中東情勢が混迷の度を深めています。日本では、「私たちは中立的な立場を守ります」という言い方が、美徳のように聞こえます。しかし、ハマスのテロがあった後、ドイツ、米国、英国、EU代表などのような西側諸国の最高権力者が、次々とイスラエルを訪問し、「私たちはイスラエルの味方である」との立場を鮮明にしました。
ドイツのショルツ首相はバイデン大統領の一日前にイスラエルを電撃訪問し、連帯を表明しました。明らかに、これらの西側の指導者たちは、自分たちはイスラエルの味方であるということを明確に表明することによって、イスラエルが過剰防衛に走らなくて済むようにと、働きかけています。
今回のハマスによるテロのきっかけは、2005年にイスラエルのシャロン首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長が、皮肉にも、和平のためにイスラエルのガザ地区からの撤退計画の合意をまとめたためであるという見方があります。
それまでは、ガザ地区にも多くのイスラエル人が住み、イスラエル軍と警察が当地の治安維持に努めていました。しかし、この合意によってイスラエル人と軍がこの地区からの完全撤退を進めることになったのです。
その際に、深く懸念されていたのが、ガザ地区で当時勢力を伸ばし始めていたハマスというテロ組織でした。多くの人々は、ガザの完全自治を認めることはハマスのその地区での支配権確立を容認することになり、将来、より大きな問題を引き起こすことになると述べていました。その懸念を誰よりも強硬に主張していたのが現在のネタニエフ首相です。
残念ながら、世界中の人々が喜んだ一時的な和平の試みが、ハマスによるガザ地区の徹底支配を進め、ガザ地区の病院や人道支援施設の地下に彼らの軍事拠点を作らせることにつながっているのです。
私自身は1948年5月のイスラエルの建国を、聖書の預言の成就と断定することには極めて注意深い立場です。しかし、振り返っていただきたいのは、イスラエルの独立宣言の翌日、エジプト、シリア、イラクを中心としたアラブ連合軍が生まれたての国を破壊すべく電撃的な攻撃をしかけてきたということです。イスラエル国防軍は奇跡的にこの攻撃を撃退できました。そして、このときから現在のパレスチナ難民問題が生じてきます。アラブ諸国は、ある意味で、パレスチナ難民を生殺しにするような態度を取りながら、イスラエルを悪者に仕立てようとしています。しかし、パレスチナ難民の問題は、明らかにアラブ諸国の無策の結果でもあるのです。
イスラエルという国が生まれる背後に、約2000年間近くもの間、彼らが多くのキリスト教国の中で徹底的に迫害されてきたという歴史があります。ドイツによるユダヤ人抹殺計画が懸念されるようなときにも、ほとんど多くのクリスチャンたちは見て見ぬふりをしてきたと言われます。今こそ、イスラエルという国は驚くべき経済力と軍事力を誇っているように見えますが、もともと、「だれも味方になってくれない……」という危機意識から、現在の国家建設が進んでいます。イスラエルの周囲はすべて、アラブ諸国です。地理的に驚くほど不安定な場所です。そして、イスラエルは上記のような歴的な経緯から、まさに国家存亡の危機意識をもってこの事態に対処しようとしています。
クリスチャンたち、またはキリスト教諸国がイスラエルへの連帯を表明するのは以上のような経緯があるからです。
誰かとの対立関係に置かれたとき、あなたは誰の意見を親身に聞くことができるでしょう。少なくとも、自分に敵対する人々が多いような中で、「私はこの問題に中立を保ちます」などという人の意見に耳を傾けるでしょうか。
「中立」というのは、きれいごとの逃げ口上かもしれません。その問題の中に入り込まずに済むための方便とも言えましょう。
少なくとも2000年前のパウロというユダヤ人は、私たちが過剰防衛に走らずに済むように次のように記しています
神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
ローマ8:31
私たちは、創造主ご自身が味方となっていてくださると信じる結果として、「右の頬を打つ者に、左の頬をも向ける」(マタイ5:39)という柔軟な態度を取ることができるようになります。
身近な人が、争いの場に置かれているとき、私たちがまず口にすべき言葉は、「私は中立を保ちます」ではなく、「私はあなたの味方です」と堂々と主張して、その人が過剰防衛や、被害者意識に流されないように、徹底的に寄り添うことではないでしょうか……「私は中立を保ちます」ということばは、ときに、とっても冷酷なことばに聞こえるということを私たちは覚えているべきでしょう。
一方的にイスラエルの視点から語っているように聞こえるかと思いますが、先に記したように、和平への努力が、今回の悲惨の遠因になっているという残念な国際政治の状況から目を背けてはならないと思います。
本当に、忍耐と熱い祈りが必要です。