イスラエルの平和のために祈る——剣を取る者はみな剣で滅びます〜マタイ26章52節

連日、イスラエルによるガザ地区攻撃のニュースが流れてきます。本当に、恐ろしい悲劇が起きています。ついに国連の事務総長のグテーレス氏が、人道的停戦決議を安全保障理事会に要請するという異例の事態になっています。

以前からお知らせしているように、日本の報道は、あまりにもイスラエルという国が生まれてきた経緯や、歴史的なアラブ諸国の理不尽な攻撃という面が抜け落ちています。たまたま現在のイスラエルが圧倒的に強いから、彼らの過剰防衛が非難され、パレスチナばかりかハマスに対する同情心が生まれている面があるように感じます。ハマスは、イスラム原理主義に駆られたテロ組織であって、パレスチナの人々を人間の盾に使って、彼らの死を宣伝材料にしか使っていない……という現実は、本当に目が向けられる必要があります。

ただ、それは決して、現在のイスラエルの軍事行動を正当化できるという意味ではありません。イスラエルのなかには、パレスチナ人の立場に心を痛めている多くのユダヤ人がいます。しかし、このような状態になると、どうしても過激な主張をする人々が、両方の社会で力を持ってしまうというのが歴史の必然です。

今から二千年前のパレスチナでは、ローマ帝国の支配に苦しむ多くのユダヤ人がいて、多くのユダヤ人がローマ兵に対するテロ活動を繰り返していました。そのようなユダヤ人の武闘派を意識しながら、イエスは「あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい……あなたに一マイル行くように強いる者がいれば、一緒に二マイル行きなさい」(マタイ5:39、41) と言われました。また、イエスが捕らえる際に、ペテロは剣を取って、戦おうとしましたが、それに対しイエスは、「剣をもとに収めなさい。剣を取る者は剣で滅びます」と言われました (マタイ26:52)。

二千年前にユダヤ人が現在のイスラエルの地を追われることになったのは、ローマ軍に対してのテロ活動を行ったからに他なりません。イエスは、このままではユダヤ人が国を失うということを目の当りに思い描いて、「剣を取る者は、剣で滅びる」と言われたのです。

一方、日本ではパレスチナとは違った共同体意識が報じられた話が、11月30日の共同通信で報じられました。「数百年後の恩返し」と言う記事(以下引用)です

 東シナ海を望む長崎市樫山地区にある小高い山「赤岳」。その麓にある天福寺に1978年、少し離れた地区に住む人々が訪れた。寺は貧しく、本堂の床は抜け落ちそうで、天井から雪が舞い込むありさま。お布施の収入は月6万円ほどしかなく、檀家に改築費用を募っている最中だった。

 訪れた住人たちは約400万円もの寄付を申し出た。ただ、仏教徒ではないという。

「私たちは潜伏キリシタンの子孫です。お寺のおかげで信仰と命をつなぐことができました。少しでも恩返しがしたい」

 1688年に建立された天福寺は曹洞宗のお寺。にもかかわらず、キリスト教が禁止され、厳しい取り締まりがあった江戸時代に、危険を冒して潜伏キリシタンを檀家として受け入れ、積極的にかくまっていた歴史がある。

 当時対応したのは、前住職の塩屋秀見さん(70)。塩屋さんによると、赤岳は江戸時代、ローマにつながる御利益がある「聖山」として、潜伏キリシタンたちがひそかにあがめた場所だった。
寄付を申し出たカトリック信者たちは30人ほど。寄付の理由をこう語った。

「天福寺に何かあったときは助けるようにと、いろり端で代々、伝えられてきたから」

このような記事を見ると、日本人であることが誇りに感じられます。一方、パレスチナにおいては部族を超えた国民意識や部族を超えた共同体意識ができていないというのが大きな課題になっています。

でも迫害下にある異教徒や外国人を受け入れ、保護するということこそキリスト教の大切な伝統となっています。第二次大戦下で、多くのユダヤ人が虐殺されましたが、一方で、そのようなユダヤ人を命がけで保護した多くのクリスチャンたちがいます。

有名なユダヤ人哲学者のエマニュエル・レビナスは第二大戦後に次のように書いています

ヒトラー経験は多くのユダヤ人にとって、個人としてのキリスト教徒たちとの友愛のふれあいの経験でもあったからだ。それらのキリスト教徒たちは、ユダヤ人に対してその真心を示し、ユダヤ人のために、すべてを危険にさらしてくれたのである。第三世界の勃興を前にした現在、この思い出は貴重なものだ。

実は、キリスト教の福音は、そのような草の根的な人と人とのふれあいから広がってきたものです。目に見える恐ろしい戦いの横で、人と人とのふれあいや助け合いがあります。そしてこの人間の歴史は、そのような一人ひとりの善意こそが通奏低音のように社会を動かしているのです。

パレスチナ難民の方々と同時に、イスラエルのために祈る必要があります。彼らは今、世界的な非難を受ける立場に立たされてしまっています。二千年前に国を失わせた武力闘争が、同じ結果を産まないことを祈る必要があります。この憎しみの連鎖は、恐ろしい結果を生み出す危険があることを私たちは覚える必要があります。