日本の村社会が生み出す闇と詩篇37篇3–6節

BBC(英国公共放送)での報道を改めて拝見して、この問題の根深さ、日本の村社会の闇に改めて気づかされました。僕は、正直、加害者であるジャニー氏が亡くなってしばらくたって初めて、被害者の訴えが取り上げられ、問題がクローズアップされることに違和感を覚えていました。

このBBC報道を見て、その理由が分かりました。被害者の方々は、ジャニー氏に怒っている以上に、この問題を見て見ぬふりをしてきた日本のメディア全体に対して怒っているのだと。また、このような組織防衛のための隠蔽体質、互いに忖度し合って、真理をもみ消そうとする体質が、真理を報道すべきメディアに、また、ジャニーズ事務所という組織を支配していることに対して怒っているのだと……

一昨日の会見では、ジャニー氏個人を「鬼畜の所業」と断罪することで、自分たちの組織を守ろうとする雰囲気が感じられました。しかし、罪を犯していたのは代表者であっても、それをみんなで忖度し、それが続けられる環境を作っていたのは、事務所であり、またメディアなのです。

日本は、すべてのものに霊が宿っていることを信じるアニミズムの世界だと言われます。簡単に言うと、絶対的な善悪の基準がないのです。自分の属する集団が大切にする目標を達成するために、善悪の基準を超えて、協力し合うのが日本人の間では美徳とされがちです。

そこで細かな問題を指摘して、全体の調和を乱す者は、悪人とされます。僕が学生時代に、米国留学中にイエス様を信じたのは、そのような日本の村社会の体質から自由になりたかった……という面があります。

しかし、正直に言うと、日本のキリスト教世界にも、若干、そのような雰囲気がないわけではありません。敏感気質の僕は、ついその中で黙っていられなくて、問題を大きくすることがあります。

しかし、日本の村社会に住む私たちは、常に、集団の意志ではなく、創造主のみこころを第一に求める必要がありましょう。村社会の中で、沈黙しながら自分の立場を守ろうとする行動の中には、創造主ではなく、自分の属する集団を自分の守り手とする意識があるかもしれません。日本人にはその体質が深く身についています。BBCの報道は、まさにその日本的な構造に焦点を当てたもののように感じました。

そのような中での、私たちの生きるべき指針をもっとも簡潔に言い表しているのが、詩篇37篇3–6節です

主 (ヤハウェ) に信頼し、善を行え。3
地に住み、誠実を養え。
主 (ヤハウェ) を自らの喜びとせよ。4
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

あなたの道を主 (ヤハウェ) に委ねよ 5
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主はあなたの義を光のように 6
あなたの正しさを 真昼のように輝かせてくださる。

明日の礼拝では、朝も夕方も、以下の聖歌588「主とともに歩むその楽しさよ」を唱和します。日本の村社会の調和とではなく、いつも主 (ヤハウェ) とともに歩む幸いを覚えたいと思います。