、また山地に隠れていた者たちも出てきてペリシテ人の追撃に加わりました(14:21)。

その結果が、「こうしてその日、(ヤハウエ)はイスラエルを救い、戦いはベテ・アベンに移った」と記されます (14:23)。最後の言葉は「戦いはベテ・アベンの向こうに移った」と訳す方が良いと思われます。

さらに七十人訳では続けて「サウルとともにいた軍隊は一万人に上った。戦いはエフライムの山地全体に広がった」と記されます。戦いの勝利で、三千人から六百人に減った軍が、一万人に増えたのです。

それを見たサウルは、民に「のろい」をかけて「誓わせ」、食べ物を断たせます。彼は主の不思議な勝利を見て、主のさらなる好意を得ようと必死になったのだと思われます。それと同時に、神の民の指導者として、民に感謝の犠牲を払わせることで自分の敬虔さをアピールしたのかもしれません。

彼の内心は、「夕方、私が敵に復讐するまで」(14:24)と、この戦いを「私の復讐」と位置づけたことに現れています。

森には「蜜がしたたっていた」のですが、彼らは「のろい」を恐れて、口にしませんでした(14:26)。一方、ヨナタンはそれを聞いていなかったため、蜜を取って食べました。

民のひとりが注意すると、彼は、「父はこの国を悩ませている……」(14:29)と言い切ります。それは戦略の過ちを批判しただけのようで、予言的な意味があります。サウルは、この後、自分の権威を立てるために、国を悩ませ続けるからです。

イスラエルはペリシテ人の国境まで追い詰めますが、空腹のため疲れ果てます。そればかりか、分捕り物に飛びかかり、羊や牛をその場でほふり、血のままで食べるという罪を犯します(14:32)。

そのときサウルは、大きな石を用意させて、「めいめい……私のところに連れて来て、ここでほふって食べなさい。血のままで食べて主(ヤハウェ)に罪を犯してはならない」と言いますが(14:34)、ここにも信仰の指導者を振舞う姿勢が見られます。

そして、祭司でもない彼が、「主(ヤハウェ)のために祭壇を築き」ます(14:35)。サウルは、サムエルから「あなたの王国は立たない」(13:14)と言われたことばを変えてもらおうと、主の好意を得ようと必死なのでしょうが、その方法自体が主の怒りを買うことになるということをまったく自覚していません。

その後、サウルは、戦略の過ちを挽回するために、夜通しペリシテ人を攻め立てることを提案します。民は同意しますが、祭司はそれを差し止めて、「ここで、われわれは神の前に出ましょう」と提案します(14:36)。サウルは神に伺いますが、何の答えも得られません。

神の怒りを感じた彼は、誓いを最初に破ったのは誰かを確かめるため「ウリムによるさばき」(民数記27:21)を用いて、神に二者択一の答えを求めたのだと思われます(14:40-42)。その結果、戦いを勝利に導いた息子ヨナタンに死刑を宣言するはめになります。民の仲裁で彼を殺さずには済んだものの、サウルの霊的な暗黒が際立ちます。

彼は占いに似た目先の判断を主に尋ねましたが、このときこそ自分がサムエルを通して王に立てられたという原点に立ち返り、沈黙される主の御前に静まり、どこで自分が主のみこころに反したかを思い巡らすべきでした。

そして、「サウルは、イスラエルの王位を取ってから、周囲のすべての敵と戦った……どこに行っても彼らを懲らしめた。彼は勇気を奮って、アマレク人を打ち、イスラエル人を略奪者の手から救い出した……サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった・・勇気のある者や、力のある者を……みな、召しかかえた」(14:47-52)と描かれます。

つまり、彼はこの世的には極めて有能な王で、人々から期待されていた王としての責任を果たしたとも言えましょう。ただサムエルの時は、「主(ヤハウェ)の手 」の守りが強調されていましたが、ここではサウル自身の働きという面が強調されています。

彼の性格は、人の目を強く意識するものでしたが、それは人間的には、指導力として評価される面があったとも言えましょう。

3.悔いることのないはずの主が、サウルを王に任じたことを悔いたという不思議

この後サムエルは、サウルにアマレク人を聖絶せよ(滅ぼし尽くせ)との主の命令を伝えます。彼らはカナンの南側を支配し、イスラエルがエジプトから出てすぐに攻めかかってきた敵でした。アロンとフルがモーセの手を支え、ヨシュアが剣で彼らを打ち破りました。その時、主は、「わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう」(出エジプト17:14)と宣言されました。

また申命記25章19節では、「主(ヤハウェ)が、周囲の敵から……解放して、休息を与えられるようになったときには……アマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない」と命じられていました。ですからサウルが王権を確立した後に、アマレクを聖絶するというのは、昔からの主のご計画であったのです。それこそ王に課せられた責任でした。

ところが、サウルはその主の思いに心を向ける代わりに、目先の自分の計算で、王をいけどりにするとともに、「肥えた羊や牛の最も良いもの……を惜しみ、これらを聖絶することを好まず、ただ、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶したのでした(15:9)。

それは現代の私たちには合理的な判断に見えるかもしれませんが、主の正義を実現するためにサウルが王として立てられたという根本に真っ向から反することでした。これを見た主(ヤハウェ)は、「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる」(15:10)とサムエルに語ります。

サムエルは王を選ぶことに最初から反対しながら、主の命でサウルを任職せざるを得なかったのですから、彼が「怒り、夜通し主(ヤハウェ)に向かって叫んだ」のも当然とも言えないでしょうか。

一方、サウルは、「自分のために記念碑」まで立て(15:12)、「私は主(ヤハウェ)のことばを守りました」(15:13)と豪語し、残した羊や牛に関しては、「民は……惜しんだ……あなたの神、主(ヤハウェ)にいけにえをささげるため」(15:15)と言い逃れをします。

それに対しサムエルは、「あなたは、自分では小さい者に過ぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主(ヤハウェ)があなたに油を注ぎ、イスラエルの王とされました。(ヤハウェ)はあなたに使命を与えて言われました」と主の選びには目的があると語りました。

そして、私たちも同じように、主からの使命を果たすために召されているのです。

ところがサウルは、「私は主(ヤハウェ)の御声に聞き従いました」と自己弁護を繰り返します(15:20)。そればかりか、15節と同じように、「しかし、民は……あなたの神、主(ヤハウエ)にいけにえをささげるために」と、自分の責任を回避するかのように、「民が……あなたの神に」ということばを繰り返しました。

サウルは主のことばを自分の都合に合わせて再解釈したのですが、そこには「私の神」から与えられた「使命」という意識が欠如し、まるで、民の願望とサムエル神との間を取り持つという政治的な思惑が先行していました。

それでサムエルは、「主(ヤハウェ)は主(ヤハウェ)の御声に聞き従うほどに、全焼のいけにえ……を喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」(15:22)と語ります。原文では「従う」というより「聴く」という心の姿勢が強調されています。従順は犠牲にまさるのです。

そしてサムエルは、「あなたが主(ヤハウェ)のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」と言い切ります。これは13章14節に続く宣告なので、彼は激しい恐怖に捕われ、「私は罪を犯しました」(15:24)と告白し、「私は民を恐れて、彼らの声に従った(原文:聴いた)」と自分の根本的な問題を認めました。

ただ、その後サウルは、「私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主(ヤハウェ)を礼拝いたします」(15:25)と懇願しますが、サムエルはそれを断り、「イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない」(15:29)と言います。これは、サウルの罪によって神のご計画が無に帰するということがなく、主が新たな王を立てて御旨を成し遂げるという意味です。

ところが、サウルはそれを聞いて自分の罪を心から悲しみ嘆くのではなく、「どうか今は、私の民と長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。どうか私といっしょに帰って、あなたの神、主(ヤハウェ)を礼拝させてください」(15:30)などと言います。これは民の前で「私に名誉を帰してください」という願いで、主よりも民を恐れたと24節で告白したことが口先だけだったことを自分で認めたことを意味します。

その後、「それでサムエルはサウルについて帰った」(15:31)と記されているのは、明らかにサムエルがサウルに譲歩したことと言えましょうが、それはイスラエル全体の混乱を避けるための苦渋の選択でもありました。

そしてサムエルは、「ギルガルの(ヤハウェ)の前で、アガグずたずたに切った」(15:33)と記されるのは、サウルに託された使命を、サムエルが全うしたということを意味します。

ただし、これはふたりの最終的な決別になり、「サムエルはサウルのことで悲しんだ。(ヤハウェ)サウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた」(15:35)と記されます。悔いることがないはずの主が、二度も「悔やまれた」のです。

「悔やまれた」とは、サウルのことで主が心を痛められたという感情表現で、本来、「深く呼吸する」という意味の派生語です。一方、彼は自分の立場ばかりを気にして、自分の罪を真に悲しんではいません。

主は、後に、「もし・・その民が悔い改める(立ち返る)なら、わたしは……わざわいを思い直す(原文:悔いる)」(エレミヤ18:8)と言われ、ご自身のさばきの計画は変えられる余地があると約束しておられます。

「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(Ⅱコリント7:10)とありますが、サウロは、神やサムエルの悲しみを知ろうともせず、民の歓心を買おうとして自滅しました

彼は神に特別に目をかけられて王とされ、それを心から喜んでいたのに、神の御声を聴く誉れを忘れ、人の声ばかりを聴いてしまいました。これはすべての指導者を陥れる誘惑だと言えます。

あなたは神を見ているのか、人の顔色を気にしているかが、今問われています。