難民の子どもの仲間となるために生まれた神の御子〜マタイ2章16–18

日本の様々な場所でクリスマスの歌が流れています。それ自体は、とっても嬉しいことです。そして、クリスマスというと「おびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した」という、天使の賛美に多くの人の目が向かいます。それ自体はとっても素晴らしいことです。多くの英米系のクリスマスキャロルは、それをもとに記されています。

しかし、ドイツのクリスマスの讃美歌は、何よりも「飼い葉桶」の貧しさに焦点が合わされています。その代表作が讃美歌107番にある「まぶねのかたえに」という讃美歌です。それは、イエスが生まれた「飼い葉桶」の傍らに立って、神の御子の誕生の不思議を黙想するという歌です。世界の創造主、光の創造主である方が、牛の餌が置かれる飼い葉おけの中に生まれたという不思議を思います。私たちはみな、より豊かに、より幸せに、より輝く世界に……と憧れますが、神の御子は何と、もっとも悲惨で孤独な誕生をご自身から望まれたというのです。

マタイによる福音書2章16節では、イエスの誕生の場を、少し間をおいて知ったヘロデ大王が、「ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた」という幼児大虐殺の話と結び付けて描かれます。そしてそこでは預言者エレミヤ31章15節のことばが次のように引用されます

ラマで声が聞こえる。むせび泣きと嘆きが。
ラケルが泣いている。その子らのゆえに。
慰めを拒んでいる。
子らがもういないからだ。

ラマとは、エルサレムの北8㎞にあるベニヤミンの中心都市で、そこにバビロン捕囚とされる民が集められ、連行されました。ラケルが泣いているというのは彼女がマナセとエフライムの祖母、ベニヤミンの母だからです。しかし、エレミヤ書では続けて、次のように記されています

あなたの泣く声、あなたの目の涙を止めよ。
あなたの労苦には報いがあるからだ。
——主のことば——
彼らは敵の地から帰って来る。
あなたの将来には望みがある。
エレミヤ31:16、17

現代的に言えば、神の御子は、パレスチナ難民の赤ちゃんの仲間となるために、その不安な状況のただ中に生まれてくださったとも言えましょう。世界の救いの望みは、その貧しさと悲惨の中に、現わされて行くという逆説です。そのような逆境の中に、神の愛の輪が広がり、世界を変えてゆくというのがクリスマスの物語です。目の前の問題を力にって解決しても、そこには怨みや憎しみの種が蒔かれ、将来の悲惨を再生産します。しかし、一見、どれほど小さくとも、そこに蒔かれた愛の種は、着実に、人と人の心を結び付けて行きます。

ナチスドイツで殉教の死を遂げたディートリッヒ・ボンヘッファーは、以下の讃美歌の意味を、牢獄の中で初めて心から味わい、感動したと家族に手紙で知らせています。この曲は1653年にパウル・ゲルハルドという最高の讃美歌詩人が書きましたが、それから約80年後にヨハン・セバススチアン・バッハがまったく新しい、この歌詞にふさわしいメロディーをつけました。

僕はこのクリスマスの季節は、繰り返しドイツ語の歌詞をこのメロディーで口ずさみ味わっています。本当に本当に、ここにクリスマスの物語の核心が歌われています。この世的な輝かしさの中にではなく、暗闇の中に神の栄光が現わされたことを黙想し、世界中の暗闇の中に、神のまことの光が注がれることを祈って行きたいと思います。以下でオランダの教会での合唱のようすをみてお聞きいただけます

以下の歌詞は僕が原文からの逐語訳をしたものです。当教会ではこれを簡潔にまとめた歌詞で歌っています。少しずつでも味わっていただければ幸いです。

 

Ich steh an deiner Krippen hier
「飼い葉桶のかたわらに」
1653 パウル・ゲルハルド(逐語訳:高橋)

  1. 私は今、あなたの飼い葉桶のかたわらに立っている。
    イエス、私のいのちよ。
    あなたからいただいたものを携え来て、
    あなたにそれらをささげよう。
    どうかお受けください。
    ここにある、私の霊、感覚、心、たましい、思いを。
    これらすべてをお受けください。
    それがあなたに喜ばれますように。
  2. 私が生まれる前に、あなたは私のために生まれてくださった。
    あなたは私をご自分のものにしようと、
    私があなたを知る前に私を選んでくださった。
    何と、私があなたの手で造られる前から、
    あなたは私の救い主になることを望まれ、
    そのことをすでに思い量っておられた。
  3. 私が深い死の暗闇に横たわるようなときにも、
    あなたは私の太陽であられる。
    私にもたらされた太陽、
    それは 光、いのち、喜び、楽しみ。
    そのまことの光は、
    私のうちに信仰の光を灯してくださった。
    あなたの輝きは何と美しいことか。
  4. 私は喜びを持ってあなたを見つめるが、
    満足に観ることはできない。
    今は、これ以上はできないので、
    私はただ祈りつつ、たたずんでいる。
    この感覚が底知れず豊かで、
    このたましいが海のように広いなら、
    ああそうであるなら、
    あなたを理解することができるのに……
  5. 私のこころが深い悲しみに沈み、何の慰めをも見いだせないとき、
    あなたは私に呼びかけてくださる。
    「わたしはおまえの友、おまえの罪の贖い主。
    わたしの弟、妹よ、何を悲しんでいるのか?
    おまえはわたしの愛しい者。
    わたしはおまえの罪の代価をすでに支払ったのだから……」
  6. ああ、その愛しい星が、
    飼い葉桶に横たわらなければならないとは!
    偉大な主、貴い御子には、黄金のゆりかごこそがふさわしい。
    干し草とわらでは、あまりにも惨め。
    ビロード、絹、紫の衣こそ、
    この幼子を置くにはふさわしいものを……
  7. わらを取り去り、干し草を取り去れ!
    私は花を、私の救い主を横たえるため、
    愛らしいスミレを敷き詰めよう。
    美しい庭からバラ、カーネーション、
    ローズマリーを摘んで、
    幼子の上を、やさしく覆わせていただきたい。
  8. あなたは、この世の楽しみも、
    からだの喜びをも求めはしなかった。
    あなたはただ、私たちの身代わりに
    苦しまれることを望まれた。
    苦痛と惨めさに耐えながら、
    私のたましいの栄光を求めてくださった。
    それを私は決して無駄にはしない。
  9. ただ一つのことをあなたに願いたい。
    私の救い主よ。それを退けないでください。
    あなたをたえず、私のうちに、
    そばに、かたわらに担わせてください。
    この私を、あなたの飼い葉桶として用いてください。
    どうか、あなたご自身とあなたの喜びのすべてが
    私のうちに宿ってくださるように!