麻布台ヒルズ訪問記——何を求めて生きるのか〜詩篇62篇10–12、ローマ2章7–8節

昨日、今話題の麻布台ヒルズを見学に行ってきました。とっても静かで落ち着いた街という印象を受けました。森JPタワーの四階の書店では、本を買う前に、ゆったりとした椅子に座って、その本の内容まで見ることができました。ただ、レストランはすべて予約で一杯でした。ただ、一階のコーヒーショップではスパゲッティーを食べることができました。食通の洋子が感心するほど美味しかったです。

残念ながら、話題のマーケットは来年1月末オープンということで見られませんでした。今になって後悔しているのは、もらった案内にはほとんど記されていなかった名所に行けなかったことです。地下一階から33階の無料テラスに直通のエレベーターがあったのに、気づきませんでした。

麻布台ヒルズは当教会が始まった1989年にビジョンができて、その後のバブル経済の崩壊を受けて34年かけて完成に導かれました。そのコンセプトはとってもすばらしいもので、 でご覧いただけます。

この近隣の地に関しては、以前当教会に集っていた方から戦前のようすをお聞きしておりましたので、この80年間の間に起きた変化を思い巡らしました。

今、この64階の分譲マンションの価格は数百億円、低層階のマンションでも数十億円だとのことで、日本の富裕層にも手が届かない価格帯であると言われています。先のレストランには明らかにアラブ人系の家族が入ってゆきました。

そして、先の本屋さんで、「一年で『億り人』になる」という、一億円の資産を築くためのハウツー本を買ってしまいました。聖書に描かれたお金の講演をさせていただく機会が多いので、世の中ではどんな本が読まれているのかという理由に過ぎませんが……

でも、読んで唖然としてしまいました。書いてある原則は、ある意味で経済学的な常識に過ぎないことです。ただ、それは多くの方が無意識に思っている誤解を正すという意味で、興味が惹かれるのでしょう。しかし、短期間に借金を含めた資産を増やすことや、不動産などの現物投資で利益を上げることが、ハウツーを学ぶことで簡単にできるような印象を与える書き方がされていることに本当に危なさを感じました。このような本によって人生を誤ってしまう人が出ないことを祈るばかりです。

私たちの中にも、セレブに憧れる気持ちがありますが、お金持ちになることと、幸福を味わうことは、まったく別のことであることを知る必要があります。もちろん、お金自体は大切で人生の役に立てらる道具ですが、それは所詮、道具に過ぎません。聖書には、「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです」(Ⅰテモテ6:10) とまで記されています。マザー・テレサも貧しい人のための多くの寄付をお金持ちから受けながら、「お金持ちはみんな、心が不幸に見える」と言っています。

ローマ人への手紙2章6節には、「神はそれぞれの行いに応じて報いられます」と記されますが、それは詩篇62篇10–12節からの引用でもあります。そこには次のように記されています。

10 暴力に信頼するな。略奪をむなしく誇るな。
富が増えても(強さが結果を生んでも)、それに心を留めるな。
11 神は、一度告げられた。
二度私はそれを聞いた。
力は神のもの。
12 主よ。慈愛(ヘセド:恵み)もあなたのもの。
まことに、あなたは報いてくださる。
それぞれの人の行いに応じて。

そしてローマ人への手紙2章7、8節では、神が評価する善悪の基準が、前節の「神は……報いられます」ということばを修飾するように次のように記されています。

7 忍耐をもって善を行い、栄光と誉れ(名誉)と不滅(朽ちないもの)を求める者には永遠のいのちを、8 利己的な思い(競争心、党派心)から真理に従うことをせず、かえって不義に従う者には、怒りと憤りを。

ここで「忍耐をもって善を行う」ことと並んで「栄光と誉れ(名誉)と不滅」という神に属する性質を「求める」ことが、神に喜ばれるというのは不思議です。ただ、それは「神のようになる」という傲慢ではなく、「神のご性質にあずかる者となる」(Ⅱペテロ1:4) ことを指しています。

反対に「神の怒りと憤りを……報いられる」者とは、「真理に従う」ことより、人より優位に立つことを求める「競争心」であり、神の義の基準に反する「不義」の誘惑の声に聴き従う者を指します。

創造主から召された働きを誠実に遂げながら、結果的に豊かになる人もいます。豊かになれること自体は本当に大きな恵みです。しかし、お金持ちになること自体を人生の目標として、本当に心の幸せを味わっている人を、あなたは見たことがあるでしょうか……幸せとは、本当に身近な人との交わりから生まれるものです。セレブを目指しての競争心から、どこに生きることの平安が生まれるでしょうか。