岩井基雄先生葬儀——2001年のスイス・ラサでのセミナーの思い出

今日は故 岩井基雄先生(清瀬福音自由教会牧師)の葬儀に参列してきました。
 全体の参列者は600名近くなったのかもしれません。これほど多くの参列者があった葬儀は、僕にとって30年前の故古山洋右先生以来かもしれません。古山先生は62歳、岩井先生は63歳。どちらもすい臓癌でした。

浦和福音自由教会の坂野慧吉先生が葬儀のメッセージをしてくださいました。

 その中で、2001年9月のスイスの南部の山奥のラサでの静まりのセミナーの話しをされました。 先生ご夫妻が導いてくださった最後の牧会者向けセミナーでした。
 僕たち夫婦は、岩井先生にお誘いいただいたおかげで、このセミナーに参加できました。

 それは、当時の十数名の参加者すべてにとって、まさに人生の見方を変える一大変革の機会となりました。
 それは、決して、より良い、別の人格者に成長できたということではなく、「本来の自分らしい自分として生きるとは、どういうことか?」ということが発見されたという意味での大変革です。

 コリント第一の手紙15章10節で、パウロは、自分がキリストの使徒とされている恵みを「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました」と表現しています。
 これは、このように成長した自分になったという意味ではなく、本来の自分らしい自分になることができたという意味ではないかと、坂野先生は話しておられました。僕もその通りだと思います。
 英語訳ではほとんどすべて、But by the grace of God I am what I am、と訳されています。「神の恵みによって、私は、私になりました」と訳してよいのかと思います。

 僕の場合は、自分の書きたい文章を書いて発信したり、それを本にしたりするというパターンは、そのセミナーで刺激を受けたおかげといえるかもしれません。
 それまでは、「このままの自分の性格が様々な問題を起こしてしまう、こんな自分を変えなければならない……」と真剣に思っていました。
 しかし、それに参加してから、自分の個性や感性を、神の賜物と受け止め、この偏った性格をより生かす方法があると示されて、現在のような自分の働き方になっています。

 たぶん、周囲の人からしたら、「もっとバランスの取れた人格であってほしい……もっと、みんなの期待に応えて欲しい……」と思えるような困った偏りかと思います。
 それは、実は岩井先生も同じかと思います。彼もあのセミナー以来、欠けだらけの自分を前面に出して、ますます自分らしくなって行きました

 大切なのは、自分に与えられた賜物、タラントをどれだけ、神のために用いたかということです。
 より立派な人格に成長する……というより、偏った個性を持ったままの自分を神に差し出して、それを用いていただくということです。

 私たちの創造主は、私たちのこのままの姿を、ご自身の働きのために用いることができます。