ジョン・レノンの死とイマジン〜イザヤ65章17節「新しい天と新しい地」

ビートルズのリーダーであったジョン・レノンは、1980年12月8日夜10時50分ごろニューヨークで暗殺されました。この記事を書いているのは、日本時間で12月9日午前10時ころですが、これはニューヨーク時刻では12月8日の夜の8時ごろです。昨晩のNHKのアナザー・ストーリーという特集で、イマジンという曲が、悲劇のたびごとに世界中の人々の祈りの歌となって行くという歴史が振り返られていました。イマジンの歌詞は、一見、反聖書的なフレーズで始まります。

「想像してごらん。天国なんてないって……やってみたら簡単なことだよ。私たちの下に地獄もない。上には、空があるだけさ。想像してごらん。みんなが今日を生きているんだ」と歌われます。

この歌詞は、天国を皮肉り、死後のさばきを否定するという反聖書的なものに見えます。しかし、ジョンがこのように歌ったのは、当時のキリスト教道徳が、天国への「夢」を説いてこの世への不満を沈黙させ、地獄への「脅し」で人々の自由を抑圧しているように彼には思えたからです。

日本語の「天国」または、英語の「heaven」は、聖書では「パラダイス」と呼ばれますが、それは信仰者のたましいが復活を待つ一時的な休息の場に過ぎません。最終目的地は「新しいエルサレム」に朽ちない身体を与えられてよみがえることです。その世界は、初めの天地創造との比較で「新しい天と新しい地」と呼ばれます。そこにはもはや危険な海もなく、日照りをもたらす太陽もなく、神の平和(平安)が世界を満たしています。「永遠のいのち」とは、その喜びの世界の「いのち」が、今、この時から始まっていることを意味します。私たちは、「良い行いをしたら天国に入れてもらえる。でも悪いことをすると地獄に落とされる」という世の道徳の教えの枠を超えて、今、このときから「新しいエルサレム」の市民として、今、このときを喜びながら生きることができるのです。しかも、その「いのち」は失われることがないからこそ、権力者を恐れず、正義を優しく主張する勇気が湧いて来るのです。

イマジンの中心メッセージは、「君は僕を夢見る人と言うかもしれない。でもその夢を持つのは僕だけじゃないよ。君もいつの日か、僕たちの仲間になってくれることを願ってるからね。すると、世界はひとつになって行くよ。」という部分にあります。彼は、このような夢を互いに共有することによって、平和が実現できると歌い、それが多くの人々の心を動かしています。私たちも聖書が語る「新しい天と新しい地」の夢を共有するときに、何の強制力もない一致を喜ぶことができます。教会では、終末論の見解の違いによって争いが起きてきました。しかし、最終的な平和を神が実現してくださるというゴールを見上げるなら、みなが一致できます。

そして最後に、「想像してごらん。所有なんてないって……君もそうできるかな。貪欲になったり、飢えたりする必要もない。人が兄弟愛で結ばれる。想像してごらん。みんなで世界を分かち合っているって……」と歌われます。これこそ、初代教会において人々が聖霊に満たされていたときに実現し始めたことでした。これは共産主義のように社会システムとして実現された世界ではありません。そこには無言の強制力が働いてしまいます。

しかし、「聖霊に満たされる」ときこそ、私たちは喜びながら、進んで所有意識を捨てられるのです。「イマジン」には、多くの人々の夢を歌ったものです。それがこれほどポピュラーになったことを考えるとき、「新しい天と新しい地」の教えも、実は人々にとっても身近なもので、現在の生き方に直結するということがわかります。

共有された夢には、私たちを動かす力があります。共有された夢を、主ご自身が実現してくださいます。救いは、天国に行くまで見えないようなものではありません。私たちの交わりのうちに実現してゆくものです。

今、イスラエルとエルサレムは世界の火薬庫のような恐ろしい状況になっていますが、聖書が語る希望は、そこにいかなる宗教的な対立も超えた、真の平和(シャローム)が実現することです。以下の聖句を味わっていただければ幸いです。

イザヤ65章17–25節(私訳)

見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
先の事は思い出されず、心に上ることもない。
むしろ、いついつまでも楽しみ喜べ。
わたしが、創造するものを……。

なぜなら、見よ、わたしがエルサレムを創造して喜びとし、
その民を(創造して)楽しみとするからだ。
エルサレムをわたしは喜び、わたしの民を楽しむ。

そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれることがない。
そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、
寿命の満ちない老人もない。
それは、幼子が死んでも、百歳になっており、
罪人がのろわれても、百歳になっているからだ。

彼らは家を建てて住み、
ぶどう畑を作って、その実を食べる。
彼らが建てて他人が住むことはなく、
彼らが植えて他人が食べることはない。
わたしの民の寿命は木の寿命に等しく、
わたしの選んだ者は自分の手で作った物を
存分に用いることができるからだ。

彼らはむだに労することはない。
また、恐怖に会わせるために子を産むこともない。
彼らは主 (ヤハウェ) に祝福された者のすえであり、
その子孫たちも彼らとともにいるからだ。

そのとき、彼らが呼ばないうちに、わたしは、答え、
まだ語っているうちに、わたしは、聞く。

狼と子羊は共に草をはみ、
獅子は牛のようにわらを食べ、
蛇はちりをその食べ物とする。
わたしの聖なる山のどこにおいても、
これらは害を加えず、滅ぼすこともない」
と主 (ヤハウェ) は仰せられる。